環上の加群抽象代数学における環上の加群(かぐん、英: module)とは、ベクトル空間を一般化した概念で、係数(スカラー)を体の元とする代わりに、より一般の環の元としたものである。つまり、加群とは(ベクトル空間がそうであるように)加法的なアーベル群であって、その元と環の元との間に乗法が定義され、その乗法が結合的かつ加法に関して分配的となるようなものである。 任意のアーベル群は有理整数環上の加群であり、したがって環上の加群はアーベル群の一般化でもある。また、環のイデアルは環上の加群であり、したがって環上の加群はイデアルの一般化でもある。このように環上の加群はベクトル空間・アーベル群・イデアルを包括する概念であるので、さまざまな議論を加群の言葉によって統一的に扱うことができるようになる。 加群は群の表現論に非常に近しい関連を持つ。また、加群は可換環論やホモロジー代数における中心概念の一つであり、ひろく代数幾何学や代数的位相幾何学において用いられる。 動機ベクトル空間においては、スカラーの全体は体を成し、ベクトルに対して分配律などの特定の条件を満足するスカラー乗法によって作用している。環上の加群においては、スカラーの全体は環であればよく、その意味で環上の加群の概念は重大な一般化になっている。可換環論における重要な概念であるイデアルおよび剰余環は、いずれも環上の加群とみることができ、イデアルや剰余環に関するさまざまな議論を加群の言葉によって統一的に扱うことができるようになる。非可換環論では、イデアルの(作用の入る向きとして)左右を区別するし、環上の加群においてもそれはより顕著になることだが、しかしさまざまに重要な環論的議論において片側(大抵は左)からの作用に関するものだけを条件として提示することが行われる。 加群の理論のおおくは、ベクトル空間のもつ好ましい性質が、単項イデアル環のような「素性のよい」(well-behaved) 環上の加群の領域でどれだけたくさん存在するかというような議論からなるが、しかしながら環上の加群はベクトル空間に比べてかなり複雑である。たとえばどんな加群でも基底を持つわけではないし、基底を持つ(自由加群と呼ばれる)加群であっても基礎環(係数環)が不変基底数条件を満足しないならば階数も一意ではない。これはベクトル空間が(選択公理を仮定すれば)常に基底を持ち、基底の濃度が常に一定となることと対照的である。 厳密な定義環 R 上の左 R-加群もしくは R-左加群とは、アーベル群 (M, +) とスカラー乗法と呼ばれる作用 R × M → M の組であって、その作用(通常は、r ∈ R と x ∈ M に対して x のスカラー r-倍を単に文字を併置して rx と記す)は、r, s ∈ R, x, y ∈ M は任意として、条件 を満足するものでなければならない(最後の条件は R が乗法単位元を持つときで、それを 1R で表している。環が単位的であることを仮定しない文脈では、R-加群の定義においてこの最後の条件も課されず、特にこの条件をも満足することで定まる構造を単位的左 R-加群、単型 R-左加群などと呼んで区別する。本項では用語の一貫性を図るため、特に断りの無い場合は環も加群も単位的であると仮定する)。 しばしば、スカラーの作用を fr のような形に書くこともあり、もちろん fr(x) = rx なのだが、このように書くと f を R の各元 r を対応する作用素 fr へ移す写像とみることもできて、たとえば先ほどの加群の公理の最初の条件は fr が M 上の自己準同型となることを述べていて、残りの条件は f が R から自己準同型環 End(M) への環準同型となることを要請するものになっている。すなわち、環上の加群とは環作用を持つアーベル群のことである(群作用あるいは作用も参照)。この意味では、環上の加群の理論は群の(あるいは同じことだが群環の)ベクトル空間における作用を扱う群の表現論(線型表現論)の一般化である。 通常は演算を省略して、単に「左 R-加群 M」とか、係数環を明示するために RM のように記す。環の作用の向きだけ右からに変更して(つまり M × R → M の形のスカラー乗法があって、左加群の公理でスカラーを左に書いていたところを、スカラー r や s を x, y の右側に書くようにして)、同様に右 R-加群 M, MR が定義される。 両側加群 (bimodule)は、左加群でも右加群でもあってなおかつそれらの作用が可換となるようなものである。 Rが可換環ならば、左 R-加群と右 R-加群の概念は一致し[note 1]、単に R-加群と呼ばれる。 例
