池田恒元
池田 恒元(いけだ つねもと)は、江戸時代前期の大名。備前国児島藩主、のち播磨国山崎藩の初代藩主。恒元系池田家初代。 略歴慶安元年(1648年)、2万石を与えられて児島藩を立藩したが、慶安2年(1649年)から山崎藩主となる。 翌年から検地や治水工事、山林の保護、交通路の整備、村落制度の制定などを行なって藩政の確立に尽力した。承応元年(1652年)から城下町で火事が起こり、さらに疫病が流行するなどしたが、このときも万全の対応を行って領民を救う手腕を見せた、兄に劣らぬ名君であった。 寛文11年(1671年)9月4日、61歳で死去し、跡を長男の政周が継いだ。 系譜 |