藤本 勝巳基本情報 |
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国籍 |
日本 |
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出身地 |
和歌山県日高郡みなべ町 |
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生年月日 |
(1937-08-08) 1937年8月8日(87歳) |
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身長 体重 |
175 cm 77 kg |
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選手情報 |
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投球・打席 |
右投右打 |
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ポジション |
一塁手、外野手 |
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プロ入り |
1956年 |
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初出場 |
1956年9月21日 |
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最終出場 |
1967年10月15日 |
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経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) |
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藤本 勝巳(ふじもと かつみ、1937年8月8日 - )は、和歌山県出身の元プロ野球選手(内野手、外野手)。
経歴
プロ入り前
和歌山県立南部高等学校では、控え投手として1954年春季近畿大会県予選決勝に進むがエース前岡勤也を擁する新宮高に逆転負け。同年秋季近畿大会県予選でも準決勝に進むが、日高高に敗退した。
現役時代
1955年に各球団の注目の的であった前岡勤也をマークしていた青木一三スカウトが、藤本の将来性に目を付け入団交渉。卒業後の1956年に投手として大阪タイガースに入団するが、すぐに外野手に転向。1957年は右ひじ骨折のケガがありながらも61試合に出場し、9月には渡辺博之に代わり一塁手の定位置を得る。1958年は開幕から六番打者として起用され、124試合に出場し、初めて規定打席(打率.225、リーグ25位)に達する。同年5月28日の大洋戦では1試合3失策を犯している[1]。1959年は四番打者に定着。6月25日の天覧試合では、6回表に藤田元司から試合を一時引っ繰り返す逆転2点本塁打を放つが、その後同点に追いつかれ、9回裏に長嶋茂雄がサヨナラ本塁打を放ち、藤本はヒーローになり損ねている。また、同年にはオールスターゲームにファン投票で選抜されるも、7月25日の対広島カープ戦で大石清から顔面に死球を受けて入院したため、出場できなかった[2]。シーズンでは打率.278(リーグ9位)、24本塁打の好記録を残し、ベストナインに選ばれる。1960年は遠井吾郎に一塁手を任せ、開幕から右翼手に回るが打撃は好調。シーズン後半には一塁手に戻り、森徹らを抑えて本塁打王(22本塁打)、打点王(76打点)の二冠を獲得した。1961年は打率.300(リーグ3位)の好記録を残し、自身2度目のベストナインに選ばれる。1962年も中心打者として初のリーグ優勝に貢献し、東映フライヤーズとの日本シリーズでは全7戦に四番打者として出場。チームは敗退したが33打数11安打2本塁打6打点と活躍した。同年10月25日に島倉千代子と婚約。テレビで島倉の容姿に惚れた藤本が、新聞記者から島倉の自宅電話番号を聞き出し、島倉に直接電話をかけてデートに誘ったのが交際のきっかけとされる[3]。
しかし1963年は打撃不振に陥り、8月には故障もあり欠場、遠井に一塁手のレギュラーを明け渡す。同年12月5日に島倉千代子と結婚した(媒酌は藤本定義夫妻)。1964年は遠井と併用され2度目のリーグ優勝を果たすが、南海ホークスとの日本シリーズでは3試合に代打で起用されるにとどまる。1965年も遠井との定位置争いが続くが、翌1966年以降は出場機会が減少。1967年の最終戦に一塁手、五番打者として先発出場した後、同年限りで現役引退。
引退後
引退後は1968年1月に大阪市心斎橋にクラブ「藤」を開店するが、同年5月に島倉と離婚。1970年11月に佳代子夫人と再婚し、翌1971年9月からスナック「ジャガー」を経営した[4]。
選手としての特徴
荒削りだが、バットの真芯で捉えた打球はピンポン球のように弾む、抜群の腕力から放つ本塁打が魅力だった[5]。藤本定義からは「一見して不器用に見えるが実は身体は軟らかく、バッティングがナイーブ」と評された[6]。
人物
1957年に巨人戦で安打を打って一塁に立った際、川上哲治から「この世界で悔いのないようにやりなさい」と声をかけられる。藤本はこれに対して直立不動で大声で「ハイッ!ありがとうございますッ!」と答え、以来「悔いのない人生」を座右の銘とした[6]。
