水島臨海工業地帯水島臨海工業地帯(みずしま りんかい こうぎょうちたい)は、岡山県倉敷市にある工業地域である。水島工業地帯(みずしま こうぎょう ちたい)とも呼ばれる[1]。同市の水島地区を中心に同児島・玉島の3地区に跨る。 概要水島臨海工業地帯は、高梁川の河口に形成された三角州および、廃川となった旧東高梁川の河口廃川地、さらにその地先の干拓地、またその沿岸海面の埋立てにより造成された地帯で、その区域は倉敷市南部の水島地区南部、玉島地区南東部および児島地区の西部にわたり、特定重要港湾である水島港の区域およびその背後地の一帯をいう[2]。 具体的な住所では、倉敷市水島では、水島川崎通[3]・同西通・同中通・同海岸通・同福崎町・潮通・南畝4丁目・松江4丁目、同市児島では本荘西部(宇野津・塩生のおおむね国道430号以西と通生のごく一部)、玉島においては乙島のおおむね岡山県道191号線およびクラレ入口交差点以南が、同地帯の範囲となる[2]。 同地帯はA〜Eまでの5地区に分かれており、水島の高梁川東岸の遅れて干拓・埋め立てされた土地(川崎通)がD地区、水島港水島地区西岸の旧東高梁河口廃川地およびその地先の干拓地である福崎新開・高砂新開・福喜新開にあたる範囲がA地区、王島山南側・呼松西沖の干拓・埋立地(福田新開)がB地区、児島の本荘西沖の干拓・埋立地がC地区、玉島の乙島南沖の干拓・埋立地がE地区となっている[2]。 水島においては、南畝・松江全域や中畝・東塚の各一部も含むこともある。また、工業統計調査においては、一般的な範囲よりもやや広い地域を対象としており、前述のものに水島支所管内全域と玉島の乙島全域も含まれている[2]。 明治から大正期にかけて行われた東西高梁川の改修工事によって東高梁川は廃川となり、それにより生じた旧東高梁川河口廃川敷およびその地先に造成された干拓地に、1943年、第二次大戦中の工場分散により三菱重工業の航空機製作所岡山工場が建設された。これがこの地における工業の皮切りである。それまで漁業と干拓農業を主とする一寒村に過ぎなかった当地は、戦後における産業の重化学工業化により、本格的に工業化が進められていった[4][2]。 1953年、岡山県は大型船舶の入港を可能とするために航路泊地の浚渫に着手。さらにそれにより発生する浚渫土砂で海面を埋立て、工業用地を拡大造成し企業を誘致した。当時、岡山県は農業中心から工業中心の産業への脱皮をめざし、農業・工業・商業の各産業の均衡を保ちつつ工業を発展させ、県民福祉の向上を図るという新しい構想の下、当地の開発を県勢振興の根幹事業として位置付け、積極的に開発を行った[5][2]。 誘致企業の産業分野は石油精製・鉄鋼生産・石油化学・重化学工業・各種機械生産・食品工業など多種に渡り、各産業の基地としての発展を期するため、交通施設・用地・用水等の産業基盤の整備、それとあわせて生活環境施設・教育文化施設・社会福祉施設の整備など社会資本の開発についても重点的に推進を図った[2]。 現在、水島臨海工業地帯は岡山県の中核的工業地帯として、同県経済に圧倒的な比率を占め、全国的にも有数の巨大工業地帯へ成長している[2]。 企業事業所五十音順に記載 A地区
B地区
C地区
D地区
E地区
施設
課題・問題点公害・環境汚染問題→詳細は「水島地域 § 公害問題」を参照
脚注参考文献
参考サイト関連項目 |