小公子
『小公子』(しょうこうし、原題:Little Lord Fauntleroy。「小さなフォントルロイ卿」)は、フランシス・ホジソン・バーネット(バーネット夫人)が1886年に書いた児童向け小説。『小公子』の訳題は、最初の日本語訳者若松賤子が、1890年(明治23年)に付けたものである。 オンライン・エティモロジー・ディクショナリーの創設者であるダグラス・ハーパーによれば、「フォントルロイ」は13世紀以降に登場した実在の姓であるという。 あらすじ快活な少年セドリック・エロルは母と二人暮らしで、気むずかしい雑貨屋のホッブスや靴磨きのディックと仲良しだった。しかし、ある日訪ねてきた弁護士のハヴィシャムによって、自分がイギリスの貴族・ドリンコート伯爵エロル家の跡取りであることを知らされる。セドリックの父セドリック・シニアは伯爵の三男で、母と駆け落ち同然に結婚したが、伯爵の息子が父を含めて全員死亡したため、跡継ぎが孫に当たるセドリックしか居なくなったという。セドリックは悩んだ末に、友人たちに別れを告げて、イギリスへと旅立つ。 セドリックの祖父であるドリンコート伯爵は厳格な癇癪持ちで、エロル夫人を息子を誑かしたアメリカ人の平民と嫌っており、彼女とセドリックを引き離して、セドリックを貴族のフォントルロイ卿(ドリンコート伯爵の嫡男の儀礼称号)として育てようとする。しかし、それを知らないセドリックの無邪気さや純粋な優しさは、伯爵の頑なな心を少しずつ動かし、変化させる。 そんなある日のこと、伯爵家の長男(セドリックの伯父)ビーヴィスと結婚したというミナと名乗る女性が子供を連れて訪れ、その息子トムこそが正統なフォントルロイ卿であると主張する。その少年を見て、セドリックと違いあまりに品の無いことに落胆したドリンコート伯爵は、エロル夫人に会い、彼女が立派な女性であり、セドリックが立派に育ったのはこの女性のおかげであると気づくが、時既に遅しと思われた。 ところが、アメリカで客に新聞の挿絵を見せられたディックが、ミナとトムの正体に気づく。ミナは以前ディックの兄ベンジャミンと結婚しており(つまりミナはディックの義姉)、トムはベンジャミンとの間に生まれた子だった。ディックは、同じくセドリックの心配をしていたホッブスと共に、セドリックを助けるべく活動する。イギリスまで駆けつけた友人たちのおかげで真実が明らかになり、偽フォントルロイ卿は父親のベンジャミンに連れられてアメリカへ、セドリックは再びフォントルロイ卿となり、さらに祖父と和解した母や、友人たちとともに幸せに暮らすことになった。 日本語訳若松賤子の初訳1886年(明治19年)以降、若松賤子は「女学雑誌」の常連的投稿者だった。1890年8月から1892年1月にかけて、若松は『小公子』を同誌に掲載した[1]。言文一致の「ですます体」の翻訳が好評で、森田思軒や坪内逍遥が激賞した。 刊本は1891年(明治24年)、上巻が女学雑誌社から刊行されたが[2][3][4]、若松が推敲した下巻の原稿は火災で失われ、没後の1897年(明治30年)、雑誌掲載分を桜井鴎村が編集して全巻が博文館から出版された[5]。若松の翻訳は岩波文庫で1927年の初版以来[6]、1938年の第13刷で改版し30版を重ねてきた(1994年)。 2010年現在、絵本、アニメを含め、237点の『小公子』が国立国会図書館に保管されている。 最近の版
漫画化関連作品映画
ドラマ
アニメ関連項目外部リンク
脚注
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