大相撲令和5年5月場所(おおずもうれいわごねん5がつばしょ)は、2023年(令和5年)5月14日から5月28日までの15日間、東京都墨田区の国技館(両国国技館)で開催された大相撲本場所である。
概要
- 5月場所に関する時系列
- 2023年4月27日 - 日本相撲協会は新型コロナウイルスの5類移行に伴い、各部屋を行き来する出稽古を同年5月場所番付発表の5月1日から初日直前まで認めたことが分かった。コロナ感染対策で自粛だった出稽古は前年6月に再開したが、本場所約2週間前の番付発表後は認められていなかった。感染判明翌日から7日間としていた場所中の療養期間は5日間に短縮。感染者が出た部屋の力士らは、症状がなければ出場を続けられる。場所最終盤を除いて禁止だった場所中の会食などの外出についても、師匠に許可を得た上で可能とする方針が示された[1]。
- 5月4日 - 逸ノ城が引退[2]。
番付・星取表
※赤文字は優勝力士の成績。
幕内
十両
優勝争い
初日から横綱・照ノ富士、平幕の明生、朝乃山が7連勝とした。
中日に、朝乃山は北青鵬に、明生は平戸海に敗れ、1敗。照ノ富士は琴勝峰を破り、中日勝ち越しを決めた。
9日目には、明生が照ノ富士を破り、1敗に引きずりおろした。この時点で1敗に照ノ富士、明生、朝乃山、2敗で霧馬山、若元春、平戸海、北青鵬が追う展開となった。
10日目には好調力士同士の取組が組まれ、朝乃山が平戸海を、北青鵬が明生を破る。
霧馬山と若元春の2敗の関脇同士の一番は、霧馬山が制した。
11日目には、朝乃山が明生を破り、1敗をキープ。霧馬山は平戸海を破り、2敗を守る。照ノ富士は豊昇龍を退け、こちらも1敗を守った。
12日目には、朝乃山は関脇・大栄翔に一方的に押し出され、2敗に後退。照ノ富士は若元春に土俵際まで追いつめられるが、逆襲の寄り倒しで破り、1敗をキープ。この時点で照ノ富士が単独トップに立った。
13日目は、照ノ富士と朝乃山の直接対決が組まれ、照ノ富士が小手投げで勝利した。この時点で優勝の可能性があるのは1敗の照ノ富士、2敗の霧馬山、3敗の朝乃山に絞られた。
14日目、照ノ富士と霧馬山の対戦が組まれ、照ノ富士が寄り切りで勝利。この時点で照ノ富士が6場所ぶり8度目の幕内最高優勝を決めた。
照ノ富士は千秋楽も勝利し、14勝1敗の成績を残した。
備考
- 東横綱の照ノ富士が3場所連続の横綱大関[3]。
- 5月場所6日目に栃ノ心が引退[4]。東十両5枚目で迎えた5月場所で初日から5連敗を喫し、6日目の19日に引退届を提出した[5]。
- 照ノ富士は3場所連続全休後に優勝を果たした。3場所連続全休明けで優勝を果たすのは、大鵬、北勝海以来、史上3人目のことである。
- 幕内での14勝1敗の優勝は令和2年初場所の徳勝龍以来、3年4カ月ぶり。また14日目での優勝決定は令和3年九州場所以来のことである。
- 令和5年1月場所で11勝、3月場所で12勝をあげた関脇・霧馬山はこの場所、11勝4敗で終えた。直近の勝ち星が34勝となり、日本相撲協会の審判部が、昇進を諮る臨時理事会の開催を八角理事長へ要請し、了承された。
- 4人いる関脇全員が二桁白星となるのは、史上初のことであった。また、豊昇龍、大栄翔、若元春の3人は3月場所に続き、三役で連続2桁勝利となったため、日本相撲協会の佐渡ケ嶽審判部長は、7月場所は「大関(昇進)を懸ける場所になる」との認識を示した。
- カド番の大関・貴景勝は、苦しい土俵となるも、13日目に8勝目をあげ、カド番を脱した。
- 三賞は、殊勲賞に照ノ富士に唯一勝利した明生。技能賞に霧馬山と若元春が選ばれた。
- 十両は、豪ノ山と落合が初日から9連勝を果たすなど、好調であった。10日目に豪ノ山は熱海富士に敗れるも、11日目には豪ノ山が落合を破り、両者1敗で優勝争いを展開した。両者は千秋楽まで譲ることなく、14勝1敗の相星となり、優勝決定戦となった。決定戦は豪ノ山が押し出しにより、落合を破り、優勝を決めた。十両で14勝1敗同士の決定戦は史上初のことであった。また、十両で14勝あげながら優勝できなかったことも史上初である。
脚注
注釈
出典