相原駅
相原駅(あいはらえき)は、東京都町田市相原町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)横浜線の駅である。駅番号はJH 29。 歴史「相原」は、境川を挟んで東京都町田市側と神奈川県相模原市側に跨る地名である。「相原」という駅名は、開設当時にこの駅周辺が東京府南多摩郡堺村相原に属していたことによる。 橋本のある神奈川県側の高座郡相原村も相原駅の駅勢圏に含まれると想定されたため、橋本駅の設置は当初計画にはなかった。しかし橋本地区の人々が駅の設置運動を起こし、用地を寄付したため駅が設けられた。橋本駅はこの相原駅とわずか1.9kmしか離れておらず、当時としては近接した駅間距離となったのはそのような経緯があるためである。 開業当時は、車両の留置線や乗務員の宿泊設備があったことから、深夜と早朝に当駅を終着、始発とする列車が運転されていた。留置線の跡地は西口広場や駐輪場等になっているものの、一部の箇所に空き地が残り、当時の様子を垣間見ることができる。 大正末期には南津電気鉄道の途中駅として乗り入れが計画され、接続駅となる予定だった。鉄道免許も交付されていたが、昭和初期に起こった世界恐慌の影響で事業者が倒産し、計画は現在に至るまで進展していない[4]。 年表
駅構造相対式ホーム2面2線を有する地上駅で、橋上駅舎を有している。 八王子統括センター(八王子駅)管理のJR東日本ステーションサービスが駅業務を行う業務委託駅で[2]、駅舎には自動券売機・多機能券売機[3]・指定席券売機[3]・自動改札機が設置されている。みどりの窓口は2010年2月28日に営業を終了した。 現在の駅舎は2003年(平成15年)に竣工したもので、自由通路の使用開始は同年の5月31日、駅舎部分は6月1日に使用を開始した。以前は1934年(昭和9年)に建設された木造平屋の駅舎があり、2003年時点では横浜線内で最も古い駅舎だった。当時は1番線に東口が直結し、1番線は階段を利用せずに乗降が可能だった。2番線には西口が直結していたが、数段の階段があり営業時間は朝夕の一部時間帯に限られていた。両ホームの間は駅舎の八王子寄りにある跨線橋(上下の移動は階段のみ)で連絡していた。 横浜線の列車編成が全線7両に増強される際にこの(前)跨線橋が建設されたが、それ以前は上下ホーム間は構内踏切で連絡していた。この上に有効長7両編成分の増設ホームが造られたため、ホームの基礎構造が異なる部分が見られる。 一部時間帯を除き遠隔対応のため改札係員は不在となるため[3]、乗車駅証明書発行機が設置されている。この時間帯は客からの問い合わせに応じられなかったが、2014年(平成26年)2月2日より駅遠隔操作システム(現・お客さまサポートコールシステム)が導入され、インターホンを通じて案内をすることが可能となった[報道 2]。 のりば
(出典:JR東日本:駅構内図)
利用状況2023年度(令和5年度)の1日平均乗車人員は9,645人である。横浜線内では片倉駅、小机駅に次いで3番目に少ない(20駅中18位)。 1978年度(昭和53年度)以降の1日平均乗車人員の推移は下表の通り。
駅周辺町田駅付近からの横浜線は、東京都および神奈川県の都県境附近を縫うように走っており、また東京都町田市の市域は南東から北西に細長く延びているため、駅の所在地でいうと東京都町田市の町田駅を出ると古淵駅、淵野辺駅、矢部駅、相模原駅、橋本駅と神奈川県相模原市内の駅が続いてから当駅で再び町田市の駅となる。神奈川県との都県境は直線距離でこの駅から南に300m未満である。 当駅の周辺には大学の進出があり、また駅周辺の宅地化も進んでいる。駅南側には都道47号線(町田街道)が、駅東側には旧都道171号線[6]が通る。駅から東へ600mほど行くと八王子バイパスの相原インターチェンジがある。 2018年現在、駅南側にある大戸踏切[7]を撤去すべく、東京都が事業主体となり、単独立体交差事業(アンダーパス工事)を実施している[報道 4]。
バス路線
これまでバス乗り場は相原停留所のみだったが、町田市が相原駅西口広場の整備工事を進め、2016年3月28日から一部路線の乗り入れが開始された[報道 5]。 また同時に相原停留所は折返場が閉鎖され、町田街道の路上に停留所が移設された。 隣の駅脚注記事本文注釈出典
報道発表資料
利用状況
関連項目外部リンク
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