畑 良太郎(はた りょうたろう、慶応3年2月30日(1867年4月4日) – 昭和12年(1937年)4月5日[2][3][4])は、日本の外交官。駐ブラジル公使。駐スウェーデン公使。錦鶏間祗候。正三位勲一等[2]。
経歴
信濃国(後の長野県)出身[3][4]。1890年(明治23年)、帝国大学法科大学独法科を卒業し[4]、外務省試補となった。1892年(明治25年)より駐オーストリア公使館交際官試補、駐オランダ公使館三等書記官、駐ドイツ公使館二等書記官、同一等書記官を歴任。1908年(明治41年)に外務書記官となり、さらに駐ドイツ大使館参事官になった。
その後、駐ブラジル公使、駐スウェーデン公使を歴任した。退官後の1925年(大正14年)に錦鶏間祗候となった。
栄典
- 位階
- 勲章
親族
- 父:成國 - 海軍大軍医
- 母:たき
- 妹:たまき - 飯田久恒の妻
- 妻:てる
- 子:良一
脚注
- ^ a b 『官報』第3076号、昭和12年4月7日、266頁。
- ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus. “畑良太郎”. コトバンク. 朝日新聞社・VOYAGE GROUP. 2017年6月25日閲覧。
- ^ a b c 20世紀日本人名事典. “畑 良太郎”. コトバンク. 朝日新聞社・VOYAGE GROUP. 2017年6月25日閲覧。
- ^ 『官報』第2776号「叙任及辞令」1892年9月27日。
- ^ 『官報』第3142号「叙任及辞令」1893年12月18日。
- ^ 『官報』第4790号「叙任及辞令」1899年6月21日。
- ^ 『官報』第6196号「叙任及辞令」1904年3月1日。
- ^ 『官報』第1866号「叙任及辞令」1918年10月22日。
- ^ 『官報』第3745号「叙任及辞令」1925年2月18日。
- ^ 『官報』第5848号「叙任及辞令」1902年12月29日。
参考文献
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弁理公使/全権公使(ペトロポリス駐在) |
- 珍田捨巳弁理公使1897-1899
- 大越成徳弁理公使→全権公使1899-1903
- 堀口九萬一臨時代理公使1903-1904
- 杉村濬全権公使1904-1906
- 内田定槌全権公使1906-1911
- 藤田敏郎臨時代理公使1911-1913
- 畑良太郎全権公使1913-1918
- 公使館移転
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全権公使(リオデジャネイロ駐在) | |
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全権大使(リオデジャネイロ駐在) | |
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全権大使(東京駐在) |
- 石射猪太郎1942-1944(実質的には待命大使)
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全権大使(リオデジャネイロ駐在) | |
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全権大使(ブラジリア駐在) | |
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