重盛寿治重盛 寿治(しげもり としはる、1901年4月29日 - 1997年12月14日)は日本の労働運動家。政治家。参議院議員(2期)、衆議院議員(1期)。 来歴長野県上伊那郡西箕輪村(現伊那市)生まれ。大正8年(1919年)旧制蔵前工業専修学校(東京工業大学附属科学技術高等学校)建築学科卒業。昭和9年(1934年)東京市電気局自動車課に入局し、同年の労働争議に参加。同14年(1939年)東京交通労働組合の大会で常任委員に就任し、翌15年(1940年)同組合中央執行委員長に就任。 同20年(1945年)日本社会党に参画し、前記の労働組合を再建し、初代中央執行委員長に就任。同25年(1950年)第2回参議院議員通常選挙に東京都選挙区から出馬し初当選[1]。参議院議員を2期務め、同37年(1962年)第6回参議院議員通常選挙で落選[1]。翌同38年(1963年)第30回衆議院議員総選挙に東京4区から出馬、当選し[2]衆議院に鞍替えした。衆議院議員を1期務め、同42年(1967年)第31回衆議院議員総選挙で落選[2]。同46年(1971年)中央労働災害防止協会監事、同47年(1972年)目黒ターミナルビル社長。 1997年12月14日、老衰のため東京都中野区の慈生会病院で死去、96歳[3]。死没日をもって正四位に叙される[4]。 栄典脚注参考文献
|