日本基督教団沼津教会日本基督教団沼津教会(にほんきりすときょうだんぬまづきょうかい)は静岡県沼津市末広町95番地にある、旧メソジスト系の日本基督教団に所属する教会である。1877年1月15日創立。 沿革1876年(明治9年)9月8日 G・M・ミーチャム宣教師、C・S・イビー宣教師と供に来日[1]。 1876年(明治9年)10月 G・M・ミーチャム宣教師が外国人英語教師を探していた江原素六(沼津市集成舎《後の沼津市立第一小学校》の校長)に招かれ沼津市に赴任する。 1877年(明治10年)1月15日 ミーチャムが集成舎の校長の江原素六、教官の末吉訳郎と中川貴重、および生徒3名に洗礼を授け、彼等が沼津教会を形成する。 1878年(明治11年) 5月29日 杉山彦六(後の土屋彦六)が赴任し初代牧師となる[2]。 1878年(明治11年) 6月17日 ミーチャム、沼津を去り東京府下谷に赴任[1]。 1879年(明治12年) 12月21日 ミーチャム、下谷教会を創設。杉山彦六が転任し下谷教会の初代牧師となる。[3][4] 1881年(明治14年) 9月18日 ミーチャムが山中笑、平岩愃保、杉山彦六、浅川広湖ら4人に下谷教会で按手礼を授ける[3][4]。 1882年(明治15年) 杉山彦六、第3代牧師となる[1]。 1883年(明治16年) 杉山彦六、見附教会(後の中遠教会)に転任。 1883年(明治16年) 橋本睦之、第4代牧師となる。上本町に講義所を購入。[1] 1888年(明治21年)7月21日 橋本睦之、浜松教会に転任し第3代牧師となる。 1888年(明治21年) 加藤秋真、富山から転任し第5代牧師となる[5]。会堂用地取得。 1889年(明治22年) 2月9日 会堂献堂。 1889年(明治22年) 7月 加藤秋真牧師、静岡に転任。 1889年(明治22年) 米山定昌、見附中遠教会から転任し第6代牧師となる[5]。旧城内(大手町)に会堂を献堂。 1891年(明治24年) 米山定昌、山梨に転任。 1891年(明治24年) 外山孝平、本郷中央教会より転任し第7代牧師となる[5]。 1892年(明治25年) 中土狩に講義所開く。六軒町に牧師館建築。[5] 1894年(明治27年)7月 山中笑、緑町講義所から転任し第8代牧師となる[5]。 1895年(明治28年) 山中笑、東京牛込教会(後の頌栄教会)に転任。太田虎吉、勝沼より転任し第9代牧師となる[5]。 1896年(明治29年)
1896年(明治29年) 加藤新太郎、第10代牧師となる。小山に講義所開く。[5] 1900年(明治33年) 土屋彦六(杉山彦六)、第11代牧師となる[6]。 1905年(明治38年) 土屋彦六、吉原教会に転任。 1905年(明治38年) 6月 金沢敬次郎、第12代牧師となる[6]。 1907年(明治40年) 日本メソジスト教会成立に伴い、日本メソジスト教会沼津教会となる[6]。 1908年(明治41年) 5月 金沢敬次郎牧師、渡米[7]。 1908年(明治41年) 5月13日 高北三四郎、第13代牧師となる[8]。高北三四郎はその後、福井に転任。 1911年(明治44年) 池田徳松、第14代牧師となる[8]。池田徳松牧師はその後、隠退[9]。 1913年(大正2年) 3月29日 沼津大火によって会堂を焼失。ミーチャムによる献金を受け、これを記念して後にオルガンを購入する。[10] 1913年(大正2年) 深町正夫、大宮教会より転任し第15代牧師となる[8]。深町正夫牧師はその後、清水教会へ転任。 1915年(大正4年) 会堂再建事業として、会堂跡地に貸長屋を建てる[8]。 1916年(大正5年) 金沢敬次郎、第16代牧師となる[8]。 1917年(大正6年) 4月2日 金沢敬冶牧師、浜松教会に転任し第15代牧師となる。 1917年(大正6年) 4月 川合錠治、札幌から転任し第17代牧師となる[8]。川合錠治はその後、金沢に転任[11]。 1918年(大正7年)10月7日 仮会堂を大手町に献堂[8][12]。 1920年(大正9年) 飯沼健一、第18代牧師となる[13]。 1921年(大正10年)10月 飯沼健一牧師病気のため辞任[14]。 1922年(大正11年)4月 大友良(まこと)、第19代牧師となる[13]。 1926年(大正15年)12月10日 大手町の土地と長屋を売却し、西宮後町に会堂を献堂[15]。 1930年(昭和5年) 白石喜之介、第20代牧師となる[16]。 1931年(昭和6年) 三井勇、第21代牧師となる[16]。 1935年(昭和10年)4月 三井勇牧師、横浜戸部教会(横浜上原教会)に転任[17]。 1935年(昭和10年) 幸田二郎、第22代牧師となる[16]。 1936年(昭和11年) 教会合同基地「憩の園」完成[16]。 1941年(昭和16年) 日本基督教団の成立に伴い、 日本基督教団沼津教会となる[16]。 1942年(昭和17年) 脇山勇牧師、藤枝教会より赴任し、第23代牧師となる[18]。 1943年(昭和18年) 脇山勇牧師、藤枝教会に転任する。岸本信義牧師、藤枝教会より赴任し第24代牧師となる[18][19]。 1945年(昭和20年)7月17日 空襲で会堂全焼するも納骨堂が残り、内部に納められていたミーチャムのオルガンが焼失を免れた。[20] 1947年(昭和22年)11月3日 沼津教会・城内教会・新生教会・御成橋教会の4教会合同でクォンセット・ハット型会堂を建設し献堂[21]。 1947年(昭和22年)12月5日 沼津教会、沼津新生教会と合併[22]。 1957年(昭和32年) 三和磐夫、第25代牧師となる[23]。 1974年(昭和49年)11月10日 三和磐夫牧師離任。一時的に無牧となる。[25] 1975年(昭和50年)3月 大沢務、第26代牧師となる[26]。 1993年(平成5年) 会堂建て替え。 脚注
参考文献
外部リンク
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