1964年アメリカグランプリ
1964年アメリカグランプリ (1964 United States Grand Prix) は、1964年のF1世界選手権第9戦として、1964年10月4日にワトキンズ・グレン・グランプリ・サーキットで開催された。 レースは110周で行われ、BRMのグラハム・ヒルが4番手スタートから優勝、フェラーリのジョン・サーティースが2位、ロブ・ウォーカー・レーシングチームでブラバムを駆るジョー・シフェールが3位となった。 レース概要BRMのグラハム・ヒルが2年連続でアメリカGPを制し、1964年のチャンピオン争いでジョン・サーティースとジム・クラークをリードした。フェラーリのサーティースは30.5秒遅れの2位となった。 フェラーリはサーティースとロレンツォ・バンディーニのために4台のマシンを持ち込んだ。しかし、カラーリングはレースプログラムで宣伝された通常の「燃えるような赤」ではなかった。エンツォ・フェラーリは、スポーツカーの250LMをGTカーとしてFIAの公認を受けられなかったことに怒り、参加者ライセンスを返上していたので、ルイジ・キネッティ率いるフェラーリの北米代理店「ノース・アメリカン・レーシング・チーム(NART)」によってエントリーされ[1]、マシンはアメリカ合衆国のナショナルカラーである青と白に塗装された[2]。本レースには20台のエントリーがあったが、BRMから3台目のマシンで出走する予定だった地元出身のA.J.フォイトのみ欠場した。 サーキット運営会社のワトキンズ・グレン・グランプリ・コーポレーションは、再舗装された路面にとても満足していたため、120mph(約193km/h)のラップタイム(1分8秒9)が可能であると信じ、120mphを超えた最初のドライバーには120本のシャンパンを贈呈することになっていた。チャンピオンを争う3人と地元出身のダン・ガーニーがポールポジション争いを繰り広げ、前年のヒルの予選最速タイム(1分13秒4)を上回ることはできたが、120mphを超えることはできなかった。 チーム・ロータスのコーリン・チャップマンは、クラークのために古い25と新しい33を用意した。しかし、クラークは33で練習する時間がほとんどなく、信頼できる古い25でポールポジションを獲得する最速タイム(1分12秒65)をマークしたため、彼は決勝で25を使用することにした。サーティース、ガーニー、ヒルも1分13秒を切り、続いてブルース・マクラーレンとクラークのチームメイトのマイク・スペンスが続いた。 日曜日は冷たい風と明るい日差しの下、次戦が最終戦となる緊迫したチャンピオン争いを65,000人が観戦した。ヒルはクラークを2点差でリードし、サーティースは過去3戦のうち2戦で優勝し、クラークと2点差の3位であった。ディフェンディングチャンピオンのクラークはスタートでラインを外れてしまい、サーティーズとスペンスに抜かれて3位に下がった。1周目を終えた時点で、サーティース、スペンス、ヒル、クラーク、ジャック・ブラバム、イネス・アイルランド、ガーニー、マクラーレンの順となった。 ガーニーはすぐにアイルランドとブラバムを抜き、スタートでの出遅れを取り戻した。ヒルはスペンスを抜いて一時的に2位へ上がったが、クラークがスペンスとヒルを抜いて一気に2位に上がり、サーティースに迫る。クラークは13周目にピット手前の右コーナーでサーティースを抜いてトップに立った。それから18周の間、クラークはサーティースから逃げ続けた。ガーニーはスペンスを抜き、3位のヒルを追う。ヒルは31周目にサーティースを抜いて2位に上がった。 40周目、クラークのロータスは燃料噴射装置にトラブルが発生して失火し始めた。サーティース、ヒル、ガーニーは、44周目にピットインする前にクラークを追い抜いた。クルーがインジェクションシステムを調整するために2周をロスしてコースへ復帰したが、6周後に再び止まってしまった。チャップマンは4位を走行していたチームメイトのスペンスをピットへ呼び、クラークがヒルとサーティースを上回り、両者が獲得できるポイントを減らすことができると期待して、クラークとマシンを交換した。スペンスはクラークのマシンでレースを続けたが、5周後にリタイアした。なお、F1世界選手権で車両をシェアしたのは本レースが最後である[3]。 その間、ヒルは45周目にサーティースからリードを奪い返した。61周目にヒルのチームメイトである地元出身のリッチー・ギンサーに近づき、ギンサーはヒルをパスさせ、サーティースとガーニーを抑えた。サーティースとガーニーは1周後にギンサーを抜いたが、それまでにヒルは50ヤード(約46m)のリードを築いていた。2周後、サーティースは別のバックマーカーをパスする際にスピンを喫し、これで2位に上がったガーニーだったが、70周目にエンジントラブルでリタイアした。 3位を走るクラークは、ヒルより1周で2秒速いタイムで追撃し、予選タイムに匹敵するファステストラップ(1分12秒7)を81周目に記録したが、燃料ポンプのトラブルでガス欠状態となったため、102周でリタイアした(7位完走扱い)。ヒルとサーティースは最後まで順調に周回し、ヒルが今シーズン2勝目を収め、サーティースが2位でとなった。ドライバーズチャンピオン争いは、ヒルがサーティースより5点、クラークより9点リードして最終戦メキシコGPを迎えることになった。ロブ・ウォーカーからブラバムを走らせたジョー・シフェールが初の3位表彰台を獲得した。以下、ギンサーが4位、チーム・ロータスからスポット参戦した地元出身のウォルト・ハンスゲンが5位、BRPのトレバー・テイラーが6位となった。ハンスゲンはF1最後のレースでF1キャリア唯一のポイントを、テイラーは今シーズン唯一となるポイントをそれぞれ獲得した。 エントリーリスト
結果予選
決勝
第9戦終了時点のランキング
脚注
参照文献
外部リンク
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