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高岡町 (宮崎県)

たかおかちょう
高岡町
去川のイチョウ
廃止日 2006年1月1日
廃止理由 編入合併
田野町佐土原町高岡町宮崎市
現在の自治体 宮崎市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 宮崎県
東諸県郡
市町村コード 45381-1
面積 144.58 km2
総人口 12,172
推計人口、2005年12月1日)
隣接自治体 宮崎市、国富町綾町宮崎郡田野町、北諸県郡高城町山之口町西諸県郡野尻町
町の木 イチョウ
町の花 ウメ
高岡町役場
所在地 880-2292
宮崎県高岡町大字内山2887番地
宮崎市高岡総合支所(2009年)
宮崎市高岡総合支所(2009年)
座標 北緯31度57分25秒 東経131度17分50秒 / 北緯31.95681度 東経131.29714度 / 31.95681; 131.29714 (高岡町)座標: 北緯31度57分25秒 東経131度17分50秒 / 北緯31.95681度 東経131.29714度 / 31.95681; 131.29714 (高岡町)
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高岡町(たかおかちょう)は2005年(平成17年)12月31日まで宮崎県の中部に存在していたである。古くは郡役所が置かれ、出先機関も集まる東諸県地区の中心地であった。2006年(平成18年)1月1日宮崎市に編入され、宮崎市の合併特例区となり、5年後の2011年(平成23年)には地域自治区に移行した。

地理

町の中央を東西に大淀川が流れている。平地部は主に大淀川沿いにあり、それを挟むように全体的に低めの山地が広がっている。

当地域は、古くは「久津良(くつらみょう)」と呼ばれ、日向伊東氏伊東四十八城の1つ内山城があった[1][2]。その後薩摩島津氏支配下となり、同氏が1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦いに敗れて以降、当地域は勢力圏東辺部防衛の要衝として重視され、内山城を天ヶ城と改称して麓に配下の武士730余戸を移住させた。これ以後、薩摩外城制における「高岡郷」として発展することとなった[3]。高岡の麓(ふもと)地区には現在も武家屋敷の門や石垣など、当時の街並みが残されている[4]

歴史

  • 1889年5月1日 - 町村制施行に伴い東諸県郡高岡町、高浜村、花見村、五町村、内山村、浦之名村、飯田村が合併し高岡村が発足。
  • 1920年4月1日 - 高岡村が町制施行し高岡町となる。
  • 1942年3月27日 - 狩野地内で宮崎駅小林町行きの省営バスが大淀川に転落。死者5人、重軽傷者28人。対向車を避けた場所の地盤が緩く14mの崖から転落したもの[5]
  • 1948年
    • 4月1日 - 字野崎を分離し宮崎郡田野村に編入。
    • 9月15日 - 字東原・鹿毛を分離し田野村に編入。
  • 1955年3月10日 - 西諸県郡野尻町大字紙屋の瀬越地区を編入。
  • 1955年4月1日 - 高岡町・東諸県郡穆佐村が合併し高岡町を新設。
  • 1990年12月20日 - 宮崎市と境界変更。
  • 2002年1月30日 - 宮崎市と境界変更。
  • 2006年1月1日 - 宮崎市に編入され合併特例区「高岡町」となる。
  • 2011年1月1日 - 合併特例区の設置期間が終了し地域自治区「高岡」となる。

行政

  • 区長(兼・高岡区域担当助役):加藤忠芳(2006年から2年間)
  • 宮崎市との合併問題で前町長に対するリコールが起き、2005年3月20日に住民投票が行われ、賛成多数で解職された。
町長

経済

産業

基幹は農業である。特にミカンキュウリの生産が目立つ。

姉妹都市・提携都市

地域

地名

地名については宮崎市の地名#平成の大合併を参照。

教育

保育園・幼稚園

小学校

中学校

交通

鉄道

町内を鉄道路線は走っていない。最寄り駅は、JR九州日豊本線宮崎駅または南宮崎駅

路線バス

南宮崎駅向かいの宮交シティバスセンターから宮崎交通バス宮林線が毎時1本程度、同町までの区間便も毎時1本程度と合わせて毎時2本程度運行されている。

道路

一般国道
都道府県道
道の駅

施設

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

名所・旧跡・観光スポット

祭事・催事

  • 月知梅うめまつり(2月)
  • 月知梅ロードレース(3月)
  • 天ヶ城公園さくらまつり(3月下旬)
  • 瓜田自然プールオープン(7月中旬~8月下旬)
  • たかおか夏まつり(8月)
  • ふるさと産業文化まつり(11月上旬)

出身有名人

  • 高木兼寛 - 海軍軍医大監、東京慈恵会医科大学創設者、海軍カレー導入
  • 松下新平 - 参議院議員(4期)、総務副大臣兼内閣府副大臣(第3次安倍第1次改造内閣)、国土交通大臣政務官(第2次安倍内閣)、宮崎県議会議員(2期)を務めた。

脚注

  1. ^ 宮崎県教育庁文化課 1998 p.18
  2. ^ 宮崎県教育庁文化課 1999 p.121
  3. ^ 「市指定史跡-130.天ヶ城址-」宮崎市公式HP
  4. ^ 「高岡天ヶ城麓地区のまちづくり」宮崎市公式HP
  5. ^ 省営バスが大淀川に転落、二十三人死傷(昭和17年3月28日 九州日報 『昭和ニュース辞典第8巻 昭和17年/昭和20年』p738 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  6. ^ コロナ禍 歴史に幕 創業228年「湯の谷温泉」”. 宮崎日日新聞社 Miyanichi e-press. 2023年4月25日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク

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