1960年の東映フライヤーズでは、1960年の東映フライヤーズの動向をまとめる。
この年の東映フライヤーズは、岩本義行監督の5年目のシーズンである。
概要
高卒ルーキー張本勲の新人王獲得や毒島章一・西園寺昭夫・山本八郎などの打撃陣、土橋正幸・久保田治などの投手陣の活躍で球団創設以来14年目で初のAクラスのチームはこの年もAクラス入りが期待され、5月までは3位と健闘した。しかし、6月に入るとチームは西鉄や阪急の後塵を拝して5位に転落。7月に入っても成績不振が止まらず、岩本監督が休養し保井浩一二軍監督が監督代理で指揮を執るハプニング。その後も近鉄が追い上げるなど苦しい戦いが続いたが、最後は近鉄に9ゲーム差を付けて辛うじて最下位は免れた。それでも対戦成績は優勝の大毎に10勝16敗でミサイル打線に食い下がり、2位の南海に12勝14敗と健闘したが、2年ぶりのBクラスに終わり岩本監督は辞任。後任にはこの年まで巨人の監督を務めた水原茂が就任し、水原新監督のもと1962年の初優勝につながった。
チーム成績
レギュラーシーズン
1960年パシフィック・リーグ順位変動
順位
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4月終了時
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5月終了時
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6月終了時
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7月終了時
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8月終了時
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最終成績
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1位
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大毎 |
--
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南海 |
--
|
大毎 |
--
|
大毎 |
--
|
大毎 |
--
|
大毎 |
--
|
2位
|
南海 |
1.0
|
大毎 |
3.5
|
南海 |
2.0
|
南海 |
2.5
|
南海 |
5.0
|
南海 |
4.0
|
3位
|
東映 |
2.0
|
東映 |
6.5
|
西鉄 |
13.0
|
阪急 |
7.0
|
阪急 |
11.0
|
西鉄 |
12.0
|
4位
|
阪急 |
2.0
|
西鉄 |
8.0
|
阪急 |
14.0
|
西鉄 |
14.5
|
西鉄 |
12.5
|
阪急 |
17.0
|
5位
|
近鉄 |
3.5
|
阪急 |
8.0
|
東映 |
17.0
|
東映 |
26.0
|
東映 |
30.5
|
東映 |
30.0
|
6位
|
西鉄 |
3.5
|
近鉄 |
10.0
|
近鉄 |
20.0
|
近鉄 |
29.0
|
近鉄 |
34.0
|
近鉄 |
39.0
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[1]
オールスターゲーム1960
できごと
選手・スタッフ
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監督 | |
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コーチ | |
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二軍監督・コーチ |
- 40 保井浩一(監督、7月12日から一軍監督代行)
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投手 | |
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捕手 | |
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内野手 | |
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外野手 | |
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[2]
表彰選手
出典
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1940年代 | |
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1950年代 | |
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1960年代 | |
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1970年代 | |
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1980年代 | |
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1990年代 | |
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2000年代 | |
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2010年代 | |
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2020年代 | |
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1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 |