『木枯し紋次郎』(こがらしもんじろう)は、笹沢左保作の股旅物時代小説シリーズであり、及びそのテレビドラマ化、映画化された作品である。小説は1971年から発表され、1972年からフジテレビ系列で放映された市川崑監督、中村敦夫主演のテレビドラマは、視聴率が30%を超える人気となり、主人公紋次郎の決め台詞「あっしにはかかわりのないことでござんす」は流行語となり、様々な紋次郎グッズが売り出されるほどの一大ブームとなった[1]。その後もたびたび映画化、テレビドラマ化がなされた。
紋次郎の生地上州新田郡三日月村のモデルとなった群馬県太田市藪塚町には、木枯し紋次郎の碑、テーマパーク「三日月村」があり、1998年には紋次郎記念館「かかわりーな」が開設された。
小説版
執筆と人気
1969年に『小説現代』編集長となった大村彦次郎は、1960年代からの中間小説誌の競争激化に応じた新しい企画の一つに、股旅小説の見直しとして『俺たちに明日はない』などのアメリカン・ニューシネマのような「ハードタッチな手法や感覚」を持ち込むことを考え、何人かの作家に意図を説明し、「新・股旅小説」と銘打って、柴田錬三郎「本邦博徒伝」を皮切りに伊藤桂一、多岐川恭、結城昌治、菊村到、三好徹、青山光二らの作品を掲載した。1970年4月号掲載の笹沢左保の初めての時代小説「見返り峠の落日」が「スピーディーな文体、ニヒルな主人公、どんでん返しのある推理仕立て」で読者から好評となり、第1回小説現代ゴールデン読者賞を受賞、大村が吉村昭宅に行った際には津村節子にも褒められたという。タイトルに「峠」のつく峠シリーズ5篇を書き、続いて同一主人公のシリーズとして、1971年3月号の「斜面花は散った」で渡世人の紋次郎が登場し、それ以降このシリーズを毎号掲載した。「木枯し」という呼び名は、竹の楊枝をくわえて吹き鳴らす音から付けたものだった。[2][3] また5作目(1971年7月)「水神祭に死を呼んだ」で紋次郎は初めて「あっしは面倒なことに、関わりを持ちたくねえんでございます」という言葉を発している。
1973年6月までに第1期全30話が書かれ、紋次郎が生死不明の状態で終了する。1975年3月から1978年3月まで第2期全25話が連載。
唯一の長編『奥州路・七日の疾走』(1978年)の新聞連載の後、『新・木枯し紋次郎 舞って散った峠花』(1988年)が書かれ、続いて1984年11月から1988年7月までの連載が『新・木枯し紋次郎 舞って散った峠花』として単行本化された。1993年にフジテレビ開局35周年記念作品として制作されたドラマ『帰って来た木枯し紋次郎』が映画として劇場公開され、これは笹沢左保原案のオリジナルストーリーだったが、1995年2月から『小説新潮』で『帰ってきた木枯し紋次郎』シリーズが連載された。紋次郎は前作から10年を経て38歳という設定で、体力は衰え、思慮分別がついてきた人間として描かれ、また中山道板鼻宿に住み着いた姿で登場する。[4]
紋次郎の人気について尾崎秀樹は、股旅小説はもともと社会からの阻害者を描いているところに、現代人の持つ疎外感を「ハード・ボイルドを一度くぐり抜けた眼でとらえなおしているカッコよさにあるのではないか」と評し[5]、また井上俊は「かかわりのないこと」と言いながら事件に関わっていく「言行不一致」の中に「地縁的・血縁的な結びつき、あるいはそれを原型とする身うち集団を超えた、個人対個人のつながり」への願望があると分析している[6]。笹沢自身は「生活苦と消費文化という対極的な時代の天保と昭和にも四つほどの共通点があるのではないか。それが読者の興味を惹くのではないだろうか。すなわち、政治不信、金権主義、明確な生きがいの欠如、漠然とした不安である」と述べている[7]。
ストーリー
紋次郎は三日月村の貧しい農家の六男に生まれ、間引きされそうになったところを12歳上の姉お光の機転で助けられた。お光は嫁入り先で22歳で急死し、紋次郎は10歳で家を飛び出して放浪して生きるようになる。渡世人として名を知られるようになり、また自分で削る長さ五寸の長楊枝をいつもくわえており、息を吐く時に微妙な音がして、その楊枝を口から吹き矢のように飛ばす技も持っている。幼馴染の兄弟分に騙されて、身代わりとなって三宅島に島流しになっていた紋次郎が島抜けをはかるところで「赦免花は散った」は始まる。その後、天保の飢饉で庶民が苦しむ中で、中山道、東海道の宿場町で厄介ごとに巻き込まれていく。各話の最後の場面で、紋次郎が楊枝を何かに吹き刺すのがお約束でもあった。
作品では、天保から幕末にかけての時代に、渡世人・やくざの発生する要因までを描くことで、リアルな渡世人像を提示している。また笹沢左保の特質である孤独と人間不信の念が、義理人情では済まされないやくざ社会の反目や裏切り、結末のどんでん返しとして現れていると言える[8]。笹沢自身は「僕が考えたのはマカロニ・ウェスタンの時代を書こうということでした。フランコ・ネロのようなニヒルなカッコ良さ、クールで孤独な男です」と語っている[9]。
「帰って来た」シリーズで笹沢は、精神的に成長した紋次郎を描きたかったとインタビューで語っており、また情景描写には終戦後すぐの頃に上州で過ごした経験を元にしているとも語っている[10]。
出版リスト
(作品リストは笹沢左保#時代小説参照)
- 光文社文庫版(1997 - 98年)
- 『木枯し紋次郎(一)赦免花は散った』
- 『木枯し紋次郎(二)女人講の闇を裂く』
- 『木枯し紋次郎(三)六地蔵の影を斬る』
- 『木枯し紋次郎(四)無縁仏に明日を見た』
- 『木枯し紋次郎(五)夜泣き石は霧に濡れた』
- 『木枯し紋次郎(六)上州新田郡三日月村』
- 『木枯し紋次郎(七)木枯らしは三度吹く』
- 『木枯し紋次郎(八)命は一度捨てるもの』
- 『木枯し紋次郎(九)三途の川は独りで渡れ』
- 『木枯し紋次郎(十)虚空に賭けた賽一つ』
- 『木枯し紋次郎(十一)お百度に心で詫びた紋次郎』
- 『木枯し紋次郎(十二)奥州路・七日の疾走』
- 『木枯し紋次郎(十三)人斬りに紋日は暮れた』
- 『木枯し紋次郎(十四)女の向こうは一本道』
- 『木枯し紋次郎(十五)さらば峠の紋次郎』
- 新潮文庫版(1997-2001年)
- 『帰ってきた木枯し紋次郎』
- 『帰ってきた紋次郎 同じく人殺し』
- 『帰ってきた紋次郎 かどわかし』
- 『帰ってきた紋次郎 さらば手鞠唄』
- 『帰って来た紋次郎 悪女を斬るとき』
- 『帰って来た紋次郎 最後の峠越え』
映像化と経緯
テレビ局が制作費を調達[注釈 1]して下請けの制作会社に支給する「自主制作作品」とは異なり、放送枠を買った広告代理店が制作費を調達して制作会社に支給する「持ち込み制作作品」[11]で、広告代理店は電通、制作は電通の関連企業であるC.A.Lに一任された。
