村田秀三村田 秀三(むらた ひでぞう、1921年5月4日 - 1985年1月5日)は、日本の労働運動家、政治家、参議院議員(4期、日本社会党)。 来歴福島県白河市出身[1]。1939年仙台逓信講習所卒[1][2]、白河郵便局に勤務する[2][3]。第二次世界大戦中に召集され南方作戦を経験、多くの戦友を失ったことが戦後、労働運動に携わる動機となる[3]。1956年全逓福島地区委員長[2][3]、福島県労組協議会議長などを経て、1965年の第7回参議院議員通常選挙で福島県選挙区から日本社会党公認で立候補して初当選[1][4]。4期連続当選した[4]。この間、社会労働委員長、災害対策特別委員長、参議院国会対策副委員長[1]、社会党県委員長などを歴任し[2]た。1985年1月5日、在職中に心筋梗塞のため地元、福島県白河市で死去、63歳[3]。死没日をもって勲二等旭日重光章追贈、正四位に叙され[5]。 脚注参考文献
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