小宮久 (起業家)
小宮 久(こみや ひさし、1969年3月7日 - )は、株式会社Spicy Company(スパイシーカンパニー)[1]の創業者兼CEO[2]、起業家である。 米国北マリアナ諸島自治連邦区特別顧問知事補佐官、コンゴ民主共和国前名誉領事の肩書を持つ[3]。 人物Twitter、Instagramによくラーメンの投稿が多いことから、かなりのラーメン好きである。 趣味は旅行と食べ歩き、映画鑑賞や読書である[5]。 海外滞在も長く、英語、タイ語、フランス語、中国語と語学は堪能[6]。 経歴高校時代に大学進学への選択に魅力を感じず、貴金属飾り職人の祖父の影響でダイヤモンドを学ぶために18歳でイスラエルへ渡航。 国のことも何もわからない、言葉も話せない状況の中、「ダイヤモンドの王」と呼ばれたレビ・レビエフen:Lev_Avnerovich_LevievのLLD(LGC Group) へ就職し、日本人初のダイヤモンド研磨職人として修業した。 ダイヤモンド研磨職人からマネージメントまで ダイヤモンド事業においての全てを身につけた。[7] エルサレムでは、各宗教を学び エルサレム観光ガイドを務めるほど知見がある。 イスラエル政財界において 日本人で初めてユダヤ人コミュニティーに入り込むことのできた第一人者である。[8] 1993年4月、イスラエルで修業したダイアモンドビジネスを展開するために日本に帰国。 帰国後、同年4月に株式会社spicy companyを設立。 日本は、当時バブル経済真っただ中だった為、日本人ダイヤモンドバイヤーとして 常に買い付け量が1位であった。 ダイヤモンド業界を含め、イスラエル政財界との繋がりは強く、今も続いている。[9] 1999年6月には、仮想通貨プロジェクトMicro cashの会社設立に参画。Leviev group、ハーバード大学、コロンビア大学の教授達、ユダヤ学閥で、研究、開発されたプロジェクトである。その際、慶応義塾大学の名誉教授武藤佳恭氏やウィニー製作者の天才プログラマーといわれる金子勇らと仮想通貨について情報交換を行っていた。 諸説あるが、このプロジェクトは世界発の仮想通貨プロジェクトとされている。[10] 2002年4月、株式会社イーダイヤモンドを設立の経営に参画。当時ソフトバンクの子会社だったソフトバンクインベストメント(現:SBIインベストメント) がダイヤモンド事業に参入することを受け、ダイヤモンドビジネスに精通した人物として参画した。[11] その際、システム制作にも携わる。[12] 2002年8月アフリカのコンゴ民主共和国がまだザイール共和国の頃、小宮久は当時世界最大のダイヤモンド産出量を誇っていた鉱山を取得していたが、現地の内戦状態で大量虐殺や大量強奪などの悲惨な状況を目のあたりしていた。そして、コンゴ民主共和国 MHCSPL現地法人を設立を行った。[13] コンゴ民主共和国にて戦争孤児のための学校の設立や、HIV罹患者の保護施設を設立。およそ600人の戦争孤児、HIV罹患者を育て保護した。 内戦で使用されていた武器の買い上げ廃棄処分などの支援を行いその功績が評価され、2008年、駐日コンゴ民主共和国名誉領事(在横浜コンゴ民主共和国名誉領事) を日本国政府より拝命、就任。その後も、在日コンゴ民主共和国人の生活や医療のサポートを勢力的に行った。 [14] 2012年4月、イスラエルのベンチャーキャピタル「AltaClub」の創業者イゴーラモラビッチ氏と旧知の仲だったこともあり、 日本市場の窓口として日本代表に拝命。[15] 2019年1月、日本からの観光客の減少がみられていた北マリアナ諸島サイパンに日本人観光客を誘致するため、米国北マリアナ諸島自治連邦区知事補佐官経済特別顧問に拝命。 就任と同時にSkymark airline の成田ーサイパン直行便開設をサポートした。[16]
イスラエル諜報機関「モサド」[17] に所属していたと言われるが、本人は全否定している。 衆議院議員 防衛大臣 浜田靖一 とは旧知の仲で最側近である事は有名である。秘書としての在籍は古今ない。 略歴1988年(昭和63年)04月 渡イスラエル 1988年(昭和63年)04月 LLD (LGC Group)Israel 1993年(平成05年)04月 株式会社Spicy Company設立 1999年(平成11年)6月 Micro Cash.inc 設立に参画 2002年(平成14年)4月 株式会社イーダイヤモンドの経営参画 2009年(平成21年)9月 駐日コンゴ民主共和国名誉総領事に就任 2012年(平成24年)4月 AltaClubの日本代表に就任 2019年(令和01年)1月 米国北マリアナ諸島自治連邦区特別顧問知事補佐官に就任 [18] 会社株式会社Spicy Company 1993年4月に設立。 事業目的は、ダイヤモンドビジネス、ITセキュリティ、フィンテック事業、環境ビジネスとしている。 [19] ✹会社概要 会社名 株式会社Spicy Company 所在地 〒150-0013 東京都渋谷区恵比寿4-7-6 設立年月 平成5年(1993年)4月3日 代表 小宮久 資本金 1億円 事業内容 IT/環境/ダイヤモンド [20] ✹事業紹介 創業当初はイスラエルにて習得したダイヤモンドの原石の発掘から加工販売を行うダイヤモンド事業を手掛けていたが、オイルショックやリーマンショックなどの影響から国内ジュエリー業界の衰退、イスラエルの基幹産業がダイヤモンド産業からIT産業へと移ったことから、現在の株式会社Spicy Companyも、IT事業へ参入。 2022年 環境ビジネスへ進出し、プラスチック分解酵素の開発・販売・機器開発を始め、海洋プラスチックごみ問題の解決に力を入れている。 [21] 株式会社COOI 小宮久が代表取締役を務める株式会社COOIでは、軍事技術IT、核シェルターなどイスラエル軍技術を活用した事業を展開している。 [22] 座右の銘ズボンは、2枚履けない。足は、2本しかない。胴体は、1つしかない。 人生は、自分が主人公。この人生は、誰の人生でもなく自分本人の人生なのだから、一生懸命に謳歌しなくてはいけない。 人間は、思ったことが必ず起こる。悪く考えれば悪くなり、良く考えれば良くなる。こうなると思ったことがこうなる。できなかったことは思いが足りなかったと言うこと。 [23] 脚注
外部リンク
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