岸里
岸里(きしのさと)は、大阪市西成区の地名および地域名である。「岸の里」「岸ノ里」と表記されることもある。 概要町名としては、西成区岸里1丁目-3丁目、および西成区岸里東1丁目-2丁目がある。岸里は、北端を天下茶屋駅・南端を岸里玉出駅とした、南海本線の線路と国道26号に挟まれた地域となっている。岸里東は、松虫通の南側、南海本線および南海高野線の線路、阪堺電気軌道阪堺線の線路に囲まれた地域となっている。 また広い意味では、西成区潮路・千本北・千本中・千本南辺りの周辺地域も岸里に含まれる。西成区の地域区分としては、岸里連合振興町会の管轄区域(おおむね大阪市立岸里小学校の通学区域と一致)をもって岸里地域としている。なお西側に隣接する千本地域にも、岸里の名称を冠した施設等が見られる。地域の南側は玉出となる。 広域地名としてとらえた場合、近隣にある天下茶屋との境界は曖昧となり、地域の大半は広義の天下茶屋の一部とも認識されることがある。なお現在の岸里東の一部は、1973年の住居表示実施前は天下茶屋の町名であり、天下茶屋の地名の由来となった茶屋も現在の岸里東2丁目にあった。また、南海・地下鉄天下茶屋駅の所在地も岸里1丁目である。 地域は住宅地となっている。Osaka Metro四つ橋線岸里駅周辺には、西成区役所をはじめ西成区の主要な公共施設が集中している。現在の岸里1丁目にはかつて南海電鉄天下茶屋車庫があり、跡地には2000年代以降スーパーマーケットやマンションなどが建設されている。 鉄道の便としては、南海本線・高野線天下茶屋駅・岸里玉出駅、大阪市高速電気軌道四つ橋線岸里駅、同堺筋線天下茶屋駅、阪堺電気軌道阪堺線聖天坂停留場・天神ノ森停留場が通る。また場所によっては、南海汐見橋線西天下茶屋駅も徒歩圏内となる。 また道路は国道26号が南北に通り、松虫通が東西に通る。また潮路2丁目の西端をなにわ筋が通り、岸里交差点西側約150m地点(潮路2丁目付近)で松虫通と合流している。 歴史地名の由来については、古代新羅渡来系氏族の難波吉士(なにわのきし)が居住していたことで「吉士」が同音の「岸」に転じたという説がある。また、かつては大阪湾に面した海辺の環境だったことから「海辺(岸)にある集落(里)」として「岸の里」の地名ができたという説もある。 中世以降現在の岸里東2丁目付近が、紀州街道沿いに開けた集落となった。その集落は勝間新家、のち天下茶屋と呼ばれ、現在の岸里東2丁目にあった茶屋が現在の史跡天下茶屋跡に当たる。現在の岸里に当たる地域の大半は農村地帯となり、木津と粉浜を結ぶ勝間街道が紀州街道のバイパス的な役割として設置されていた。 明治時代には町村制に基づく西成郡今宮村(のち今宮町)および勝間村(のち玉出町)、東成郡天王寺村が成立した。大阪市街地の発展に伴って大正時代には住宅地となった。1913年7月25日には南海鉄道(現:南海本線)の岸ノ里駅(1993年岸里玉出駅に統合)が設置されている。 当時の勝間村には玉出尋常高等小学校(現:大阪市立玉出小学校)があったが、児童数の急増に伴い1913年に玉出第二尋常小学校(現:大阪市立岸里小学校)が開校した。 今宮町・玉出町・天王寺村は1925年に大阪市に編入された。今宮町と玉出町ほか計4町村で西成区が成立し、天王寺村ほか計12町村で住吉区が成立した。その後1943年に、現在の岸里東に当たる地域の一部が住吉区から西成区に編入された。 町名は西皿池町・東皿池町・千本通・田端通・南海通・松原通・天下茶屋(現在の天下茶屋とは別)・有楽町などの地名に分かれていたが、1973年に住居表示を実施して現在の町名に整理された。この時に岸里・岸里東の町名も初めて正式に設定されている。 年表
世帯数と人口岸里2019年(令和元年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
岸里東2019年(令和元年)9月30日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]。
国勢調査による人口の推移。
国勢調査による世帯数の推移。
学区市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[11]。なお、小学校・中学校入学時に学校選択制度を導入しており、通学区域以外に西成区にある以下の通学区域に隣接する校区にある小学校、西成区内にある中学校から選択することも可能[12]。
事業所2016年(平成28年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[13]。 岸里
岸里東
主要施設官公庁文化施設・公園等学校商業施設
岸里ゆかりの著名人
その他日本郵便
脚注
関連項目 |