生野 賢一(しょうの けんいち、1984年〈昭和59年〉8月10日 - )は、日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属する元騎手・現調教助手。
経歴
競馬学校第19期生として、2003年(平成15年)に騎手免許を取得。同年に栗東音無秀孝厩舎所属として騎手デビュー。同期生に松岡正海、長谷川浩大、石橋脩などがいる。
初騎乗は同年3月8日中京競馬第5競走のクリスタルシオンで7着。同年4月5日の福島競馬第6競走を、ナムラテンニョで制し初勝利を挙げる。
2009年4月25日、福島牝馬ステークスをブラボーデイジーで制し、重賞初制覇。さらに5月17日のヴィクトリアマイルでも同馬に騎乗し、7年目にしてGI初出走。レースは単勝46.8倍の11番人気と低評価ながら、先行策から最後まで粘りこみ、GI初出走ながら連対を果たした。この年は結局4勝に終わったが、4勝はすべて特別レースで挙げており重賞を勝ったにもかかわらず平場レースでの勝ちが一度もないという珍しい結果になった。
2010年3月28日、阪神第8競走でファンドリゲットに騎乗し落馬、左大腿骨骨幹部骨折などの重傷を負う[1]。手術後は1週間意識が戻らず、脚の切断も危ぶまれたが、後遺症が残ることなく全快した[2]。
復帰後は騎乗数が激減、音無の勧めもあって2010年12月20日付けで騎手を引退し、同厩舎の調教助手となった[3]。最後の騎乗もブラボーデイジーとのコンビによる12月19日の愛知杯だった。
騎乗成績
|
日付 |
競馬場・開催 |
競走名 |
馬名 |
頭数 |
人気 |
着順
|
初騎乗 |
2003年3月8日 |
1回中京1日5R |
4歳上500万円下 |
クリスタルシオン |
16頭 |
7 |
7着
|
初勝利 |
2003年4月5日 |
1回福島1日6R |
4歳上500万円下 |
ナムラテンニョ |
12頭 |
6 |
1着
|
重賞初騎乗 |
2005年4月24日 |
3回京都2日11R |
アンタレスステークス |
エンシェントヒル |
16頭 |
3 |
11着
|
重賞初勝利 |
2009年4月25日 |
1回福島5日11R |
福島牝馬ステークス |
ブラボーデイジー |
16頭 |
7 |
1着
|
GI初騎乗 |
2009年5月17日 |
2回東京8日11R |
ヴィクトリアマイル |
ブラボーデイジー |
18頭 |
11 |
2着
|
年度 |
1着 |
2着 |
3着 |
騎乗数 |
勝率 |
連対率 |
複勝率
|
2003年 |
8 |
12 |
16 |
173 |
.046 |
.116 |
.208
|
2004年 |
14 |
4 |
7 |
160 |
.088 |
.113 |
.156
|
2005年 |
19 |
10 |
19 |
382 |
.050 |
.076 |
.126
|
2006年 |
10 |
7 |
7 |
169 |
.059 |
.101 |
.142
|
2007年 |
7 |
4 |
4 |
120 |
.058 |
.092 |
.125
|
2008年 |
2 |
4 |
2 |
98 |
.020 |
.061 |
.082
|
2009年 |
4 |
3 |
2 |
106 |
.038 |
.066 |
.085
|
中央 |
64 |
44 |
57 |
1208 |
.053 |
.089 |
.136
|
地方 |
0 |
0 |
0 |
5 |
.000 |
.000 |
.000
|
- 主な騎乗馬
- ブラボーデイジー(2009年福島牝馬ステークス、2009年ヴィクトリアマイル2着)
- エンシェントヒル(2006年ファイナルステークス)
脚注
関連項目