宝相華文宝相華文(ほうそうげもん、ほっそうげもん)は、中国および日本の文様のひとつである。植物を図案化した文様であり、唐花、瑞花ともいう[1]。唐草文様の一種[2]。中国においては隋から初唐期にかけて生み出され、唐代に流行した。日本では奈良期より忍冬文にかわって流行し、平安期にも愛用されたものの[1]、中国の宝相華文と日本の宝相華文は図様として一致するものではなく、その成立についてははっきりとしないところが多い[3]。中野徹は、中国の宝相華文をインド・グプタ期にみられる「波か雲のような細かい動きをともないながら大きく流れ動く独特の唐草文様」に端を発するものではないかと述べ、日本の宝相華文については、中国の宝相華文をふくむ、パルメット、蓮、武道、柘榴といった様々な植物文様が整理されないまま混交したものであろうと論じている[4]。 「宝相華」はトキンイバラを指す言葉として用いられていたが[5]、「宝相華文」の名前自体は決して古いものではない[3]。すくなくとも唐代中国において「宝相華」の名前は用いられず[4]、日本における初出は1889年(明治22年)の『国華』誌上でのことであると考えられている[3]。パルメット唐草[6]、あるいは蓮華文の変化したもの、あるいはブッソウゲ(ハイビスカス)の図案化であるともいわれるが[1]、どのような形式の文様を「宝相華文」と呼ぶかについてははっきりとした規定があるわけではなく[6]、空想的な花文様を表す名前として広く用いられている[3]。 正倉院宝物には宝相華文を施したものが多くあり、螺鈿紫檀五弦琵琶の槽、天蓋の刺繍垂飾、漆絵蒔絵盤の蓮弁などはこの文様で埋められている。また、平安期には延暦寺宝相華蒔絵経箱、金堂宝相華唐草文経箱、仁和寺迦陵嚬伽蒔絵冊子箱のように、宝相華を唐草風に繋いだ文様が用いられる。尾形充彦は、平安期にみられる宝相華を蔦でつなぐ文様を、「いわば和風化の現れとすることもできるかもしれない」と論じている[4]。平等院鳳凰堂や[7]、薬師寺東塔の内部は宝相華文で装飾されている[8]。 関連項目出典
|