秦野警察署(はだのけいさつしょ)は、神奈川県警察が管轄する警察署の一つである。
概要
相模方面本部隷下、第五方面に属する中規模警察署であり、署長の階級は警視。識別章所属表示はGE。
居住人口およそ16万人の秦野市全域の治安を担う。丹沢山系の護り手であることから当署では山岳救助隊が編成される。
管轄区域内に指定暴力団稲川会系組事務所が存在する。
所在地
管轄区域
沿革
- 1868年(明治元年)頃 - 曽屋村(現在の秦野市本町地区)には伊セ原警察署秦野分署が設置されていた[1]。
- 1876年(明治9年)
- 6月3日 - 曽屋村の大火により焼失。乳牛地区の天徳寺に臨時の事務所を設置[1]。
- 10月 - 曽屋村2377に小田原警察署曽屋巡査屯所として開署[2][3]。
- 1877年(明治10年)12月 - 内務省達により小田原署曽屋分署に改称[2][4]。
- 1878年(明治11年)5月 - 新庁舎落成[3]。
- 1887年(明治20年)1月 - 小田原警察署から分離独立して大住郡警察署が発足[5]し、大住郡警察署曽屋分署になる。大住郡のうち29ヶ村を管轄[6][7]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 曽屋村、上大槻村等が合併して大住郡秦野町が発足。
- 1893年(明治26年)12月 - 警察区画改正の県令により大磯警察署秦野分署になる[2][4]。秦野町、東西南北秦野村と大根村を管轄[3][8]。
- 1923年(大正12年)9月1日 - 関東大震災により秦野分署全焼[4]。当日は警察庁舎裏の空き地を仮の警察署とし、翌朝に曽屋小学校に移動して同時に避難所とした[1]。
- 1926年(大正15年)6月 - 分署廃止勅令により秦野警察署に昇格[2]。
- 1945年(昭和20年)9月17日 - 終戦に伴い進駐軍平塚駐留部隊の一部20名が秦野に移駐し、翌年1月17日まで4か月滞在。当初の10日間は警察署の2階に宿泊し、その後は横浜興信銀行(後の横浜銀行)秦野片町支店を接収した。撤退後は小田急大秦野駅(現・秦野駅)前と秦野橋(大川橋)に歩哨所が置かれた[9][10]。
- 1948年(昭和23年)[9]
- 3月5日 - 秦野町・南秦野町で自治体警察設立の条例がそれぞれ可決(発足日は不詳)。秦野町警察署(秦野町曽屋2377、中西地区署の2階)、南秦野町警察署(南秦野町今泉598、南秦野町役場の2階)が設立される[11]。
- 3月7日 - 警察法施行。従来の秦野警察署は国家地方警察神奈川県中西地区警察署に改称し、東西北秦野村と大根、土沢、旭、金目村を管轄[3]。
- 5月31日 - 秦野町議会で南秦野町との警察合併の動議が可決。
- 7月28日 - 南秦野町議会でも合併の議案が可決。
- 1949年(昭和24年)
- 1月1日 - 両町の警察が合併し、組合警察となり名称が秦野警察署になる[12]。
- 6月 - 組合警察が新庁舎に移転(南秦野町今泉77-1)。
- 1951年(昭和26年)[9]
- 8月30日 - 財政上の問題から、秦野町議会で組合警察を維持しないことについての住民投票の実施を可決。
- 9月6日 - 南秦野町議会でも同議案を可決。
- 10月1日 - 住民投票の結果を受けて自治体警察の秦野警察署を廃止し、管区を国家警察中西地区警察署に移管。秦野地区警察と改称[2][3][11]。
- 1954年(昭和29年)7月1日 - 警察法の改正に伴い、神奈川県警察が発足[2]。神奈川県秦野警察署となる。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 秦野市が発足。
- 1963年(昭和38年)
- 3月 - 鉄筋コンクリート3階建ての新庁舎が完成(桜町1-4-6、現在の桜町交番の位置)[2]。
- 4月27日 - 移転[9]。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 新庁舎が完成、移転(新町5-5)[6]。
- 2022年(令和4年)3月31日 - 南矢名交番を廃止[13]。
組織
(8課体制)
- ※「神奈川県警察の組織に関する規則(昭和44年神奈川県公安委員会規則第2号)」を参考にした。
交番・駐在所
- 秦野駅前交番
- 渋沢交番
- 鶴巻交番
- 東海大学駅前交番
- 南が丘交番
- 桜町交番
- 南矢名交番
- 斉ヶ分駐在所
- 名古木駐在所
- 東田原駐在所
- 菩提駐在所
- 戸川駐在所
- 堀西駐在所
- 菖蒲駐在所
廃止された交番
- 南矢名交番 秦野市南矢名947番地3 - 東海大学駅前交番に統合され2022年3月末廃止[14]
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主な未解決事件
脚注
- ^ a b c 落合政一『秦野誌並震災復興誌』落合政一、1925年、95-98,220頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/983209/1/60。
- ^ a b c d e f g 増田武夫『これが秦野だ』近代文芸社、1982年9月、102-103,130-131,149頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/9539505/1/55。
- ^ a b c d e 『神奈川県中郡勢誌』神奈川県中地方事務所、1953年、202-204頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/3013492/1/119。
- ^ a b c 神奈川県警察史編さん委員会 編『神奈川県警察史 上巻』神奈川県警察本部、1970年、291,470,929頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/9768830/1/169。
- ^ 道路交通研究会 編『月刊交通 第31巻 第5号 通巻369号』東京法令出版、2000年5月、96頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/2836264/1/51。
- ^ a b “沿革/秦野警察署/神奈川県警察”. 神奈川県警察. 2024年8月15日閲覧。
- ^ 大蔵省印刷局 編『官報1886年12月16日』日本マイクロ写真、1886年12月16日、168-169頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/2944274/1/3。
- ^ 『神奈川県誌』神奈川県、1913年、523-524頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/1875538/1/280。
- ^ a b c d 『秦野市史 通史 4 (現代)』秦野市、1988年12月、12-16,162-169,745頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/9523009/1/392。
- ^ 『秦野市史 第6巻 (現代史料)』秦野市、1986年3月、13-20頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/9522922/1/36。
- ^ a b 神奈川県警察史編さん委員会 編『神奈川県警察史 下巻』神奈川県警察本部、1974年、542-543,547,609-610,780頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/9768832/1/291。
- ^ 警察法研究会 編『警察法の綜合的研究』立花書房、1949年、282-291頁。https://dl.ndl.go.jp/pid/2981337/1/154。
- ^ 「長者町、田浦、南矢名…8交番廃止へ 県警2021年度末」神奈川新聞 2021年2月26日閲覧
- ^ 「来年3月までに南矢名交番が統合へ」『タウンニュース』2021年4月16日。2024年11月23日閲覧。
外部リンク