1971年春頃、既にシリーズ監修と演出に決定していた市川崑からの要請で、電通ラジオ・テレビ局企画室・プロデューサーの松前洋一が、部下の坂梨港[注釈 2](大映東京宣伝部出身)を通じて、大映京都撮影所の美術監督だった西岡善信に本作への協力を打診した。この打診には、市川が古巣の大映京都で撮りたいと希望していたことと、大映本社の倒産危機、という切迫した状況でも制作可能か?という確認の意味も含まれていた。乞われるままに西岡が上京してみると制作準備はかなり進行しており、フジテレビ『浮世絵 女ねずみ小僧』の後番組として、放送枠が「土曜日22時30分開始の1時間枠」であることやC.A.Lの制作、中村敦夫の主演も決定済みだった。市川は、大映京都撮影所の協力も決定したオールスタッフ打ち合わせの席で「好きに遊んでくれ(自分たちのやりたいようにやれ)」と激励し、当時20代から30代の若手がほとんどだった各パートを奮い立たせる[12][13]。しかし、第1部の2話分を撮り終えた1971年11月21日に大映が倒産。管財人による大映京都撮影所の差し押さえで、制作中断の危機に遭う。制作に参加した93人の大映京都撮影所スタッフ(大映の契約スタッフ)は、倒産した会社から給与も支払われず、早朝から深夜まで仕事を続行。「完成まで、仕事をさせて下さい。私たちに残っているのは活動屋根性だけです」という世間の常識を超えた西岡の訴えに根負けして、管財人は撮影所の差し押さえを1か月間延期する。その間の年明け早々には東映の紹介で、地元のレンタルスタジオだった日本京映撮影所で制作を継続。西岡たちは別資本の新会社「映像京都」も設立し、映像京都には、森一生、三隅研次、安田公義、池広一夫、井上昭ら10人の監督や、美術の内藤昭、撮影の宮川一夫、森田富士郎、照明の中岡源権、録音の大谷巌以外にも、中村努や徳田良雄などの大映社員が参加した[14]。
番組は「市川崑劇場」と銘打たれ、1972年元日に放送を開始。市川は監修と、第1部の第1話から第3話、第18話の演出(監督)を務めている。
原作者の笹沢は元来、紋次郎は田宮二郎をモデルにイメージしていたが[15]、「主役は新人で」という市川の意向により、元・俳優座の若手実力派で、準主役級の俳優として活躍していながら、一般的な知名度は必ずしも高くはなかった、中村敦夫が紋次郎役に抜擢された。
劇中で、紋次郎が口にする決め台詞「あっしには関わりのないことでござんす」が流行語になった。しかし、テレビ版は「あっしにゃぁ関わりのねぇこって…」と答えるのが定番で、紋次郎の台詞の「ねぇ」が「ない」に替わり さらに、無宿の渡世人という設定から語尾に「…ござんす」が付けられ、誤って流布したものである。菅原文太主演の東映版では「…ござんす」となっており、結果として、東映版の決め台詞が普及したことになる。
主題歌「だれかが風の中で」は、市川の妻で、市川監督作品のほぼ全てに関わった脚本家の和田夏十が作詞し、フォークバンド「六文銭」を率いるフォークシンガーの小室等が作曲した。その力強く希望に満ちた歌詞と、西部劇のテーマ曲を思わせるような軽快なメロディーは[16]、上條恒彦の歌声と相まって、時代劇には似つかわしくないものだったが、その新鮮さが幅広い支持を得ることになり、結果的に1972年だけで、シングル23万枚を売り上げる、同年度屈指の大ヒット曲となった。
本作品は、これまでの股旅物の主流であった「義理人情に厚く腕に覚えのある旅の博徒(無宿人)が、旅先の街を牛耳る地回りや役人らを次々に倒し、善良な市井の人々を救い、立ち去っていく」といった定番スタイルを排し、他人との関わりを極力避け、己の腕一本で生きようとする紋次郎のニヒルなスタイルと、主演の中村のクールな佇まいが見事にマッチした。22時30分開始というゴールデンタイムから外れた時間帯にもかかわらず、第1シーズンでは毎週の視聴率が30パーセントを超え、最高視聴率が38パーセントを記録する大人気番組になった[17]。殺陣師の美山晋八は、それまでの時代劇にありがちだったスタイリッシュな殺陣を捨て、ひたすら走り抜ける紋次郎など、博徒の喧嘩も想定した殺陣を独自に考案した。当時の博徒が銘のある刀を持つことなどありえず、刀の手入れをすることもないため、通常時代劇に見られる「相手が斬りかかってきた時に、刀で受ける」などの行為は自分の刀が折れてしまうので行わず、また、正式な剣術を身につけていないため、刀は斬るというより、振り回しながら叩きつけたり、剣先で突き刺すといった目的で使われるなど、リアリティを重視した擬斗がシリーズ全編を通して展開されている。主演の中村が途中でアキレス腱を切る事故に見舞われたが、その後のスタンドインを大林丈史と阿藤海が務めることで制作は続行された[18]。埃まみれの三度笠や道中合羽のリアリティ、原作より長い爪楊枝のかっこよさは、市川監督の発案である。また、悪女が紋次郎に惹かれるといった描写は、服部佳、大野靖子、大藪郁子ら女性の脚本家が多く書いていたこととも関連している。
ノンクレジットで参加したフジテレビ編成部の金子満プロデューサーは、過去にメトロ・ゴールドウィン・メイヤーでアシスタント・プロデューサーも担当した経験から「テレビで血を見せると絶対に茶の間から拒否され、ヒットしない」という信念を持っており、第1話の試写でも市川が演出した凄惨なアクションシーンに「これでは受け取れません」と、毅然とした態度でNGを告げて周りを仰天させる。テレビ番組における金子の持論に対し、市川監督も「そういう方針もあるよね。ようし、それでいこう」と理解することで、金子は「血はともかく、映像は素晴らしいものだった」と当時を回願する[18]。近年の金子はシナリオ制作に必要なリマインダー[20]の存在も指摘しており、「喧嘩の仕方や衣裳、食事もヤクザらしいリアリティを持たせて描き、最初と最後には情緒たっぷりのナレーションを毎回、同じ時間に同じ場所で流す」本作品ならではの特色をポジティブ・リマインダー、「絶対に血のアップを撮らせない」特色をネガティブ・リマインダーと命名した。後者のネガティブ・リマインダーを守れなかった後の作品は、フジテレビ版より人気を得られなかったと分析している[21]。
1977年には『新・木枯し紋次郎』(全26話)が制作され、東京12チャンネルで放映された。中村は主演だけでなく、やしきたかじんが歌う主題歌「焼けた道」(作曲:猪俣公章)の作詞も手がけたが、ヒットには至らなかった。本作の紋次郎の決め台詞は「あっしには言い訳なんざ、ござんせん」だったが、これも前作ほどの話題とはならなかった。
