寺岡寛治
寺岡 寛治(てらおか かんじ、1992年12月3日 - )は、福岡県糟屋郡粕屋町出身[1]の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴プロ入り前粕屋町立粕屋西小学校では内橋ジュニアスラッガーズでソフトボールをプレーし[2]、粕屋町立粕屋東中学校から福岡粕屋ボーイズで野球を始める[1][2]。 東海大学付属第五高等学校(現・東海大学付属福岡高等学校)の2年春には投手として149km/hをマークするまでに成長したが[3]、右肘を疲労骨折したことで外野手に転向[1][3]。3年夏の福岡県大会では左翼手として出場し[4]、準々決勝でサヨナラの適時二塁打を放つなど[5]、チームのベスト4進出に貢献した[4]。 九州共立大学では右肘を手術し、3年時までリハビリに専念[2]。4年春から外野手として公式戦に出場すると[2]、同季は打率.371をマークしてベストナインを受賞した[1]。 九州三菱自動車には外野手として入社したが、寺岡の強肩と投手経験を知った投手コーチの山内孝徳の指示で投球練習を再開[2][3]。すぐさまオープン戦で150km/hを計測したため、以降は主に外野手とリリーフの二刀流でプレーを続けた[3]。NPB入りを目指す上で、山内からの「上を目指すならピッチャーが近道」という進言と、寺岡自身の「育成枠であってもまずは入ること」という考えから、投手への専念と独立リーグへの挑戦を決意[3]。「正社員なんだから今更プロ野球選手を目指さなくても」という家族の反対を押し切って[6]、九州三菱自動車を2年で退社し、特別合格枠で石川ミリオンスターズに入団した[7]。 石川時代石川では1年目からチームの開幕投手に抜擢され、その後はセットアッパーに定着[8]。43試合に登板して防御率1.52の好成績を残し[3]、NPBの9球団からスカウトが視察に訪れるまでに評価を高めた[8]。 2017年のドラフト会議で東北楽天ゴールデンイーグルスから7位指名を受け、契約金2000万円、年俸600万円で契約に合意。背番号は56[1]。 楽天時代2018年の春季キャンプでは、新人ながら一軍スタートとなった[9]が、一軍での登板はなく、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。その後育成選手として再契約した[10]。背番号は056。 2019年は二軍で33試合に登板して2勝1敗、防御率0.64と好調をキープし、7月28日に支配下選手として登録されたことが球団から発表された[11][12]。新しい背番号は68。8月4日の千葉ロッテマリーンズ戦の7回にプロ初登板を果たし、8回までの2イニングは無失点に抑えたが、9回に代打の清田育宏に3ランを浴びた[13]。一軍での登板はこの1試合にとどまった。二軍では51試合に登板した。 2020年は中継ぎとして自己最多となる24試合に登板し、2勝1敗10ホールド、防御率3.15という成績を残した。9月13日の北海道日本ハムファイターズ戦ではプロ初勝利を挙げた[14]。 2021年は一軍での登板は無かった。二軍では33試合に登板し、3勝1敗、防御率5.47という成績だった[15]。 2022年は二軍で27試合に登板し、1勝1敗、防御率2.19と好投したが、この年も前年に引き続き一軍登板がなかった。10月22日に戦力外通告を受けた[16]。 現役引退後2023年1月19日、現役を引退し、イーグルスアカデミーのコーチに就任することが発表された[17]。 プレースタイル・人物最速155km/hのストレートに加え、カットボールやフォークなどの変化球を武器とする[6]。追い込んでからは必ず三振を狙いに行くスタイルで、石川時代は59回1/3を投げて82個の三振を奪うなど、奪三振率が高い[3]。自ら「毛の生えた心臓」と表現するように度胸の良さ[6]と、常に全力投球で闘志を前面に出した投球を持ち味としており[3][18]、石川時代の総合コーチだった武田勝からは「打者に向かって行く気持ち」を高く評価されている[4]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
独立リーグでの投手成績
記録NPB
背番号登場曲
脚注
関連項目外部リンク
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