徳川 綱誠(とくがわ つなのぶ/つななり[2])は、江戸時代前期の大名。尾張藩3代藩主。はじめ綱義といった。字は子明。
生涯
慶安5年(1652年)8月2日、2代藩主・徳川光義(のち光友)の次男[注 1]として市ヶ谷邸で誕生した。母は徳川家光の長女・霊仙院(千代姫)。幼名は五郎太。
明暦3年(1657年)4月、元服し、従四位下右兵衛督に叙任された。叔父の4代将軍・徳川家綱と父・光義(光友の前名)より1字ずつ授かり綱義に改名する。義の文字は、源氏の祖八幡太郎源義家にちなむ名であり、尾張徳川家御連枝の四谷松平家(高須藩)・大久保松平家(梁川藩)の通名でもある。五代将軍に綱吉が就任したことにより、同音を避けるために綱誠に改名する。
寛文3年(1663年)12月、従三位中将に叙任。
寛文7年(1667年)9月、新君と結婚する。
延宝8年(1680年)、名を綱誠と改める。
元禄4年(1691年)3月、参議となる。
元禄6年(1693年)4月、父・光友の跡を継いだ。同年、権中納言となる。
綱誠の治世は父の陰に隠れ、あまり目立たない。幼少より血統の良さと英明の評判が高く、文教に力を注いだのが知られる。藩領の地誌である『尾張風土記』の編纂を元禄8年(1698年)に命じたが、綱誠の病没により未完成のまま草稿が残り、後の宝暦2年(1752年)に完成する『張州府誌』の母体となった。
元禄12年6月5日(1699年7月1日)、江戸市ヶ谷邸で死去した。享年48。草苺を食し食あたりしたのが死因と言われている。綱誠は生前より大食漢、食道楽として知られていた。
尾張国建中寺に葬られ、誠公と諡された。法名は泰心院正譽徴應。
十男・吉通が跡を継いだ。
官職および位階等の履歴
※日付=旧暦
系譜
正室との間に子はできず、13名の側室との間に40人の子女(22男18女)を儲けるも、その大半は夭折した。子に徳川吉通(十男)、徳川継友(十一男)、松平義孝(十五男)、松平通温(十八男、喜之進・安房守)、徳川宗春(十九男)、松姫(十七女、前田吉徳正室)、喜知姫(叔父・徳川綱吉養女)らがいる[注 2]。
- 父:徳川光友
- 母:千代姫(霊仙院)
- 正室:新君(瑩珠院、父:広幡忠幸)
- 側室:礼与(日下氏)
- 側室:佐野
- 側室:下総(河野氏)
- 側室:梅小路(梅昌院、酒井氏)
- 三男:鶴丸(1680年)(1)
- 四男:松之助(1682年 - 1683年)(2)
- 五女:菊姫(1684年 - 1685年)(2)
- 六男:喜太郎(1686年 - 1687年)(2)
- 十一女:綾姫(1692年 - 1694年)(3)
- 十四男:某(秋光院、1693年)(1)
- 十三女:政姫(1695年)(1)
- 側室:段(遠寿院、浅岡氏)
- 側室:津解
- 側室:佐子
- 側室:難波(蓮乗院)
- 六女:春姫(1685年 - 1686年)(2)
- 八男:内膳(1688年 - 1691年)(3)
- 九女:光姫(1690年 - 1691年)(2)
- 側室:和泉(泉光院、林氏)
- 七男:亀太郎(1687年 - 1692年)(6)
- 九男:常三郎(1688年 - 1691年)(4)
- 十二男:徳川継友(1692年 - 1730年)(39)
- 側室:下総(お福、本寿院、坂崎氏)
- 七女:蔦姫(1688年)(1)
- 十男:徳川吉通(1689年 - 1713年)(25)
- 十女:立姫(1691年 - 1696年)(6)
- 十六男:岩之丞(1694年 - 1705年)(12)
- 側室:阿古(清遊院、鈴木氏)
- 八女:猶姫(1688年 - 1689年)(2)
- 十一男:晴之丞(1690年)(1)
- 十三男:石松(1692年 - 1694年)(3)
- 側室:万(心常院)
- 十二女:伊羅姫(1692年 - 1694年)(3)
- 側室:梅津(宣揚院、三浦氏)
- 十五男:城次郎(1694年 - 1697年)(4)
- 二十男:徳川宗春(1696年 - 1764年)(69)
- 十五女:某(晴竜院、1698年)(1)
- 側室:唐橋(卓然院、里見氏)
- 十七男:松平義孝(1694年 - 1732年)(39)
- 十九男:松平通温(1696年 - 1730年)(35)
- 十四女:喜知姫(徳川綱吉養女、1697年 - 1701年)(5)
- 側室:菊山(蓮養院、松永氏)
- 十八男:繁之丞(1695年 - 1696年)(2)
- 側室:倉橋(利清院、上村氏)
- 二十一男:千之丞(1696年 - 1697年)(2)
- 十六女:福姫(1698年 - 1700年)(3)
- 十七女:松姫(光現院、徳川綱吉養女、前田吉徳室、1699年 - 1720年)(22)
- 側室:新大夫(西生院、中東氏)
- 養子
- 女子:貴姫(徳川光友女、浅野綱長室、1666年 - 1683年)(18)
演じた俳優
脚注
注釈
- ^ 正室の子であるため長男とされた
- ^ 子女の出生順や数は系図によって多少異なる。胎死や流産で名前が付けられる前に死んだ子供がいるからである。
出典
参考文献
外部リンク
尾張徳川氏 尾張藩3代藩主 (1693年 - 1699年) |
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