1993年には、中村主演で映画『帰って来た木枯し紋次郎』が東宝配給で制作された。こちらは従来の中村主演によるテレビ版の続編であり、このために原作者の笹沢が新たにシノプシスを書き下ろし(小説としては発表されていない)、監督も市川が務めた。主題歌も、テレビ版の『だれかが風の中で』が使われている。この作品は紋次郎の台詞が、東映版に準じた「あっしには関わりのねぇことでござんす」となっている。フジテレビ系列で、後にテレビ放映された。
1990年には岩城滉一、2009年には江口洋介の主演で、単発のスペシャルドラマが制作された。
木枯し紋次郎(1972年版)
ストーリー
舞台は天保年間。上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれた紋次郎は生まれて、すぐに間引きされそうになる所を姉のおみつの機転により、助けられた。「間引かれ損ない」として薄幸な子供時代を過ごした紋次郎は十歳の時に家を捨て、渡世人となる。
ぼろぼろの大きい妻折笠を被り、薄汚れた道中合羽を羽織り、長い楊枝を咥える[注釈 3]のが彼のスタイルである。
ストーリーは一話完結となっており連続劇ではない。
レギュラーは主人公の紋次郎のみである。
エピソード
- オープニングの撮影だけで、3か月を費やした。主演の中村は「撮影開始当初、オープニングの撮影で毎日、竹やぶに連れて行かれたことを、僕は今でも鮮明に覚えていますよ」と振り返っている[22]。
- 道中合羽の「雨風、土や砂にさらされ、使い込まれて汚れた感じ」を出すため、スタッフは新品の合羽に泥を掛け、石で擦り、イメージに合わせた[22]。
- 第1部の第8話撮影中に、中村が足を滑らせて3メートルの崖から転落。主演が左アキレス腱断裂という重傷を負った為、第1部は第9話で一時中断する。当時のフジテレビでは、中村が復帰するまでの穴埋めで『笹沢左保「峠」シリーズ』を放映した。
- 上條恒彦の歌う主題歌『だれかが風の中で』は第1部の第1話 - 第9話、第18話、第2部の全話は1番の歌詞、第1部の第10話 - 第17話は2番の歌詞を使っている[注釈 4]。
- 海外では、1982年にイタリアのテレビ局・TMC(テレモンテカルロ)にて、『Monjiro, samurai solitario』のタイトルで放送された。
- 『見かえり峠の落日』、『地獄を嗤う日光路』、『雪に花散る奥州路』など一部の回は木枯し紋次郎シリーズではない別の同名小説を原作として使用している。
スタッフ
放映リスト
第1部(全18話)
第2部(全20話) ※再放送時の便宜上のタイトルは『続・木枯し紋次郎』
話数 |
放送日 |
サブタイトル |
脚本 |
演出 |
ゲスト出演者
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第1話
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1972年 11月18日
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馬子唄に命を託した
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鴨三七
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鍛冶昇
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新藤恵美(お政)、三益愛子(お熊)、山本麟一(和久井の新六)、黒木進(治郎吉)、石原須磨男(茶店の店主)、川崎裕之、西崎健、上原寛二、渡辺憲悟、峰高志、(以下クレジットなし)森内一夫(杉蔵)、馬場勝義、加茂雅幹
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第2話
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11月25日
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暁の追分に立つ
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大藪郁子
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真船禎
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渡辺美佐子(お梶)、横山リエ(お清)、浜村純(与三郎)、小松方正(須原の五郎蔵)、南部彰三(酒屋の店主)、小林加奈枝(茶店の老婆)、山本弘(留吉)、四条公彦、伊吹新吾、森内一夫、加茂雅幹
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第3話
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12月2日
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水車は夕映えに軋んだ
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鴨三七
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鍛冶昇
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大原麗子(お縫)、稲野和子(お鶴)、悠木千帆、久富惟晴(由蔵)、池田秀一(弥吉)、阿藤海(吉兵衛)、うえずみのる(吉兵衛の子分)、海老江寛、小田部通麿(八五郎)、山本一郎(仙造)、寺下定信、(以下クレジットなし)上原寛二、高木峯子、大杉潤、馬場勝義、吉田晴一(半七)、森内一夫、加茂雅幹、黛康太郎、渡辺憲悟、辻喬次郎
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第4話
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12月9日
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地獄を嗤う日光路
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大藪郁子
