生活創庫 (スーパーマーケット)生活創庫(せいかつそうこ)は、ユニーが運営する直営住居関連用品売場のインショップブランド及び、かつて同社が運営していた百貨店テイストを活かした、次世代タイプの複合総合専門店館の名称である。リサイクルショップチェーンを運営していた生活創庫とは屋号は同じだが無関係。 概要・店舗店舗ブランドとしての生活創庫は、UNY生活創庫(香港)を除き、展開していた店舗全てが閉店、もしくは店名を変更している。1994年(平成6年)2月以前の福井店と静岡店は中京地区本部所管であり、以降は各地区本部の所管になったが、商品は本社と中京地区本部が関与した。したがって、関東地区本部統括のユニー大口店とUNYイースト21店は食料品を扱うなど他の生活創庫とコンセプトが異なり、従来のユニーに近いタイプだった。 香港では2010年(平成22年)6月、3年ぶりに生活創庫ブランドが復活している。 生活創庫名古屋駅店1985年(昭和60年)11月21日[1]、名古屋市中村区椿町(名古屋駅西口)に「生活創庫アピタ名古屋駅店」としてオープン[2]。初めて「生活創庫」の付称を用い、日本生命が新規に建設・施設保有した再開発ビルの核テナントであり、ユニーが全社を挙げて立ち上げた「駅西プロジェクト」店舗である。当初は地階に食料品売場を設けていたが、極度の不振によりわずか1年半で撤退した。 1991年(平成3年)4月14日に増床リニューアルし、「生活創庫名古屋駅店」と名を改めて改装開店した。以来、地下1階から地上5階までの商業フロアのほとんどを若者向けの衣料品雑貨店や軽食店が占めるなどファッションビル的な性格が強くなり(地下2階および当時からヴィレッジヴァンガードなどが出店していた6階は生活創庫の管轄外[3])、それまでは駅東口が中心だった名古屋駅前において西口の発展に大きく寄与した。 1997年(平成9年)2月期に売上高約130億円を上げ[2]、2000年(平成13年)2月期に対前年比約6.7%減の売上高約115.12億円でユニー全店で第6位の売上高を上げていたが[4]、2003年(平成15年)2月期に売上高約72億〜73億円へ減少したため2003年(平成15年)8月17日に閉店となった[2]。 閉店後、店舗跡には「ビックカメラ名古屋駅西店」が出店している。 生活創庫福井店1990年(平成2年)2月、福井県福井市中央町(福井駅近隣)に立地したポアンカ福井を「生活創庫福井店」として改装開店する。旧ポアンカは中高生向けの衣料品が主力だったため客単価が低く、OL層も含めたジュニアヤングへ対象顧客の拡大を図った[5]。 店舗面積約5,607m2で、最盛期の1993年(平成5年)2月期に売上高約24億円を上げたが、以降は売上が伸び悩み、1999年(平成11年)にはだるまや西武新館に開業したロフトと顧客層が重なって競争が激化したことなどが影響し、2001年(平成13年)2月期に売上高約13億円へ落ち込み、業績の回復が困難だとして、2002年(平成14年)1月20日に閉店となった[5]。 空きビルは2006年(平成18年)、三谷商事が所有権を取得し[6]、跡地の建物の1階はイベントギャラリー「えきまえkoocan」および駐輪場となり、それ以外の階は封鎖された。2012年12月28日に閉鎖。翌年初夏に建物が解体され、一旦更地となった後、多目的ホールや屋根付広場を備えた福井駅西口中央地区市街地再開発ビル「福井市にぎわい交流施設ハピリン」として建設が進み、2016年(平成28年)春に竣工している。 生活創庫静岡店→詳細は「静岡伝馬町プラザビル」を参照