詳細情報
年度別打撃成績
年
度 |
球
団 |
試
合 |
打
席 |
打
数 |
得
点 |
安
打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁
打 |
打
点 |
盗
塁 |
盗 塁 死 |
犠
打 |
犠
飛 |
四
球 |
敬
遠 |
死
球 |
三
振 |
併 殺 打 |
打
率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S
|
1956
|
大阪 阪神
|
2 |
2 |
2 |
1 |
1 |
1 |
0 |
0 |
2 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
0 |
1 |
0 |
.500 |
.500 |
1.000 |
1.500
|
1957
|
61 |
147 |
140 |
13 |
35 |
3 |
1 |
8 |
64 |
24 |
1 |
1 |
0 |
1 |
5 |
0 |
0 |
32 |
4 |
.250 |
.274 |
.457 |
.731
|
1958
|
124 |
410 |
378 |
35 |
85 |
14 |
2 |
16 |
151 |
49 |
2 |
4 |
0 |
4 |
27 |
5 |
1 |
83 |
11 |
.225 |
.276 |
.399 |
.675
|
1959
|
127 |
502 |
450 |
54 |
125 |
19 |
4 |
24 |
224 |
81 |
4 |
4 |
0 |
5 |
45 |
4 |
2 |
63 |
8 |
.278 |
.343 |
.498 |
.840
|
1960
|
119 |
474 |
413 |
56 |
104 |
17 |
3 |
22 |
193 |
76 |
3 |
1 |
1 |
5 |
53 |
8 |
2 |
69 |
8 |
.252 |
.336 |
.467 |
.803
|
1961
|
108 |
421 |
370 |
36 |
111 |
16 |
2 |
8 |
155 |
41 |
6 |
3 |
0 |
4 |
46 |
4 |
1 |
58 |
10 |
.300 |
.375 |
.419 |
.794
|
1962
|
121 |
475 |
429 |
44 |
110 |
13 |
1 |
15 |
170 |
57 |
0 |
0 |
0 |
2 |
40 |
4 |
3 |
66 |
11 |
.256 |
.323 |
.396 |
.719
|
1963
|
61 |
204 |
175 |
12 |
38 |
3 |
0 |
5 |
56 |
15 |
0 |
1 |
0 |
3 |
24 |
0 |
2 |
24 |
8 |
.217 |
.314 |
.320 |
.634
|
1964
|
83 |
214 |
177 |
19 |
50 |
6 |
0 |
7 |
77 |
34 |
2 |
2 |
0 |
3 |
34 |
2 |
0 |
36 |
5 |
.282 |
.393 |
.435 |
.828
|
1965
|
110 |
319 |
290 |
23 |
65 |
14 |
0 |
5 |
94 |
29 |
3 |
3 |
0 |
2 |
23 |
0 |
4 |
55 |
9 |
.224 |
.288 |
.324 |
.613
|
1966
|
66 |
119 |
100 |
6 |
21 |
6 |
0 |
1 |
30 |
9 |
1 |
0 |
0 |
0 |
18 |
0 |
1 |
30 |
1 |
.210 |
.336 |
.300 |
.636
|
1967
|
51 |
62 |
55 |
4 |
11 |
1 |
0 |
2 |
18 |
5 |
0 |
0 |
0 |
0 |
7 |
1 |
0 |
18 |
0 |
.200 |
.290 |
.327 |
.618
|
通算:12年
|
1033 |
3349 |
2979 |
303 |
756 |
113 |
13 |
113 |
1234 |
420 |
22 |
19 |
1 |
29 |
322 |
28 |
16 |
535 |
75 |
.254 |
.327 |
.414 |
.741
|
- 各年度の太字はリーグ最高
- 大阪(大阪タイガース)は、1961年に阪神(阪神タイガース)に球団名を変更
タイトル
表彰
背番号
- 53 (1956年 - 1957年)
- 5 (1958年 - 1967年)
登録名
- 藤本 克巳 (ふじもと かつみ、1956年 - 1957年)
- 藤本 勝巳 (ふじもと かつみ、1958年 - 1967年)
脚注
参考文献
- 近藤唯之『背番号の消えた人生』新潮文庫、1985年
- 『日本プロ野球 歴代名選手名鑑』恒文社、1976年
- 『猛虎大鑑1936-2002 スーパー・カタログ・阪神歴代成績上位「打者200人&投手100人」 完全保存版』(BBmook スポーツ・スピリット21)』ベースボール・マガジン社、2002年
関連項目
外部リンク
業績 |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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