松来未祐
松来 未祐(まつき みゆ[注 1]、1977年〈昭和52年〉9月14日[4][5] - 2015年〈平成27年〉10月27日[9][10])は、日本の女性声優、歌手、ラジオパーソナリティ。本名・旧芸名、松木 美愛子(まつき みえこ)[1][2]。広島県呉市出身[4][5]。81プロデュースに所属していた[8]。 代表作は、『ひだまりスケッチ』(吉野屋先生)、『這いよれ!ニャル子さん』(クー子)など[11][12]。 生涯生誕からデビューまで広島県呉市出身[4][5]。小さい頃は、兄が少ない小遣いをやりくりして購入してきたアニメ雑誌・漫画を、一緒に読んだりしていた[13]。またテレビっ子で、小学生の頃は『きまぐれオレンジ☆ロード』、『シティーハンター』、『ハイスクール!奇面組』が好きだった[13]。 小学生の頃から国語の教科書の音読が好きで、朗読大会にも参加していた[6]。当時から「声」を使う職業に興味を持ち、当初はアナウンサーを目指していた[6]。その後、中学生になって職業としての声優を知り、これこそが自分の仕事だと確信して声優への道を突き進むようになる[6]。アニメーション映画『ルパン三世 カリオストロの城』でクラリス役の島本須美の声を聞いて、「なんてキレイな声なんだろう! 大きくなったら、こんな人になりたい」と思ったのがきっかけだった[13]。高校時代も、声優になるべく放送部に所属し、個人戦を中心に放送コンクールに参加して、入賞することもあった[13]。 受験勉強中に、留守電に吹き込む形式のオーディションをラジオで偶然耳にし、気軽に応募したところ合格した[13]。高校3年生の時には、公開放送のラジオバングみでアシスタント的なことをさせてもらい、学校帰りに制服のまま通ったこともあった[13]。本来学校でアルバイトは禁止されていたが、ラジオ局の人物が松来の学校の校長と話し合い、周囲の応援を受けて楽しく活動していた[13]。広島女学院中学校・高等学校を経て、慶應義塾大学環境情報学部卒業[14][15][16]。声優の勉強目的の上京は両親から猛反対されたが、大学進学を条件に上京を許されたため、慶應義塾大学に進学した。大学通学の傍ら、日本ナレーション演技研究所やアクセント付属養成所シャインに通い、演技の勉強をする。 ゲームの役で初めてのオーディションを受ける。当時は他の受験者と違ってどこにも事務所に所属しておらず、極度の緊張から神谷明の書いた『きみも声優になれる!!』の本をバッグにお守り代わりに入れて現場に向かった。会場には神谷明が来ており、その後幸いにも合格を果たす[17]。本名のまま、1998年にPlayStation用ゲーム『御神楽少女探偵団』の檜垣千鶴役で声優デビュー。同作以外にもしばらくは本名で活動するが、後に本名だと芸能人としては画数が良くないからとの理由で「松来未祐」へ改名する[注 1]。 声優としてのキャリア2000年、ケイエスエスによる新人オーディション企画『あっぷ² MY GIRL 2000』に合格し、ユニット「あっぷ²(あっぷあっぷ)」として様々な活動を行う。また、同社のグループ「西五反田フォークキャンプ」のメンバーとして「ちいさな翼」などの楽曲を発表する(同曲は後に「Memories〜Miyu Matsuki Best Songs〜」に収録された)。 2002年、『七人のナナ』で初のアニメレギュラーを獲得。同年6月、アクセントから81プロデュースへ移籍する。同年10月より始まったラジオ番組『(有)櫻井工房』は『(有)チェリーベル』、更に『有限会社チェリーベル』(文化放送→超!A&G+)へ続き長期番組となった。 2003年から2004年にかけては『D.C. 〜ダ・カーポ〜』『ダイバージェンス・イヴ』シリーズでアニメレギュラーを獲得し、2004年1月の『超変身コス∞プレイヤー』で初の主演を務める。この年、ラジオ番組『RADIOデコピンないと』で共演した金田朋子と声優ユニット「SD☆Children」を組み、CDリリースや各種イベントなどの活動を行った。その他にも多数のアニメに出演すると共に、最多で週4本のラジオ番組を持っていた。