江上家種
生涯龍造寺隆信の次男として誕生。江上武種の養子となって江上氏の家督を継ぎ、父から肥前国神埼郡勢福寺城主に任じられた。父の命令で各地を転戦し、天正12年(1584年)の沖田畷の戦いにも参加している。 天正17年(1589年)、鍋島直茂が佐賀城に移ったため、代わって蓮池城主となる。なお、このときに鍋島直茂の嫡男・勝茂を養子として迎えている(のち解消)。 威風堂々とした体格で、特に武勇に優れていたといわれており、兄弟の中で最も父、隆信の才を受け継いでいた事が窺える。 系譜家種の子は江上姓を捨て、長子・茂美(佐野右京亮)は佐野氏を名乗り、次子・勝種(勝山大蔵)は勝山姓を名乗った。茂美の子孫は佐賀藩士佐野氏の祖となった。勝種は龍造寺伯庵を擁して幕府に龍造寺家の復興を訴えるも敗訴。正保元年(1644年)に会津藩保科家預かりとなり、江上氏に復姓した。慶安元年(1648年)に会津藩に召し抱えられ、子孫は会津藩士として続いた。 脚注 |