川越川越(かわごえ)は、武蔵国入間郡の地名。中世には河越とも表記されたが、現在は埼玉県川越で統一されている。 城下町として栄え、古くから小江戸と称された。古くからの「川越」は現在の川越市の中心部にあたり、旧町字名では「大字川越」とも呼ばれた。また現在の川越市東部にも大字川越が存在する。 概要現在の川越市の中心部にあたる旧川越藩の川越城下17町と呼ばれた「大字川越」について述べる。川越市全体については川越市を参照のこと。 天正18年(1590年)、川越藩が立藩、寛永16年(1639年)に老中首座の松平信綱が島原の乱鎮圧の功で川越藩主に栄転する。「知恵伊豆」と呼ばれた信綱は、十ヵ町四門前町(じっかちょうしもんぜんまち)という川越城下の町割を行った。これにさらに郷分や城付を設けた。 信綱によって城の表玄関として西大手門と南大手門が作られ、西大手門を基点に南方に川越街道が江戸まで伸びた。西大手門から西へ進む大通りの先には高札場である「札の辻」が設けられた。ここを軸に縦二十三条、横七十八条の概ね碁盤の目状に町割がなされた。また、袋小路、鉤の手、七曲り、丁字路など城下町特有の街路が作られた。札の辻を中心とした一帯が城下の商人地区である上五ヶ町であった。町屋は概ね間口数間、奥行15間から20間の短冊型に区切られた。上五ヶ町に隣接して職人町の下五ヶ町があった。さらに養寿院、蓮馨寺、行伝寺、妙養寺が4つの門前町を形成した。 この上五ヶ町と下五ヶ町は川越まつりなど祭礼では交替で町行司を出し、各町名主の上に町年寄りなどを選出して町政を行った。大正11年(1922年)12月1日に埼玉県で最初に市制を施行した川越の中心部であり、市制前の旧町字名では「大字川越」と包括された。 旧町名
さらに
などがあった。 川越城下17町と呼ばれたが、時代によって町名が変わり複雑を極め、これらは昭和36年(1961年)に町名地番整理が実施され、現存しないものもある。 明治26年(1893年)3月17日に養寿院門前から出火した川越大火で市街地の多くを焼失、その後、川越商人は豪壮な耐火建築である蔵造りの商家を競って建てた。その街並みは川越一番街として現在でも残っていて、札の辻から仲町の交差点の間で見ることができる。この通りから路地に入れば時の鐘、菓子屋横丁などがある。歴史ある風景は高く評価されていて都市景観100選にも入っている。また、元町、幸町を中心とした7.8ヘクタールの区域が国の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。 主な文化財
脚注関連項目外部リンク
|