また、『さよなら絶望先生』シリーズ(藤吉晴美役)や『ひだまりスケッチ』シリーズ(吉野屋先生役)など、新房昭之が監督を務めるシャフト制作作品の常連声優の1人となっていた。 2012年の『這いよれ! ニャル子さん』(クー子役)では、声優ユニット「後ろから這いより隊G」の一員としてオープニングテーマを歌唱。2013年3月1日、「後ろから這いより隊G」の一員として第7回声優アワード歌唱賞を受賞した[18]。 病気療養から晩年2013年頃より、数日単位で夜間に39 ℃の熱を出しては翌朝には下がるといった症状が現れ始めた[19]。2014年7月頃には、発熱に加えて肝機能障害が指摘された[20]。2014年8月頃には突然声が出なくなり、同年8月27日「松来未祐&儀武ゆう子×”零-刺青ノ聲”つれゲー初生特番」、9月3日「おしゃべりやってま~す第3放送」は筆談での出演となった[19]。2015年正月には頚部リンパ節腫脹や疲労などの症状が出現し、複数の病院でがん健診を含めて精査を進めたが、診断には至らず原因不明であった[19]。この頃松来は、過去に自己免疫疾患で入退院を繰り返していた後藤邑子に病状の件で相談していたという[21]。西村ちなみによれば、松来は仕事を減らされることを危惧して、自分の体調不良を明かさないよう周囲に頼み込んでいて[22]、入院直前まで所属事務所にも何も伝えていなかった。 2015年6月、ようやく慢性活動性EBウイルス感染症(CAEBV)が疑われたが[注 2]、精密検査直前の6月30日に呼吸困難に陥り救急搬送された[19][23]。7月1日には公式サイトとブログで、同月4日に出演予定だった『蒼穹のファフナー EXODUS』初回放送記念イベントを欠席することを発表した[24][25]。7月14日には自らのブログに「今年に入って熱が下がらず、病院で検査を繰り返していたのですが、急性の肺炎で検査を重ねたところで、少しでも早く治療に取り組まないといけない病気であることが分かりました」と綴り、活動休止を発表した[26]。実際の診断としてはCAEBV(細胞傷害性T細胞: キラーT細胞への慢性感染)に伴うEBウイルス関連T細胞リンパ増殖症による肺症状だった[20]。なお、活動休止の発表時点で放送されていた7月期のテレビアニメの役については、休養前にすべての収録を済ませていたため、そのまま放送された。 入院後はT細胞性リンパ腫(悪性リンパ腫の一種、EBV感染T細胞からの悪性転化)への進展と診断され[20]、CAEBVの根治治療である骨髄移植を見据えて抗がん剤・ステロイド投与などの治療を行ったが、兄とはHLAが適合せず血縁者間移植はできなかった[19]。その後は38歳の誕生日である9月14日に合わせて内々で誕生日パーティーを開いたことをブログで公開し、「私、この病気が治ったら、本気で婚活するんだ…!」と綴っていたが[27]、その矢先の9月18日には容態が急変して再入院した。再入院時にはCAEBVからステージ4の悪性リンパ腫へ進展しており、髄膜浸潤病変が原因でくも膜下出血を併発して緊急手術を受けるなど、益々病状は悪化していった。一方で亡くなる直前まで意識があり、言葉こそ発せなかったが、両親の問いかけに応じて頷いていたという[28][23][29]。 2015年10月27日午後10時18分、松来は入院先の東京都内の病院で38歳で死去[9]。通夜、葬儀、告別式は、遺族の意向により家族と親族のみで執り行われた[30]。その後、同年12月15日に所属事務所の81プロデュースから、本人名義のブログを通じて、CAEBVへの罹患や最終的な死因である悪性リンパ腫、またその闘病の経緯が公表された。松来は療養中に「いつか手記を出して同じ病気に苦しむ人の支えになりたい」と遺言しており、四十九日が経過したことを機に両親が「同じ病気の一人でも多くの人が、早期発見により助かって欲しい」と申し出たことから、同事務所が松来本人のブログで報告するに至ったという。CAEBVについて、ブログでは「非常に症例が少なく難病指定もされていない難しい病気」と説明し[31][23][32]、両親も早期の難病指定を訴えた。 