石原三起子石原 三起子(いしはら みきこ、1909年(明治42年)3月3日 - 1999年(平成11年))は、元福島県教育委員会委員長。観世流名誉師範。夫石原幹市郎は自治大臣、福島県知事を務めた。元衆議院議員、元参議院議員の石原健太郎の母。父井上孝哉は戦前の内務次官、衆議院議員、各府県知事を歴任。 略歴
衆議院議員選挙出馬1958年5月22日投開票の第28回衆議院議員総選挙に、夫・幹市郎が所属した派閥の領袖大野伴睦より勧められ、衆議院の福島1区に出馬を決意、立候補するが次点に終わる。この選挙には同じく新人の天野光晴が前福島県知事の大竹作摩の支援を受け、河野一郎派から出馬当選している。三起子の衆議院議員選挙の出馬・落選により、福島1区での夫・幹市郎の基盤に陰りが生じ、参議院議員選挙落選へとつながっていく(幹市郎の引退後は息子や孫が地盤を引き継いでいる)。 受賞歴関連人物 |