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土屋啓之助
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緑魔子(お鶴)、垂水悟郎(民蔵)、川辺久造(千代吉)、二瓶康一(さそりの藤八)、鈴木金哉(治兵衛)、南部彰三(僧侶)、朝永桐子(若紫のおかみ)、田畑猛雄(渡し舟の酔客)、岩田正、黛康太郎、森下耕作、菊野昌代士(農夫)、美樹博(農夫)、今村加津子(お鶴の替え玉)、中村とも子(なべ)、(以下クレジットなし)加茂雅幹、馬場勝義、吉田晴一、藤春保
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第5話
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12月16日
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夜泣石は霧に濡れた
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小野田嘉幹
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渚まゆみ(お民)、平田昭彦(湯原の勘八)、宮部昭夫、日高久(酒屋の亭主)、中西宣夫(吾作)、千葉保、山本一郎、松田明、伊東義高、島村昌子(お時)、大杉潤、森下耕作、高木峰子(以下クレジットなし)加茂雅幹、馬場勝義、藤春保
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第6話
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12月23日
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女郎蜘蛛が泥に這う
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菊島隆三
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大洲斉
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北林谷栄(お甲)、寺田農(煙の千代松)、工藤明子(お勝)、高品格(金沢の与吉郎)、和田正信(伊助)、多賀勝(瓦版屋)、安藤仁一郎(松吉)、大杉潤、馬場勝義、渡辺憲悟(清三)、宍戸大全、(以下クレジットなし)森内一夫、中村とも子(茶店の女)、森下耕作(つぼ振り)、加茂雅幹(中盆)
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第7話
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12月30日
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海鳴りに運命を聞いた
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服部佳子
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早瀬久美(お袖 / おえい)、河津清三郎(四天木の剛右衛門)、睦五郎(丸谷の銀三)、富川澈夫(清三郎)、藤沢薫(太兵衛)、志乃原良子(本物のお袖)、堀北幸夫(丈八)、菊野昌代士(漁師)、馬場勝義(ヤクザ / 漁師)、大杉潤、内本亨、(以下クレジットなし)中村とも子、森下耕作、藤春保
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第8話
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1973年 1月6日
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獣道に涙を棄てた
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橋本綾
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中村敦夫
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鰐淵晴子(お鈴)、ケン・サンダース(太吉)、加藤嘉(加納屋善左衛門)、桑山正一(番頭)、楠田薫(お菊)、阿藤海(烏の源蔵)、那智映美(お京)、安藤仁一郎(番頭)、森内一夫、布目真爾、(以下クレジットなし)沖時男(あめ売り)、馬場勝義、美樹博、渡辺憲悟、上原寛二
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第9話
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1月13日
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錦絵は十五夜に泣いた
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大野靖子
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森川時久
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小山明子(山城屋お紺)、光川環世(お糸)、松下達夫(大黒屋)、穂積隆信(女衒の多之吉)、田畑猛雄、寺田誠(清太郎)、近江輝子(大黒屋の内儀)、伊東義高、山本弘、伴勇太郎、菊野昌代士、森下耕作、渡辺憲悟、峰高志、岡完(丁稚)、(以下クレジットなし)馬場勝義、辻喬次郎
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第10話
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1月20日
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飛んで火に入る相州路
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服部佳子
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太田昭和