1984年(昭和59年)11月21日、静岡県静岡市葵区伝馬町に「ライブアピタ静岡」として開店、静岡伝馬町プラザビルのうち商業フロアの地下1階から地上6階までを全て賃借して営業していた。「アピタ業態」の2号店(「ライブアピタ」という名称は静岡のみ)で、前述の生活創庫アピタ名古屋駅店の先行試験店舗である。なお、当初の出店計画では「ユニー静岡伝馬町店」(SC名はシティサンテラス静岡)という名称であった。食料品売場を設けていたが、1987年春に廃止。 1989年(平成元年)に「生活創庫アピタ静岡店」と名を改めて再オープン、さらに1991年(平成3年)10月24日に「生活創庫静岡店」と改称された。コンセプトは後述の生活創庫アピタ名古屋駅店と同じだったが、後の生活創庫名古屋駅店と同様に採算の問題から2000年(平成12年)8月19日に閉店する[7]。閉鎖後は後継テナントが見つからないことから一旦空きビルとなっていたが、後にビルの管理者である地権者組合が直接運営に乗り出し、ファッションビル「5J」(FIVE-J〈ファイブ・ジェイ〉)に姿を変えた。2007年10月、東急モールズデベロップメントが商業フロアを全て貸借し、「SHIZUOKA 109」として営業を開始。その後の経済状況や周辺環境の変化を受け、2017年11月に「静岡東急スクエア」へと転換を図ったが、2023年(令和5年)7月17日に閉館(東急モールズデベロップメントはこれをもって同所から撤退)。閉館後は静岡伝馬町プラザビル直営の「けやきプラザ」が開業している。 雑貨創庫ユニー大口店1991年(平成3年)3月27日、神奈川県横浜市神奈川区に「雑貨創庫ユニー大口店」として開店した。食料品を扱いながら、当初は東急ハンズを模する店作りを行ったが、1993年9月から特色であったヨーロピアンカジュアルの旅行グッズや高級食器の取り扱いをやめるなど、雑貨売場面積の比率を下げて店名から「雑貨創庫」を外し、「ユニー大口店」として営業するようになった。「ピアゴ大口店」への改称を経て、「MEGAドン・キホーテUNY大口店」への業態転換を行った。後に、愛知県丹羽郡大口町のアピタ大口店がMEGAドン・キホーテUNYに業態転換することとなり、横浜の大口と愛知の大口の混同を避けるため「MEGAドン・キホーテUNY横浜大口店」に店舗名称が変更された。 生活創庫UNYイースト21店1992年(平成4年)9月3日、東京都江東区東陽に鹿島建設グループと共同開発した複合施設「東京イースト21」の核店舗「生活創庫UNYイースト21店」として、鹿島東京開発が運営する「イースト21モール」や「ホテルイースト21東京」と共に開業した[8]。ユニーでは東京23区内で初の出店となった[9]。売場は当初から建物の1階から4階まであった。 店舗面積約13,911m2で、2000年(平成13年)2月期に対前年比約5.3%減の売上高約135億円でユニー全店で第2位の売上高を上げていた[4]。 近隣にイトーヨーカドーやジャスコなどが進出して競争が激化したことに対応し、2004年(平成16年)4月10日に改装。品揃えの拡充と直営売場の一部専門店化を行って「アピタイースト21店」に改称した[10]。2007年(平成19年)8月19日閉店。 跡地の建物はそのまま、1階に後継として「クイーンズ伊勢丹東陽町店」が、2008年(平成20年)4月25日にオープンしたが、2009年(平成21年)8月に閉店。2009年(平成21年)11月21日に「サミットストアイースト21店」が後継として開店した[11]。2階以上は「ビジネスセンター」として独立区画した企業のオフィスとなっている。その際、階を結ぶエスカレーターを撤去している。 国内でのブランド復活2023年(令和5年)10月13日、長野県飯田市に所在する「アピタ飯田店」の住居関連売り場に直営インショップブランドとして『生活創庫』の名称を導入。約20年ぶりにブランド復活した[12]。 かつて存在した新業態店ユニーの新業態店の発想は顧客主導型ではなく、マーケティング主導型に転換し、未開拓のニーズを掘り起こすことにあった。店内においては掲示物を含め、昔からのGMS業態然とする「ユニー」名をほぼ徹底的に秘匿排除したため、ユニーが運営する店舗だとは思わない買い物客もいた[13]。 