部分加群と準同型M を左 R-加群、N を M の部分群とするとき、N が M の部分加群 (submodule) あるいはより明示的に R-部分加群(または部分 R-加群)であるとは、任意の r ∈ R と n ∈ N に対して積 rn がふたたび N に属するときに言う。M が右加群の場合は nr が N に属するとき同様に部分加群という。 与えられた加群 M の部分群全体の成す集合は、ふたつの二項演算 "+" および "∩" に関して束を成しモジュラー法則
を満たす。 M および N が左 R-加群のとき、写像 f: M → N が R-加群の準同型であるとは、任意の m, n ∈ M, r, s ∈ R に対して が満たされるときに言う。ほかの数学的対象に関する準同型が対象の構造を保つのと同じく、加群の準同型も加群の構造を保つ。 全単射な加群の準同型写像は加群の同型写像であり、同型写像を持つふたつの加群は互いに同型であるという。ふたつの同型な加群は、それらの元の表し方が異なるだけであり、実用上は同一視することができる。 加群準同型 f: M → N の核とは f によって 0 に移される元全体から成る M の部分加群である。群やベクトル空間において馴染み深い同型定理は R-加群に対しても成立する。 左 R-加群およびそれらの間の加群準同型の全体は圏を成し、R-Mod で表される。この圏はアーベル圏である。 加群の種類
表現論との関係M を左 R-加群とすると、R の元 r の作用が x を rx へ(右加群の場合は xr へ)うつす写像として定まり、その写像はアーベル群 (M, +) 上の群の自己準同型となる必要がある。EndZ(M) で表される、M の群自己準同型の全体は、加法と合成に関して環となるが、R の元 r にその作用を対応させることにより、R から EndZ(M) への環準同型が定義される。 このような環準同型 R → EndZ(M) は M における R の表現 (representation) と呼ばれる。左 R-加群を定義するもう一つの同値な方法は、アーベル群 M にその上の環 R の表現を考えることである。 表現が忠実 (faithful) であるとは、写像 R → EndZ(M) が単射となることをいう。加群の言葉で言えば、これは R の元 r が M のすべての元 x に対して rx = 0 を満たすならば r = 0 と成ることを言っている。任意のアーベル群は有理整数環または適当な剰余類環 Z/nZ 上の忠実加群である。 一般化任意の環 R をただひとつの対象から成る前加法圏と看做すことができる。この観点で言えば、左 R-加群とは R からアーベル群の圏 Ab への共変加法的函手に他ならない。右 R-加群は反変加法的函手である。このことが示唆するのは、任意の前加法圏 C に対し、C から Ab への加法的函手は C 上の一般化された左加群と考えるべきであるということである。このような函手の全体は、環上の加群の圏 R-Mod の一般化となる函手圏 C-Mod を成す。 可換環上の加群は別な方向に一般化することができる。まず、環付き空間 (X, OX) をとり、OX-加群の層を考える。これらの全体は代数幾何学のスキーム論的取り扱いで重要な圏 OX-Mod を成す。 X がただ一点からなるならば、これは可換環 OX(X) 上の通常の意味での加群の圏である。 半環上の加群を考えることもできる。環上の加群はアーベル群だが、半環上の加群は可換単位的半群であればよい。通常の加群に関する議論の多くが、この一般化された意味での加群に対しても有効である。特に、任意の半環 S に対して S 上の n-次行列全体は半環を成し、S の元の順序 n-組の全体はその行列半環上の(ここで言う意味でのみだが)加群となる。これにより、理論計算機科学の分野から半環の概念を併合した、ベクトル空間の概念の更なる一般化が得られたことになる。 関連項目注記
出典
参考文献
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