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吉田日出子(お浅 / お光)、下元勉(夜桜の金蔵)、内田勝正(村上一角)、石橋蓮司(影法師の宗吉)、やりた順吉(大関の友治郎)、川崎裕之(天狗の市助)、片岡静香(鳥追い女)、藤川準、岩田正、山岡鋭二郎(黒雲の銀次)、花岡秀樹(小田原藩兵)、馬場勝義(藩兵)、森内一夫(雲助)、暁新太郎、美樹博、辻喬次郎(藩兵)、前川梨江子
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第11話
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1月27日
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駈入寺に道は果てた
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鴨三七
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森一生
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江夏夕子(お染)、青柳三枝子(お松)、織本順吉(山形屋)、浜田寅彦(中小坂の源兵衛)、木村元(巳之吉)、守田学哉(辰吉)、寺島雄作、阿木五郎、水上保広(住吉屋紋次郎)、沖時男(山形屋の番頭)、芝田聡二(店主)、(以下クレジットなし)大杉潤、藤春保、馬場勝義、中村とも子、美樹博、森内一夫、布目真爾
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第12話
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2月3日
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九頭竜に折鶴は散った
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服部佳子
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安田公義
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赤座美代子(お秀)、木村菜穂(小春 / お春)、新田昌玄(不知火の重兵衛)、松山照夫(清吉)、春日俊二(喜助)、山村弘三(峠茶屋の店主)、堀北幸夫(源太)、下元年世、加茂雅幹(峠茶屋の息子)
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第13話
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2月10日
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怨念坂を蛍が越えた
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鴨三七
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大洲斉
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太地喜和子(お六)、高橋長英(螢の源吉)、斎藤美和(お冬)、浜田晃(片目の浪人)、阿木五郎(大総代重右衛門)、多賀勝(だるまやの店主)、藤川準、森内一夫(浪人)、吉田晴一(浪人)
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第14話
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2月17日
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明鴉に死地を射た
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佐々木守
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森一生
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日色ともゑ(千鶴)、菅貫太郎(日下又兵衛)、三戸部スエ(お熊)、勝部演之(栄次)、北野拓也、浜伸二、重久剛一(※「重久剛」名義)、下元年世、黛康太郎、松浦武男、芝田総二、安藤仁一郎、暁新太郎、馬場勝義、美樹博、和田文男
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第15話
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2月24日
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木っ端が燃えた上州路
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小倉隆夫 太田昭和
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太田昭和
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高田直久(伝八)、西山恵子(お鶴)、井上昭文(藤岡の勘蔵)、高野真二(本庄の武兵衛)、瞳麗子(お久)、田中三津子(お筆)、三島史郎(卯之吉)、玉村駿太郎(勢五郎)、堀北幸夫(行商人)、沖時男(行商人)、石原須磨男(吾助)、花岡秀樹、森内一夫、川崎裕之、馬場勝義、加茂雅幹、吉田晴一
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第16話
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3月3日
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和田峠に地獄火を見た
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菊島隆三
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三隅研次
