野のなななのか
『野のなななのか』(ののなななのか)は、2014年の日本のドラマ映画である。監督は大林宣彦、主演は品川徹と常盤貴子が務めている[1]。『この空の花 長岡花火物語』の姉妹編にあたる[2]。タイトルの「なななのか」は四十九日を指す[2]。舞台は北海道芦別市[3]。 あらすじ北海道芦別市、95歳で亡くなった一人の男。葬儀のため、久しぶりに親族たちが芦別に集まる。なななのか=四十九日までの間、中原中也の詩を織り交ぜながら、過去と現在、生者と死者とが複雑に入り混じる中、男の青春時代と初恋、そして敗戦後の樺太での凄絶な体験が浮かび上がる。 キャスト鈴木家とその関係者
光男の関係者
芦別の人々
そのほか
製作本作製作の起点は1993年に北海道の芦別市で始まった「星の降る里芦別映画学校」である[3][4][5][6]。同校は鈴木評詞が15歳の時に大林監督の映画に憧れて、「いつか自分の故郷で監督に映画を撮ってほしい」と考え、その後芦別市役所の観光課に就職し、大林に映画学校の設立と協力を直訴し作ったものであった[3][4][5][6]。しかしこの映画学校は開校当初は上手くいかず。ようやく軌道に乗り出したのは、皮肉なことに1997年に鈴木が36歳の若さで亡くなった後のことだった[3]。彼の遺志を継ごうと、芦別の多くの人々がこの映画学校の運営に参加するようになり、芦別を舞台にした映画『野のなななのか』へとつながった[3][4][5]。 製作費のうちおよそ8割が芦別市民の寄付による、いわば市民自主制作映画[5]。原作もこの企画のための書き下ろしである。1993年から20年にわたって開催された「芦別映画学校」の集大成として製作された。これは、芦別市民有志主催の年一回の映画イベントで、大林宣彦が「校長」をつとめていた[3]。市民有志は舵取りの鈴木を失い、どうしようかと悩んだが、鈴木の弔い合戦と意を決し、「自分たちの町が映画のメインロケ地になるなんて、一生に一度あるかないか。合い言葉は『一生に一度の苦労をみんなでしようぜ』」と映画製作に協力した[6]。作品の冒頭で、このイベントの発案者であり、大林を招聘した人物でもある芦別市職員・鈴木評詞(1997年没)への献辞がある。 脚本長谷川孝治原作の『なななのか』は、家で四十九日をしているという話で[7]、広大な芦別の野原を思い浮かべると、家の中のなななのかより、『野の』つけて野原でなななのかをやる方がいいんじゃないかな、と大林恭子が大林宣彦に進言した[7]。 キャスティング常盤貴子の主演、大林作品初参加は以下の経緯による。常盤は『ふたり』を封切時に観て以降、大林監督の大ファンになり、デビュー間もない頃、「黒澤明監督と大林監督の映画に出たい」と映画雑誌のインタビューで話していた[8]。しかし常盤はその後、テレビドラマで多くの主演を張るトップ女優となり、そのインタビューを見ていた大林サイドも常盤の事務所に出演オファーを出してはいたが実現しなかった[8]。常盤は2009年のNHK大河ドラマ『天地人』で、長岡市出身のお船の方を演じたことから、その年の長岡まつりに招待され、花火に大感激し、2年後、プライベートで長岡花火に訪れた。そこへ『この空の花 長岡花火物語』の撮影クルーが来ていて、常盤の方から大林監督に挨拶して「ファンです」と伝えたところ、大林が「いつか一緒に映画をやろうね」と応え、それが本作で実現した[8]。 上映2014年1月31日、本作の完成披露試写会が行われた[9]。3月2日、ゆうばり国際ファンタスティック映画祭のクロージング作品として上映された[10]。5月10日に北海道で先行公開[11]、5月17日に全国公開された[12]。 評価中山治美は、「日本に不穏な空気が流れる今、大林監督はあえて自主映画でメッセージ性の強い作品を世に放つ。その覚悟と迷いのなさが力強い映像と言葉になって、観る者を圧倒する」と述べて、本作に5点満点の5点を与えた[13]。古賀重樹は、「戦争体験の風化が進む現代の日本人に対する危機意識」が本作の根底にある、と指摘した[14]。佐野亨は「近年の日本映画のなかでも最も独創的かつ刺激的な傑作」と評した[15]。五十嵐太郎は、本作での常盤貴子と安達祐実を評価した[16]。 第6回TAMA映画賞にて、最優秀作品賞を受賞した[17]。第29回高崎映画祭では、最優秀作品賞と特別大賞を受賞したほか[18]、常盤貴子が最優秀主演女優賞を受賞した[18]。第88回キネマ旬報ベストテンにて、日本映画の第4位に選ばれた[19]。第24回日本映画プロフェッショナル大賞では、ベストテンの第5位に選ばれたほか[20]、品川徹が本作での演技および長年の俳優活動により特別賞を受賞した[20]。 脚注
外部リンク |