下記3店舗の試行錯誤を経て、のちの静岡市の「ライブアピタ」、江南市・岡谷市の「ビアアピタ」を経て、名古屋市(名古屋駅前の駅西)から始まった、「生活創庫」の業態として結実している。 ポアンカ福井1968年(昭和43年)9月、総合スーパーの「ほていや福井ショッピングセンター」として開店し、合併により「ユニー福井店」となった後、駅前都心立地型の同店を業態転換し、1983年(昭和58年)11月12日に中学・高等学校生向け衣料主力のファッションビルとして開店した[5]。 当初、「スペラダ(仮称)」として計画された「ポアンカ(PO・A・N・CA)」は、ヤングファッションをメインテーマにした「新業態」1号店であり、「Y・L・C・S(ヤング・ライフ・クリエイティブ・ストア)」を目指していた。同様の思想を持つ「アピタ業態」1号店、ギャラリエアピタ豊田店よりも早く開店している。アピタと異なり、ポアンカは食料品を扱わなかったため、ファッションビル(一例:パルコ)に近いタイプの店舗となった。 店内にミニFM局を開局したり、無料の会員制度『ポアンカメイト』で顧客を募り、月刊誌『ポアンカマガジン』を発行したりするなどティーンズ顧客層の開拓に努めた。店舗カラーはアピタのイエローと異なり、ライトパープルを採用していた。 店舗は4階建て地下1階。フロア構成は、B1に飲食店、ファンシー雑貨を、1Fはティーンズ、ヤング対象の婦人関係と生活雑貨、2Fはティーンズ、ミッシー対象の婦人関係、3Fはヤング対象の紳士関係、4Fはフリースペース、パソコンショップ、レコードショップ、ミニFMスタジオとなっていた。 ギャラリエアピタ豊田駅前立地型のユニー豊田店を25億円かけて増床リニューアルし、1983年(昭和58年)12月16日に開店する。ユニーのGMSタイプの新業態は同店が1号店となった。 店舗は6階建て地下1階。フロア構成は、B1に日用・生活雑貨を、1Fは食料品、2Fはキャリア、ミッシー対象の婦人関係、3Fはティーンズ、ヤング対象の婦人関係、4Fは紳士、ベビー・子供、5Fは文化品のほか、飲食ゾーンとなっており、当時の店舗全体は専門店業態を主にした、「ショップの集合体」であったことが特筆される。 ハートスタッフ豊橋駅前立地型のユニー豊橋店をリニューアルし、1984年(昭和59年)4月21日に開店する。スポーツ施設を併設した複合専門店ビルとなっていた。ハートスタッフは「気分はみな友達だ」というイメージから、ハート(心)とスタッフ(人)を組み合わせたものであり、若い人達や若くありたいと願う人達の生活時間の充実を創造してゆく店をストアコンセプトとしていた。社員はヤングライフクリエイターの肩書きを使い、スポーツを暮らしの中に取り入れて、心から楽しもうというスポーティマインドの提案活動を行った。 店舗は3階建て地下1階。フロア構成は全館直営で、B1にスポーツマインドを生かしたバラエティグッズを、1Fは男女共通のアメリカンカジュアル・ヨーロピアンカジュアル等の衣料品、2Fは文具・キッチンなどの日用・生活雑貨、3Fは会員制のトレーニングジム、エアロビクススタジオ、ロッカー・シャワールームとなっており、地下1階から2階までの物販部分は、ギャラリエアピタと同様に専門店業態を主体にしていた。 セレクトショップ下記店舗の一区画は、かつての生活創庫業態の一部を受け継いでいた。セレクトショップ2種(メゾンドマシェリ/ブロックス‐ファクトリー(アクセサリー・ファミリーカジュアル))・アンシャンテ(ファンシー雑貨)として残存していたが、2021年(令和5年)10月と12月、それぞれの該当フロアにUDリテール運営の「ドン・キホーテ」が導入されたことにより消滅した。 脚注
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