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市原悦子(さと)、神田隆(遠藤喜右衛門)、小林勝彦(定吉)、森川千恵子(かよ / おまち)、土方弘(音松)、森章二(巳之吉)、田畑猛雄(佐太郎)、重久剛一(芳三(※「重久剛」名義))、小林加奈枝、藤川準、伴勇太郎(伊助)、高木峯子(とみ)、(以下クレジットなし)石原須磨男、美樹博、馬場勝義、加茂雅幹
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第17話
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3月10日
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雪に花散る奥州路
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服部佳子
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土屋啓之助
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新橋耐子(お絹)、松村達雄(越堀の仁五郎)、大林丈史(勘助)、戸浦六宏(佐久山の竹蔵)、五味龍太郎(代貸)、岩田正、太田優子(旅籠の女)、暁新太郎、和田文雄、原田逸夫、伊藤修
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第18話
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3月17日
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雪燈籠に血が燃えた
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高橋玄洋
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安田公義
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宇津宮雅代(お春)、長谷川明男(金の字 / 山楝蛇の赤助)、山谷初男(仙助)、加村赳雄、三木みち(お鹿)、細井伸悟(秀太郎)、山本一郎(久作)、島米八、北野拓也、北見唯一(だいこくやの主人)、沖時男、安藤仁一郎、加茂雅幹、辻喬次郎、(以下クレジットなし)馬場勝義、美樹博
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第19話
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3月24日
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冥土の花嫁を討て
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大藪郁子
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鍛冶昇
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樫山文枝(お咲 / お縫)、和崎俊哉(うわばみの卯兵衛)、横光勝彦(土橋征之進)、蟹江敬三(小平太)、森秋子(お時)、丘夏子(妙心)、神戸瓢介(多助)、原聖四郎(土橋兵右衛門)、黛康太郎、暁新太郎、吉田晴一、馬場勝義、辻喬次郎、伊藤修、任啓子(茶店の娘)
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第20話
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3月31日
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上州新田郡三日月村
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鴨三七
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大洲斉 市川崑(監修)
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嵐寛寿郎(与作 / 泥亀の喜三郎)、八木昌子(お粂)、服部妙子(お市)、大滝秀治(徳左衛門)、城所英夫(善蔵)、山本一郎(九十郎)、石浜祐次郎(紋次郎の父)、古城門昌美(お光)、八代郷子(紋次郎の母)、伊東義高、重久剛一(「重久剛」名義)、下元年世、花岡秀樹、森下耕作、加茂雅幹(「加藤雅幹」名義)、美樹博、岩田克啓
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- 笹沢左保 峠シリーズ
※中村敦夫が復帰するまでの穴埋めとして製作された、笹沢股旅物オムニバス形式 (全4話)
ネット局
特記の無い限り全て放送時間は土曜 22:30 - 23:26、同時ネット。
フジテレビ系 土曜22:30 - 23:29 |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
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市川崑劇場 笹沢左保 原作 木枯し紋次郎(第1部)
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フジテレビ系 土曜22:30 - 23:29 |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
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市川崑劇場 笹沢左保 原作 木枯し紋次郎(第2部)
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新 木枯し紋次郎
- 1977年10月5日 - 1978年3月29日 水曜 21:00 - 21:54、『新・木枯し紋次郎』(東京12チャンネル)(全26話)
スタッフ
放映リスト
東京12チャンネル 水曜21時枠 |
前番組 |
番組名 |
次番組 |
