成瀬喜五郎成瀬 喜五郎 (なるせ きごろう、1901年(明治34年)3月5日[1] - 1972年(昭和47年)10月25日[1][2])は、日本の農民運動家、日本社会党衆議院議員(1期)。 経歴徳島県出身[2]。農業を行う傍ら、1925年2月に日本農民組合岩脇支部を那賀郡羽ノ浦町に結成し、青年部長に就任する[1]。翌年、同組合徳島県連合会の青年部幹部となる[1]。戦前は全国農民組合(全農)、労農党、社会大衆党に参加した。 戦後は日本農民組合(現・全日本農民組合連合会)徳島県支部連合会会長となり[1]、1946年衆院選に立候補したが落選した[3]。1947年衆院選に徳島県全県区から社会党公認で出馬して初当選した[4][5]。1949年衆院選で落選[4]。1953年衆院選では右派社会党から出馬して落選した[4]。 このほか、徳島県農地、食糧各委員、中央農地委員会委員を務めた[2][6]。 1972年に死去。墓所は徳島市眉山の青葉の碑[1]と東京青山墓地に合葬[7]。 脚注
参考文献 |