桂小文枝桂 小文枝(かつら こぶんし)は、上方落語の名跡。初代と3代目は桂文枝の前名として名乗った。3代目の5代目文枝襲名に伴い空き名跡となっていたが、5代目文枝の弟子である桂きん枝が2019年3月に4代目として襲名した。
2代目 桂 小文枝(1879年(逆算)- 1931年1月9日)は、本名:豊田卯之松(卯三郎とも)。享年53。法名:釋文遊。 経歴桂雀四郎、3代目桂萬光は実兄。 初め初代桂枝雀の門下で初代桂雀三郎を名乗る。1911年3月16日、師・枝雀と袂を分かち、2代目三遊亭圓馬の尽力で2代目小文枝を襲名。同時に三友派に加入し、中堅として活躍する。 美声の持ち主で、大津絵節やトッチリトンなどの音曲を得意とし、桂仁左衛門の型を踏襲した『三十石』の舟唄は絶品であったという。落語家としては不器用な性質で、他に『胴とり』、『ひやかし』、『高野駕』、『木挽茶屋』、『二番煎じ』が十八番、というよりも、これ以外の噺はほとんど掛けなかったが、いずれも素晴らしい出来であった。 大柄で男前であったため、女性に人気があった。贔屓客もついたため、生活は裕福で、芸人としても恵まれた人生を過ごした。小柄で貧乏だった兄・萬光とは、芸においても人生においても、全てに正反対の存在であった。 弟子脚注
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