宮川大輔 (サッカー選手)
宮川 大輔(みやかわ だいすけ、1979年10月6日 - )は、神奈川県厚木市出身の元サッカー選手。 来歴小学校1年生のときから厚木市のゴールプランダーズでサッカーを始める[2]。4年生時には神奈川県チャンピオンに輝く。中学時代はベルマーレ平塚Jr.ユースに所属。なおゴールプランダーズ、ベルマーレ平塚Jr.ユースを通じて2年先輩に茂庭照幸がいた。 高校は帝京第三高校に入学。1年生時から10番を背負い、3年間レギュラーとして活躍。高校総体3回出場、国体2回出場、全国高校選手権2回出場。1学年下には西部洋平、1学年上には宮沢正史がいた。 高校卒業時には数クラブのオファーがあった中、セレッソ大阪に入団。2年目の1999年5月22日のJ1リーグ・ジェフ市原戦に19歳でプロデビュー。投入された約10秒後、ファーストタッチで初ゴールを挙げる偉業を成し遂げる[2][3]。後に引退するまで、この試合が宮川にとって唯一のJ1出場・ゴールとなった。 しかし、その後は度重なる怪我で手術を繰り返し、4年間の在籍のち大半をリハビリで過ごした。 2002年、当時群馬県社会人サッカーリーグ1部のザスパ草津へ移籍。草津温泉のホテルに勤務しながらプレーし[2](その後プロ契約に移行)、2004年の天皇杯では2年連続年間チャンピオンの横浜F・マリノスを相手に先制点を挙げるジャイアントキリングの立役者となった[2]。 2005年にクラブがJ2リーグに昇格。第3節のコンサドーレ札幌戦で得点を決めたが、これがクラブにおけるJリーグ初ゴールとなった[4]。 2006年、当時九州サッカーリーグに所属していたニューウェーブ北九州へ移籍。ここでもJFL昇格、J2参入まで主力として活躍する。 2012年、同僚の佐野裕哉と共に地元・SC相模原へ移籍[5]。当時は他のJリーグのクラブからもオファーがあったが、家庭を優先し地元のクラブの相模原を選んだ[2]。この年をもって現役引退を発表[1]。 2013年から拓殖大学サッカー部のコーチに就任[6]。並行して2016年からは地元・厚木でジュニアユースチーム「レオヴィスタ厚木」の代表監督も務めている[7][8]。 所属クラブ
個人成績
その他の公式戦
指導歴
脚注
出典
関連項目外部リンク
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