大和田 弥一(おおわだ やいち、1902年(明治35年)9月10日[1] - 1999年(平成11年)3月13日[1])は、日本の政治家。初代福島県いわき市長。旧平市(現・いわき市)長。
来歴
福島県出身[2]。弘前高校を経て[3]、1927年、高等文官試験(行政科)に合格[3][4]。1928年、京都帝国大学法律学科卒[2]。卒業後は関東庁に勤務する[3][4][5]。1936年、関東庁警察部長となり[5]、1939年、帰国[5]。帰国後は岩手、鳥取、茨城、京都、福島の各府県に勤務する[5]。この間、司政官としてシンガポールに派遣される予定だったが、出発直前に終戦となり、派遣は取りやめになった[3]。
終戦後は福島県総務部長となり[4]、1947年、福島県副知事に就任[2][5][6][7]。1953年の第3回参議院議員通常選挙において福島地方区から自由党公認で立候補したが落選した[6][7][8]。落選後は福島県人事委員[5]。1959年、平市長選挙に立候補したが落選した[6][7][9]。同年、福島県監査委員となる[2]。1963年、平市長に当選した[6][3][9]。平市は福島県の「常磐、郡山新産業都市建設計画」に基づき、1964年に新産業都市の指定を受け[2]、近隣の13市町村との合併が進み、1966年、いわき市が誕生した。合併後の市長選挙に立候補し、旧磐城市長の三代義勝らを破って初当選し、初代市長となった[10]。1970年の市長選挙でも再選。1974年の選挙では元衆議院議員の田畑金光に敗れた。1999年に96歳で死去した。
脚注
- ^ a b 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年、260頁。
- ^ a b c d e 『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、466頁。
- ^ a b c d e 『磐城百年史』481頁。
- ^ a b c 『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、265頁。
- ^ a b c d e f 第19版『大衆人事録』東日本篇、111頁。
- ^ a b c d 『福島の人脈』101頁。
- ^ a b c 『磐城百年史』482頁。
- ^ 『朝日選挙大観』575頁。
- ^ a b 平市・市長選(福島県):政治データのブログ
- ^ 『いわき市史 第4巻』466頁。
参考文献
- 第19版『大衆人事録』東日本篇、帝国秘密探偵社、1956年。
- 朝日新聞福島支局編『福島の人脈』高島書房出版部、1967年。
- 荒川三編『磐城百年史』マルトモ書店、1968年。
- 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
- いわき市史編さん委員会編『いわき市史 第4巻 近代2』いわき市、1994年。
- 朝日新聞選挙本部編『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。
- 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ株式会社、2012年。
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1966年10月1日合併 |
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合併後 |
- 職務執行者 赤津庄兵衛1966.10.1-1966.10.19
- 大和田弥一1966.10.20-1974.10.19
- 田畑金光1974.10.20-1986.10.19
- 中田武雄1986.10.20-1990.10.19
- 岩城光英1990.10.20-1997
- 四家啓助1997.9.28-2005.9.27
- 櫛田一男2005.9.28-2009.9.27
- 渡辺敬夫2009.9.28-2013.9.27
- 清水敏男2013.9.28-2021.9.27
- 内田広之2021.9.28-
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カテゴリ |
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官選 |
- 臨時市長代理 青沼鋒太郎1937.6.1-1937.8.19
- 青沼鋒太郎1937.8.20-1941.7.31
- 猪瀬乙彦1941.8.9-1945.7.11
- 伊藤秀吉1945.7.14-1946.11.28
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公選 |
- 鈴木辰三郎1947.4.10-1951.4.5
- 諸橋久太郎1951.4.23-1963.4.30
- 大和田弥一1963.5.1-1966.9.30(廃止)
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