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新・木枯し紋次郎 【当番組より時代劇枠】
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単発ドラマ版
年末時代劇スペシャル 木枯し紋次郎 年に一度の手向草
(1990年12月28日、TBS、年末時代劇スペシャル)21:00 - 22:54
キャスト
スタッフ
金曜プレステージ 木枯し紋次郎
(2009年5月1日、フジテレビ、金曜プレステージ)21:00 - 22:52
キャスト
スタッフ
東映制作劇場版(菅原文太主演)
木枯し紋次郎
テレビで人気作となった本作を、プロデューサー俊藤浩滋、日下部五朗をはじめ、東映ヤクザ路線を支えたスタッフが映画化。主演は菅原文太。中村とは異なる印象を与えており、本作では「紋次郎誕生編」ともいうべきストーリーが描かれている。脚本は『日本悪人伝 地獄の道づれ』の山田隆之、監督は、脚本も執筆している『現代やくざ 血桜三兄弟』の中島貞夫。撮影は『純子引退記念映画 関東緋桜一家』のわし尾元也がそれぞれ担当。原作は小説第1作の「赦免花は散った」
ストーリー
上州無宿の紋次郎は日野宿の貸元、井筒屋仙松殺害の罪で三宅島に流された。実は訳あって、兄弟分である日野宿の左文治の身代わりとなったためである。三宅島での過酷な労役の中、島抜けを計画している男女と知り合い、不本意ながらも雄山の噴火に乗じて、合流。盗舟内で醜い同士討ちに巻き込まれるが、辛くも逃げのびる。しかし帰り付いた日野宿で、既に島で耳にしていた左文治の本性を現実に知ることとなり…。
出演者
以下ノンクレジット
木枯し紋次郎 関わりござんせん
前作の続編。野上龍雄が脚色し、中島貞夫が監督した。主演は引き続き菅原文太で、原作を離れ、過去との決別を描いたオリジナル ストーリー。心理描写が先立って東映のお客に迎えられず、シリーズを打ち切った[42]。
ストーリー
旅の途上で、かつて命を救った八幡の常平に出会った紋次郎は常平から歓待を受け、お光という名の年増の女郎をあてがわれる。その女の身の上話を聞くこともなく聞いていた紋次郎は驚愕する。お光は赤子の紋次郎を間引きから救い、その後、生き別れになった実姉だったのだ。一方、宿場町では下滝の巳之吉一家と箱田の六兵衛一家の縄張り争いが激化。一触即発の状況を迎えつつあった。
出演者
エピソード
- 1973年公開の映画『ゴジラ対メガロ』(東宝)で、ゴジラが木枯し紋次郎の真似をして、楊枝に見立てた電柱を咥え、プッと吹き出して地面に刺さるというシーンが撮影されていたが、完成作ではカットされた。現在では、スチールのみが残されている。
- 水島新司の漫画「ドカベン」の主要登場人物・岩鬼が口にくわえている「ハッパ」は作中で、主人公の山田太郎が「木枯し紋次郎の真似」と説明している。
- 紋次郎のまとっていた外套は江戸時代の風俗には無く、西部劇のガンマンが着けていたポンチョを真似て採用されたものだと、後に中村がトーク番組で語っている。
- 主題歌『だれかが風の中で』は、バラエティー番組『ダウンタウンDX』のコーナー「どこまでホント? 風の噂三郎」のテーマ音楽に使用されている。
- 第1シーズンが始まった1972年は、必殺シリーズの第1作『必殺仕掛人』が放送開始となったが、このシリーズは木枯し紋次郎に対抗して、立ち上げられたものである。
- ファミリーコンピュータを出す以前の任天堂から「木枯し紋次郎ゲーム」というボードゲームが販売されていた。現在でもオークションに時折、出品されている。
- 1973年1月放送の新春スター・かくし芸大会(フジテレビ)の英語劇では「木枯し紋次郎」を演目にし、主題歌を英語で、上條恒彦が担当した。 劇中、井上順が紋次郎、布施明が子連れ狼(拝一刀)を演じたが最後のドンデン返し(オチ)で、井上順の紋次郎はニセモノと分かり、登場した「本物」の紋次郎は上條恒彦だった。
- 『新・木枯し紋次郎』第11話「笛の流れは三度まで」で、旅の宿場女郎のお笛(早瀬久美)が吹く笛の音色は後に同枠で放送された『悪党狩り』(1980年 - 1981年、東京12チャンネル・松竹・藤映像コーポレーション制作)で、敵のアジトに乗り込んだ主人公の同心 神谷玄次郎(尾上菊五郎)が、悪党たちの前に姿を現す際に笛を吹くシーンに流用された。
映像ソフト
テレビシリーズ
- VHS
- 木枯し紋次郎 地蔵峠の雨に消える/峠に哭いた甲州路(1994年5月20日、ポニーキャニオン PCVC-10296)
- 木枯し紋次郎 水車は夕映えに軋んだ/怨念坂を蛍が越えた(1994年5月20日、ポニーキャニオン PCVC-10297)
- 木枯し紋次郎 馬子唄に命を托した/月夜に吼えた遠州路(1994年5月20日、ポニーキャニオン PCVC-10298)
- レーザーディスク
- 木枯し紋次郎 傑作選(2000年3月24日、発売元:C.A.L、販売元:エスモック CALS-1001)
- 市川崑が演出を担当した第1シーズン第1話、第2話、第3話、第18話を収録。
- DVD
- 木枯し紋次郎 DVD-BOX I(10枚組[注釈 6])(2002年12月21日、ハピネット・ピクチャーズ BIBJ-9045)
- 木枯し紋次郎 DVD-BOX II 市川崑劇場 木枯し紋次郎編(10枚組)(2003年02月21日、ハピネット・ピクチャーズ BIBJ-9046)
- 木枯し紋次郎 DVD-BOX III 新・木枯し紋次郎 編(7枚組)(2003年4月24日、ハピネット・ピクチャーズ BIBJ-9047)
- 木枯し紋次郎 DVD-BOX IV 新・木枯し紋次郎 編(7枚組)(2003年7月24日発売、ハピネット・ピクチャーズ BIBJ-9048)
- ※以上のDVDは単品でも販売されている。
劇場版
- VHS
- 木枯し紋次郎(1996年4月21日、東映ビデオ VCTB-00302)
- 木枯し紋次郎 関わりござんせん(1996年4月21日、東映ビデオ VCTB-00335)
- 帰って来た木枯し紋次郎(1994年5月20日、ポニーキャニオン PCVC-30299)
- レーザーディスク
- 帰って来た木枯し紋次郎(1994年6月17日、ポニーキャニオン PCLC-28)
漫画
小説を原作にした小島剛夕の作画による同名の漫画が、1972年に『漫画天国』(芸文社)に連載され、翌年単行本が芸文社コミックスより全1巻で発行された。全4話。単行本は絶版となっていたが、2003年にリイド社、2009年に小池書院より再版された。
- 収録エピソード
- 赦免花は散った
- 湯煙に月は砕けた