2015年11月2日に公表された訃報を受け、声優仲間をはじめとして親交の深かった関係者たちがTwitterやブログなどを通じて松来への哀惜の言葉を綴り[33][34][35]、ファンからも急逝を悼む書き込みが見られたほか、Yahoo! JAPANのリアルタイム検索も一時的に上位20ワードが松来やその出演作に関するもので占められた[36][37]。同年11月19日には、超A&G+で特別番組『松来未祐〜メモリーズ〜』が配信された[38]。また、松来の休養後も復帰を待つ形で放送を続けていたラジオ番組『有限会社チェリーベル』も、松来の急逝を受けて2015年11月6日をもって終了した[39]。 死後2016年9月7日、超!A&G+ 文化放送モバイルplus presents 生放送!で、『文化放送モバイルplus presents サンキュー! 未祐ちゃんの生放送!』が配信され、親交が深かった神田朱未、儀武ゆう子、大坪由佳が松来とのエピソードを語った。9月11日に科学技術館サイエンスホールにて「松来未祐愛悼イベント 「サンキュー!未祐ちゃん」」が開催された[40][41]。同月15日に発売されたゲーム『ペルソナ5』(御船千早役で出演[42])が事実上の遺作となった。 2017年5月9日には、『ザ!世界仰天ニュース』の特集「世界が知らない恐ろしい病スペシャル」で、「病名が分からない苦しみと闘った女性」として松来の闘病生活が取り上げられた[19][43][注 3]。 CAEBVは確定診断・初期治療が困難で、そもそもの有病率が低く、特に松来のように肺の病変に関連した報告は稀であった。松来の臨床経過はCAEBVの診断に気管支鏡が有効であった症例として症例報告が書かれている(東京医科歯科大学(当時)呼吸器内科)[20]。上述の松来の追悼イベントで募られた寄付金は、東京医科歯科大学(当時)のチームによるCAEBV治療法研究の原資となり、EBV持続感染したNK細胞・T細胞において、転写因子STAT3が恒常的に活性化していることが突き止められた(2018年に論文発表)[47][48]。 人物広島県出身で、『たまゆら』シリーズの八色ちもや『咲-Saki-』の佐々野いちごなど、広島弁を使うキャラクターも演じている。『咲-Saki-』では広島弁を使う染谷まこ役を演じる白石涼子へ、白石本人からの希望で方言指導を行った[49]。 サンフレッチェ広島や広島東洋カープ等、地元のスポーツチームのファンでもあった。サンフレッチェは亡くなった年の12月にガンバ大阪とのチャンピオンシップを制し、J1優勝を果たしている。カープは前述の追悼イベントが行われる前日の2016年9月10日に、対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)に勝利し、1991年以来25年ぶりにセ・リーグ優勝を果たしている[50]。 食べることが好きで、ブログではその日食べたものの写真を掲載することが多く、病にかかって療養生活に入るまでも食欲はあったという。愛猫家で、飼い猫の「ポン太」と「チー」の様子や写真を掲載することも多く、亡くなる直前まで2匹の様子を綴っていた[51]。2匹は松来の療養生活以降友人宅に引き取られ[52][51]、2023年12月31日にポン太[53]、2024年12月12日にチーが亡くなるまで[54]、友人の元で生活した。 声優として活動して以降、毎年父親の誕生日に合わせてネクタイをプレゼントしており、父は病気療養中の松来に対して「早く元気になって、来年のネクタイ買ってくれよ」と頼んでいたという[19]。 後任松来の療養に伴う活動休止または死去後に持ち役を引き継いだ声優は以下の通り。
出演太字はメインキャラクター。 テレビアニメ
劇場アニメ
OVA
Webアニメゲーム
吹き替え映画
アニメ
テレビ番組
ラジオ※はインターネット配信。
ラジオドラマ
CDドラマCD
ラジオCD
映像商品
舞台
その他ディスコグラフィアルバム
キャラクターソング
その他参加楽曲
企画イベント2008年
2009年
2010年
2011年
その他作詞
脚注注釈
ユニットメンバー
出典
外部リンク
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