崋山神社
概要祭神は、江戸時代後期の田原藩家老であり、文人・画家・蘭学者としても活躍した渡辺崋山。社殿は、田原城出丸跡に建てられている。なお、崋山自身の墓所は市内の城宝寺に所在する。 歴史蛮社の獄によって田原で蟄居の身となった崋山は、生活の資とするため絵を描いたことに対し風聞が流れると、藩・主君に累が及ぶのを避けるため、天保12年(1841年)に切腹し48年の生涯を閉じた。 江戸幕府(江戸時代)が終焉を迎え明治時代になると、藩政における功績や開国論が再評価され、人々に顕彰されるようになる。 崋山没後100年を翌年に控えた昭和15年(1940年)、崋山を祭神とする神社創建の話が具体化し、同年8月29日には神祇院から創建の許可が下った[1]。これに伴い、「崋山神社創立奉賛会」が創設され、建設のための基金が集められたが、太平洋戦争の激化や敗戦後の混乱により社殿造営は思うように進まず、昭和21年(1946年)に井伊谷宮(静岡県浜松市)の仮殿を購入・移設して[2]田原城出丸跡に創建・鎮座された。 昭和34年(1961年)、伊勢湾台風により社殿が崩壊。巴江神社(田原城本丸跡に鎮座)に仮遷座する[2]。その後、昭和42年(1967年)に現社殿が再建された。 主な祭事崋山の命日である10月11日には、「崋山神社秋の大祭」が開催される。 付属施設結婚式場や会議等に使用される崋山会館が併設されている。 ギャラリー
付近の関連史跡・名所等
脚注
参考文献
外部リンク |