日韓戦 (サッカー)
サッカーにおける日韓戦(にっかんせん)とは、サッカー日本代表(以下「日本」)およびサッカー大韓民国代表(以下「韓国」)の両代表の間で行われる国際試合のことである。東アジアのダービーマッチであり、日本では「日韓戦」、韓国では「韓日戦(朝鮮語: 한일전)」と呼称される。本項目では、特に断りがない限り男子のA代表チームについて記載する。 概要日本サッカー協会 (JFA) と大韓サッカー協会 (KFA) はともにアジア地区を統括するアジアサッカー連盟 (AFC) に属し、同時に東アジアサッカー連盟 (EAFF) にも所属する。 両国は海を隔てた隣国で歴史的にも密接な関係を有するため、両国代表間の試合は他の試合に比べて特殊な雰囲気を持つとされる。そのため、しばしばその政治性が問題となることもあった。2010年から2014年まで日本代表監督を務めたアルベルト・ザッケローニは、日韓戦をイタリアとドイツの試合と同等のものであると発言している[1]。 2022年7月27日までに81試合が行われ、戦績は日本の16勝、韓国の42勝、23引き分けである。なお、23引き分けの中には公式戦によりPK戦が行われたものが4度あり、日本が3勝、韓国が1勝となっている。 歴史初の日韓戦→詳細は「1954 FIFAワールドカップ・アジア予選」を参照
日本と韓国による初めての国際試合は、1954年3月7日および3月14日に日本の東京都・明治神宮外苑競技場で行われた1954 FIFAワールドカップ・予選の第1戦である[注 1]。この予選は本来ホーム・アンド・アウェー方式で行われるはずであったが、大統領(当時)李承晩が日本代表の入国を拒否し、意向を受けて韓国での開催が不可能となったため、2試合とも日本での開催となった。 史上初の日韓戦となった第1戦は日本が前半16分に先制するが、韓国が前半に2点、後半に3点を決めて1-5で韓国が勝利した。長沼健が挙げた日本の得点が日韓戦の第1号ゴール(同時にFIFAワールドカップ地区予選における日本代表の第1号ゴール)となり、一方の韓国の日韓戦の第1号ゴールは鄭南湜による前半21分の得点である。この試合で記録された失点は日本の対韓国戦最多失点であり、両チームを通じた最多失点となっている(2022年6月現在)。第2戦は点差に関わらず日本が勝てば第3戦へと進めたが、2-2で引き分けて韓国がアジア代表としてFIFAワールドカップに出場した。 定期戦の時代1972年からは日韓定期戦が開始され、国立霞ヶ丘競技場陸上競技場で開催された第1回定期戦は2-2の引き分け。1991年の第15回まで行われ、日本の3勝、韓国の10勝、2引き分けとなっている。 その後は定期戦の開催は中断されており、2013年には大韓サッカー協会会長の鄭夢奎が記者団に対して、日本サッカー協会と2014年10〜11月ごろに親善試合を行うことで合意しその後毎年定期戦を行っていくことを明らかにしたと報じられたが、2014年10月6日に予定していた試合は、韓国代表の洪明甫監督の辞任により延期された[2]。 日韓W杯開催前1996年に2002 FIFAワールドカップの共催が決定すると、サッカーを通じて日韓関係を好転させようとする機運が高まった[3]。 1997年11月1日に行われた1998 FIFAワールドカップ・アジア予選グループB第9節で、ワールドカップ出場が危ぶまれていた日本はアウェイで既に出場を決めていた韓国と対戦し、2-0で勝利した。この試合の際、韓国のサポーター集団「レッドデビルズ」[3] は日本に対して「Let's Go To France Together(フランスに一緒に行こう)」と書かれた横断幕を掲示し[4]、試合後には両サポーターによるエール交換が行われた[3]。 なお、この「Together(一緒に)」という単語は、その後2002年のワールドカップ共催にあたって出版された両国の選手(中田英寿および洪明甫)の共同作業による著書[5][6] や、Voices of KOREA/JAPANによる同大会公式テーマソングのタイトルの中にも表れている。 日本代表通算戦績
開催地別成績
試合の一覧
U-23日本代表通算戦績
U-23日本代表:6勝4分10敗 試合の一覧
日本女子代表通算戦績
試合の一覧
脚注注釈
出典
関連項目 |