『智恵子抄』(ちえこしょう)は、詩人の高村光太郎が1941年に龍星閣から出版した詩集である。
光太郎が妻・智恵子を知ってから、智恵子が死ぬまでの30年間にわたる作品を集めた。「あどけない話」「樹下の二人」「レモン哀歌」などを含み、最も純粋な愛の詩集である。
作品概要
1914年に処女詩集『道程』が出版されて以降、『現代日本詩集』(改造社、1929年)などの詩華集に未刊詩が多数収録されることはあったものの、高村単独による詩集の計画は長らく実現しなかった。1940年に出版された改訂版『道程』を除くと、『智恵子抄』は2冊目の詩集にあたる。
智恵子とは妻の高村智恵子のことであり、彼女と結婚する以前(1912年)から彼女の死後(1941年)の30年間にわたって書かれた、彼女に関する詩29篇、短歌6首、3篇の散文が収録されている。戦後、さまざまな出版社から同名の詩集が出ており、それらには最初の版の刊行後に書かれた作品や、その版に未収録のものも収められている。
以下の2冊は、光太郎が直接関わったものである。
- 『智恵子抄』(白玉書房、1947年) - 龍星閣が休業していたため、版元を替えて出版。戦後に書かれた「松庵寺」「報告」の2篇を追加。
- 『智恵子抄その後』(龍星閣、1950年) - 出版業を再開した龍星閣代表は、白玉書房版『智恵子抄』出版後に書かれた「智恵子抄その後」という6篇の詩群に注目し、これを軸に出版を決意する。智恵子に関わりの薄い文章も含めて、1冊の詩文集を構成した。出版に乗り気でなかった詩人も、本書籍のあとがきによれば、版元の「熱意に動かされ」るかたちで認めることにしたという。
裁判
光太郎の没後の1965年、龍星閣の代表がこの詩集を編集著作したと主張したことを受け、その翌年、光太郎の相続人が出版社とその代表を相手取り、編集著作権は詩人の側にあるものとして、東京地方裁判所に提訴した。長期裁判となったが、最終的には1993年の最高裁判決[1]により、原告が勝訴した。
収録作品
詩篇および散文の制作年月日は、龍星閣版の目次に書かれている。うた六首の初出については『高村光太郎全集』(筑摩書房)の第11巻「解題」を参照。
詩
「荒涼たる帰宅」を除き、制作年代順に配列されている。
タイトル
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制作年月
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特記事項
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人に
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明治四十五年七月
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「いやなんです」から始まる。詩集『道程』収録の「――に」を改題のうえで再録。詩集『道程』に同題の詩が存在する(「遊びぢやない」から始まる)。
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戓る夜のこころ
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大正元年八月
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『道程』からの再録。
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おそれ
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大正元年八月
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『道程』からの再録。
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或る宵
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大正元年十月
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『道程』からの再録。
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郊外の人に
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大正元年十一月
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『道程』からの再録。
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冬の朝のめざめ
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大正元年十一月
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『道程』からの再録。
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深夜の雪
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大正二年二月
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『道程』からの再録。
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人類の泉
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大正二年三月
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『道程』からの再録。
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僕等
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大正二年十二月
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『道程』からの再録。
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愛の嘆美
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大正三年二月
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『道程』からの再録。
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晩餐
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大正三年四月
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『道程』からの再録。
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樹下の二人
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大正十二年三月十一日
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狂奔する牛
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大正十四年六月十七日
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鯰
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大正十五年二月五日
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夜の二人
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大正十五年三月十一日
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あなたはだんだんきれいになる
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昭和二年一月六日
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あどけない話
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昭和三年五月十日
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同棲同類
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昭和三年八月十六日
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美の監禁に手渡す者
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昭和六年三月十二日
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人生遠視
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昭和十年一月二十二日
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風にのる智恵子
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昭和十年四月二十五日
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千鳥と遊ぶ智恵子
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昭和十二年七月十一日
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値ひがたき智恵子
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昭和十二年七月十二日
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山麓の二人
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昭和十三年六月二十日
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或る日の記
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昭和十三年八月二十七日
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レモン哀歌
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昭和十四年二月二十三日
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荒涼たる帰宅
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昭和十六年六月十一日
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亡き人に
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昭和十四年七月十六日
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梅酒
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昭和十五年三月三十一日
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短歌
タイトル
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制作年月
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特記事項
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うた六首
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各首の初出は以下の通り。第1首:1924年10月1日発行『明星』第5巻第5号、第2首・第3首:1939年5月1日発行『中央公論』第54年第5号、第4首:1939年9月1日発行『知性』第2巻第9号、第5首・第6首:1938年9月16日発行『いづかし通信』第1号。
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散文
タイトル
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制作年月
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特記事項
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智恵子の半生
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昭和十五年九月
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九十九里浜の初夏
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昭和十六年五月
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智恵子の切抜絵
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昭和十四年一月
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関連作品
この詩集は、さまざまな者によって創作の素材となり、映画化された他に、テレビドラマ、ラジオドラマ、小説、戯曲、能、オペラ、歌謡などが生まれた。後述の映画、ドラマを除く各分野の作品を紹介する(歌については外部リンク先も参照)。
映画「智恵子抄」(1957年版)
- キャスト
- スタッフ
映画「智恵子抄」(1967年版)
原作として高村光太郎の他に佐藤春夫の『小説智恵子抄』も使用されている。中村登と広瀬襄が共同でシナリオ化し、中村登が監督した[2]。第40回アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされている[3]。
- キャスト
- スタッフ
テレビドラマ「智恵子抄」(1956年版)
KRテレビ(現TBS)にて1956年11月11日に放送。
- キャスト
- スタッフ
テレビドラマ「智恵子抄」(1970年版)
TBS系列の花王愛の劇場で、1970年11月2日 - 12月31日に放送。
- キャスト
出演者参照:『福島民報』1970年11月2日付朝刊13面。福島テレビ新番組紹介広告から
- スタッフ
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花王 愛の劇場 (1969年2月 - 1999年9月) |
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愛の劇場 (1999年10月 - 2009年3月) |
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関連項目 | |
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カテゴリ |
テレビドラマ「智恵子抄」(1994年版)
テレビ東京系列で、1994年2月14日に放送。
- キャスト
- スタッフ
ラジオドラマ「智恵子抄」
文化放送で、1962年に放送。
- 声の出演
脚注
- ^ “全文” (PDF). 最高裁判所. 2015年2月17日閲覧。
- ^ “【作品データベース】智恵子抄”. 松竹. 2022年9月18日閲覧。
- ^ “"Closely Watched Trains" Wins Foreign Language Film: 1968 Oscars”. Oscars. 2020年12月15日閲覧。
外部リンク