男らしさ男らしさ(おとこらしさ)は、性質、行動、体格、声などが、いかにも男であるように思われる状態であること。また、男はこうあるべきだといった観念群のことである。「女らしさ」という観念に対置されるもの。男振り、男っぷりともいう[1]。 概説「男らしさ」や「女らしさ」という概念は、ジェンダー(生まれつきの性によって人が社会の中でどのようなあり方をしているか)という名称で括られて研究されている。 今から数百年前は、肉体的な性別と、男としてのありかたを区別できず同一視するような論調が世に溢れていたが、近年のジェンダー研究によって(相対的に)文化的な影響もあるとされるようになってきている。今でも、かつてと同じように単純に生物学的差異(例えば脳の性差、ホルモンの違いなどの性格の傾向への影響)を強調(あるいは混同)する人もいる。無論、人間のありかたについては、文化的要素/生物的要素、その他様々な要素が、それぞれそれなりに影響を与え絡みあっているので、それらの影響の相対的な割合については、様々な学者から様々な指摘がなされている[要出典]。 なお、コミュニケーションのしかたについては、Deborah Tannen(en:Deborah Tannen)やJulia T. Wood(en:Julia T. Wood)らによって、男女差(「男らしさ」(「男のやりかた」)「女らしさ」(「女のやりかた」)があることが指摘されている。それが相互不理解、相互誤解のもとにもなっているという。詳しくは 「コミュニケーション#コミュニケーションの男女差」を参照のこと。 歴史産業革命期から第二次世界大戦後における男らしさとは、「男は弱音を吐かない、泣かない、女を守る」といったものから、男性を一方的に仕事や戦争に出すものまで様々な事例が存在し、その代償として男性優位(男性だけが大学などに進学できたり、社会の重要な職業に就くことが出来るなど)を得るものが多かった。 フェミニズム・保守層1970年代以降のフェミニズムは「男らしさ」批判を展開し、さらに保守層からは反論がおこった。こうした男らしさをめぐる論争は現在進行形で続いている。 フェミニズムやジェンダー論においては「男らしさ」「女らしさ」の具備を個々人に求める事が性差別を助長しているとする。それまでの男性優位の社会構造を改め、雇用や賃金の平等化など、両性平等の原則にのっとった社会政策が実施された。これによって女子の大学進学率などが向上したが、いっぽうで過渡的措置として女子優遇政策をとる場合があり、それも保守層の批判の的となった。 保守層からの批判とは、フェミニズム政策や「らしさ」の消失によって、少年達に様々な問題が露出しはじめ、少年達は真面目に勉学に励むという事をしなくなり、北欧やアメリカで男子生徒の成績は急激に低下したとするものである(→ガールパワー)。様々な科目で少女達に遅れをとり、大学進学率も低下したと主張し、イギリスはこの男子の学業不振を社会問題として捉え、男らしさに基づいた教育制度が実施される事になった。アメリカでも同様に少年犯罪や学業低下を問題視し、「真に男らしい男とは責任感と弱者をいたわるジェントルマン精神を持つ男である」として男らしさを復活させようという運動がある[要出典]。 「男らしさ」の具体例地域によって様々な違いがある。男性の精神的特徴(論理的、リーダーシップ)をとらえて規定するものもあり、肉体的特徴(筋肉質、高身長、強さ)をとらえて規定するものもある[2]。 イギリスイギリスでは古くは騎士道にのっとった生き方が男らしい、と思われていた。その後、紳士的(ジェントルマン)であることが最大の男らしさと考えられていた。紳士道からレディーファーストの理念も発達し、ただ力を誇示するだけでなく、女性を尊重してこそ誠に男らしいとされる文化が発達した[要出典]。 フランスフランスでは早い段階で、男性らしさや女性らしさより、個性や人間らしさが評価されるようになった[要出典]。 日本幕末、明治時代 第二次世界大戦前から戦後しばらくの間などは、例えば、以下のようなもの。
第二次世界大戦後、高度成長期、現代において
「男らしい人が好み」と言う女性に「具体的にはどんな人ですか?」と質問すると、千差万別な答えが返ってくることがSPA!などの記事に取り上げられている。日本では男らしさのイメージは千差万別であり、万人が認めるような男らしさの概念が確立されているわけではない[要出典]。 たとえば、家庭環境でそのイメージがどれほど異なるか下に例を挙げる。
「男らしさ」は従来、男性側が自分の心で思い描いた自己像が多いが、現代の日本の社会では、女性の権利・発言力が増したので、自己中心的な考えの女性が自分にとって都合の良い男性像ばかりを延々と語るようになった[要出典]。 [例 1]
男らしさへの批判フェミニズムフェミニストは男らしさ、女らしさを後天的に作られた男尊女卑的な性役割、「男らしさ」なるものは男性が強者としての立場から女性や弱者に一方的な「優しさ」を押し付けるパターナリズムとして否定し「らしさからの解放」を掲げている[要出典]。 男性による批判男らしさは男性の負担になるとして、男性自ら排除しようとする人々も数多く存在する。また、近年「女らしさ」の要求はタブー視されてきているのに、「男らしさ」への要求は今なお当然とする向きが残っていることに反発する意見も多い[要出典]。 男らしさのコスト「男らしさのコスト」(the cost of masculinity)とは,マイケル・メスナー(en:Michael Messner)が提起した「男性は地位や特権と引き換えに,狭い男らしさの定義に合致するために―浅い人間関係,不健康,短命という形で―多大なコストを払いがちである」[4] という視点である。
脚注注釈
用例
出典
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