- 女人講の闇を裂く
- 川留めの水は濁った
脚注
注釈
- ^ スポンサーからの広告料でも足りない制作費は、テレビ局が負担。
- ^ 電通の企画プロデューサーとして、『一休さん』『まんがことわざ事典』『まんが日本史 (日本テレビ)』『松本清張作家活動40年記念ドラマ』などのアニメ作品や数々のドラマ作品を手がけた。
- ^ 紋次郎の設定はほぼ原作に準じているが、唯一、口に咥えている楊枝は見栄えを考え、かなり長く設定されている。
- ^ バックのカラオケはいずれも、1番のものを使用。
- ^ 主演の中村に勧められ、同話冒頭に「通りすがりの忠七を呼び止め、同行を依頼する三下の渡世人」役で、素顔で出演している。NGを連発した経験から、これ以降、テレビドラマの出演は無い。
- ^ 本編9枚組+特典ディスク。
出典
- ^ 縄田一男「解説」(『木枯らし紋次郎(一)斜面花は散った』光文社文庫、1997年)
- ^ 笹沢左保「あとがき 紋次郎とぼくの長い長い旅」(『木枯し紋次郎 人斬りに紋ひは暮れた』光文社文庫 1998年
- ^ 大村彦次郎『文壇うたかた物語』ちくま文庫、2007年(第7章 笹沢左保の「木枯し紋次郎」)
- ^ 縄田一夫「解説」(『帰って来た木枯し紋次郎』新潮文庫 1997年)
- ^ 尾崎秀樹『殺しの美学 チャンバラ剣豪伝』旺文社文庫 1985年
- ^ 井上俊『死にがいの喪失』筑摩書房、1973年
- ^ 笹沢左保「無宿人に現代人の”分身”を見た」(『月刊現代』1971年10月号
- ^ 縄田一男、永田哲朗『図説 時代小説のヒーローたち』河出書房新社、2000年
- ^ 吉原敦子『あの本にもう一度-ベストセラーとその著者たち』文藝春秋、1996年
- ^ 清原康正「解説」(『帰って来た紋次郎 最後の峠越え』新潮文庫 2001年)
- ^ 『キャラクターメイキングの黄金則』(著:金子満、近藤邦雄。発売:株式会社ボーンデジタル)44頁
- ^ 『実録テレビ時代劇 ちゃんばらクロニクル1953-1998』(著:能村庸一、発行:東京新聞出版局)179 - 180頁
- ^ “シリーズ・広告人インタビュー2012 <第7回>松前洋一氏”. (早稲田大学)土屋礼子ゼミジャーナル. 2013年10月31日閲覧。
- ^ 『実録テレビ時代劇 ちゃんばらクロニクル1953-1998』183 - 184頁
- ^ “ただ一人の主役、紋次郎のキャスティング”. 木枯し紋次郎の風景・・・上州長脇差のダンディズム (2007年5月22日). 2014年5月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月22日閲覧。
- ^ “「小室等が語る主題歌『だれかが風の中で』誕生秘話」”. WEBサライ(小学館) (2009年9月24日). 2014年1月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月22日閲覧。
- ^ 『キャラクターメイキングの黄金則』(著:金子満、近藤邦雄。発売:株式会社ボーンデジタル)44頁
- ^ a b 『実録テレビ時代劇 ちゃんばらクロニクル1953 - 1998』185頁
- ^ 『コンテンツを面白くする シナリオライティングの黄金則』(著:金子満、発売:株式会社ボーンデジタル)226頁からの記述によれば、英語のReminderとは「思い出させるもの」という意味を指す。著者の金子は視聴から長い時間を経ても、その映像コンテンツを思い起こさせる印象的な筋立てや描写などを「リマインダー」と定義している。
- ^ 『コンテンツを面白くする シナリオ ライティングの黄金則』234 - 235頁
- ^ a b “中村敦夫が語る、“木枯し紋次郎の時代”とは”. WEBサライ(小学館) (2009年9月15日). 2009年10月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年5月22日閲覧。
- ^ 『北海道新聞』1972年3月テレビ欄。
- ^ a b 『岩手日報』1972年3月テレビ欄。
- ^ 『秋田魁新報』1972年3月テレビ欄。
- ^ 『山形新聞』1972年3月テレビ欄。
- ^ 『新潟日報』1972年3月テレビ欄。
- ^ 『信濃毎日新聞』1972年3月テレビ欄。
- ^ a b 『山梨日日新聞』1972年3月テレビ欄。
- ^ a b c 『北國新聞』1972年12月16日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『中日新聞』1972年3月テレビ欄。
- ^ 『京都新聞』1972年3月テレビ欄。
- ^ 『島根新聞』1972年3月テレビ欄。
- ^ 『山陽新聞』1972年3月テレビ欄。
- ^ 『愛媛新聞』1972年3月テレビ欄。
- ^ 『高知新聞』1972年3月テレビ欄。
- ^ a b 『熊本日日新聞』1972年3月テレビ欄。
- ^ 『沖縄タイムス』1972年3月テレビ欄。
- ^ 「テレビ視聴率季報(関東地区)」ビデオリサーチ。
- ^ キネマ旬報/www.kinenote.com/main/public/cinema/person.aspx?person_id=105766
- ^ 本編予告編に映像あり
- ^ “九月配収の概要”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1973年1月1日)
- ^ “大作挑戦の布陣が目立つ邦画四社の九月以降態勢 東宝八月以降番組”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 1. (1974年8月17日)
参考文献
関連項目
外部リンク
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1947 - 1949年 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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企画・監修作品 | |
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テレビドラマ | |
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関連人物・項目 | |
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