王妃の離婚『王妃の離婚』(おうひのりこん)は、佐藤賢一による歴史小説。 概要中世末期のフランスを舞台に、フランス王ルイ12世と王妃:ジャンヌ・ド・フランスの「婚姻の無効」を争う裁判を題材とし、主人公フランソワは王妃側の弁護士として、法廷に立ち向かう。 第121回(1999年上半期)直木三十五賞(直木賞)受賞作品。 あらすじプロローグ1478年、パリ大学の学僧:フランソワ・べトゥーラスは、カルチエ・ラタンで同棲中の恋人:べリンダ・オブ・カニンガムに結婚を申し込む。しかし、べリンダは修道士であるフランソワの将来を思い、求婚を言葉巧みにかわす。フランソワは、カルチエ・ラタンの伝説であるアベラールとエロイーズに自らを重ね、べリンダへの情愛を抑えられずにいた。 第1章1498年9月13日、トゥールはサン・ガシアン教会に設置された特別法廷に、フランス王ルイ12世の「婚姻の無効」を争う裁判で王妃:ジャンヌ・ド・フランスが出頭するため、世間の注目を大いに集めていた。大勢の傍聴人の中には、暴君であったルイ11世の配下の襲撃により失脚させられ、その娘であるジャンヌ王妃の苦しむ姿を見ようと、今はナントの弁護士となったフランソワの姿もあった。王妃は、全面的に争う姿勢を見せ、裁判は膠着する。 フランソワは、後輩で今はソルボンヌ学寮の副学監となったジョルジュ・メスキや、べリンダの弟で今は近衛隊長となったオーエン・オブ・カニンガムと再会する。オーエンは、フランソワをジャンヌ王妃に対面させるが、フランソワは弁護の依頼を断る。 10月12日、今はアンボワーズのサン=ドニ教会で行われる裁判で、国王と王妃の結婚が肉体的に成立していたか否かの証明として、検事は王妃に「処女検査」を要求した。屈辱的な要請に、王妃は新たな弁護士を立てることを判事に申し出る。圧倒的に不利な状況の中、傍聴人の中からフランソワが名乗りを上げる。 第2章フランソワは「処女検査」の条件として、公開検査と国王の「男根検査」を要求した。一同が唖然となる中、フランソワは大胆かつ雄弁にその必要性を語り、充実感を得る。フランソワと王妃は、裁判の打ち合わせを重ねる中で、二人は王妃の侍女となったべリンダのことを思い出す。フランソワはやがて、「結婚が完成された」証明として医師コシェの証人喚問と、その内容によりルイ12世自身の召喚を認めさせた。世論は不遇な王妃寄りであり、フランソワの活躍を称える。 ジョルジュ、そしてフランソワ襲撃の実行者であったオーエンの協力を得て、フランソワはパリで医師コシェを捜索する。中でもジョルジュの教え子である学生フランソワ・オブ・カニンガムは協力的であった。学生フランソワが下宿している部屋は、かつてフランソワとべリンダが同棲していた部屋であり、フランソワは思い出に浸る。 10月26日、医師コシェは証人として、国王と王妃の「結婚が完成された」場所、日時、その様子を証言する。 第3章国王は再婚を予定していた、先王シャルル8世の王妃アンヌが領地へ引き上げたことに焦り、フランソワを自分側へ引き抜こうとするが、全てを他人のせいにする国王の器量の小ささを目の当たりにし、フランソワはこれを断る。さらにローマ控訴院からも声がかかるが、これも断る。 11月4日、非公開となった裁判に赴く途上、フランソワと王妃は襲撃を受け、護衛のオーエンが死亡する。翌日、フランソワは過去の経験から、優位に立ちすぎたことに不安を覚えながらも、法廷で攻撃的な弁護を継続する。興奮し我を失った国王は、ジャンヌ王妃との肉体関係を否定する。ところが、打ち合わせに反し、王妃自ら国王の発言を否定し暴れ始めてしまい、休廷となる。 その夜、ささやかな愛の思い出さえ否定された王妃は意気消沈し、フランソワは裁判の継続を勧め、王妃を励ます。ジャンヌ王妃は、フランソワに自分を抱いてほしいと伝えるが、フランソワはそれが「できない」理由を明かす。二人は裸になり、肉体関係なしに愛し合うことで互いの心の傷を癒す。そして王妃は、国王との離別を決心し、フランソワにある事実を告げる。 エピローグ12月17日、裁判は陳腐化し、「結婚の無効取り消し」が認められた。フランソワは名を上げ、アンヌ新王妃からも顧問弁護士の依頼があっただけでなく、再びパリ大学での学問の道が開かれようとしていた。そして、フランソワ・オブ・カニンガムと再会し、二人は未来への歩みを始めるのだった。 登場人物※実在人物は各内部リンク先を参照されたい
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