奥島貞雄
奥島 貞雄(おくしま さだお、1936年 - 2017年9月2日)は、元自由民主党職員、元自由民主党幹事長室長。 来歴福井県生まれ。その後、一家は兵庫県に移る。中学校を卒業した1952年、衆議院の医務室で看護師をしていた姉を頼って上京。当時赤坂にあった日本大学第三高等学校に入学。姉の紹介で衆議院でアルバイトすることとなった。衆院内自由党控え室で使い走りの日々を送る。女性の上司にすすめられ、1954年、自由党本部に就職[1]。高校を卒業し、中央大学法学部夜間部に入学。1955年の保守合同により自由民主党総務局勤務。1961年、中央大学法学部夜間部卒業。 1965年から幹事長室勤務となる。1992年、自民党事務局次長兼幹事長室長に就任。 1996年の第41回衆議院議員総選挙で比例北陸信越ブロックから単独立候補(25位)するが落選[2]。24位は、塩野谷晶(元坂井隆憲衆議院議員秘書)。1998年の第18回参議院議員通常選挙で比例区から立候補(28位)したが落選した[3]。 1999年、自民党を定年退職。 2017年9月2日、死去[4]。80歳没。 著書
脚注参考文献
関連項目 |