惟宗公方惟宗 公方(これむね の きんかた、生没年不詳)は、平安時代中期の貴族。官位は正五位下・明法博士。 経歴右衛門権少志を経て、醍醐朝の後期の延長4年(926年)以前に明法博士に任ぜられる。以降、醍醐・朱雀・村上・冷泉の四朝30年以上に亘って明法博士を務める。この間、主計助・大判事・勘解由次官・民部少輔・左衛門権佐などを兼帯した。 村上朝の天徳2年(958年)天皇に奏上した勘文に失錯ありとされ、左衛門権佐兼明法博士から大蔵権大輔に左遷される[1]。しかし、天徳4年(960年)頃には明法博士に復帰した。最終官位は明法博士正五位下。 著作に『本朝月令』がある。 官歴
脚注参考文献
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