1990年アジア冬季競技大会(1990ねんアジアとうききょうぎたいかい)は1990年3月9日から14日まで日本の北海道札幌市で開催された第2回アジア冬季競技大会。
当初は、インドでの開催が決定していたが、政情不安などを理由に開催を返上。1988年9月のアジアオリンピック評議会総会において再び札幌市で開催することとなった。
障害者の冬季スポーツ大会を開催することについて考慮・検討された様子はなかった。
ハイライト
- 開会式前の3月6日から公式練習が開始された。
- 開会式では皇族の常陸宮が「おことば」を述べた。
- ジャンプ競技は日本以外に参加がなくデモンストレーション競技として行われた。
- スピードスケート女子の橋本聖子は4種目すべて優勝した。
- クロスカントリースキー女子の青木富美子は3種目すべて優勝した。
- バイアスロン10kmに出場したインドのセーリング・バルジョルは競技用の銃を持っておらず、ホスト国が用意するものと誤解したまま来日したものの銃が調達できず出場が危ぶまれたが、日本チームの銃は自衛隊の備品であるために貸与できず、ようやく韓国チームから借り受け、北海道警察が一時譲渡の手続きで便宜をはかり出場にこぎつけた[2]。
- 次回第3回大会は朝鮮民主主義人民共和国の三池淵で開催予定だったがのちに辞退し中国のハルビンで行われることとなった。
聖火
広島市平和記念公園の平和の灯から1990年2月3日午後2時に採取された。札幌に運ばれた後分火され、2月8日から3月9日まで北海道庁庁舎ロビーおよび札幌市役所庁舎ロビーで一般公開された。
3月9日の開会式当日、札幌市役所前で点火式が行われた。本大会は通常のランナーによる聖火リレーではなく、札幌市役所前で点火すると熱センサーによりその信号が真駒内屋内競技場の聖火受信装置に電話回線を介して送られ、即座に発火するという遠隔点火が行われた。受信装置に点火された聖火はトーチに移され、最終聖火ランナー葛西廣一の手により聖火台に灯された。
連続した不手際
本大会では運営上の不手際が続出した。
- 3月9日のショートトラック女子1500mでは韓国の金昭希が優勝したが、その表彰式で韓国国歌を流すべきところモンゴル国歌が流れてしまい、テープを入れ替えたところ今度は北朝鮮の国歌が流れてしまった。3度目で正しい韓国国歌が流れたが、場内は騒然とし、組織委員会は韓国選手団に謝罪した[3]。
- 3月9日のショートトラック男女500mでは本来行われるべき5-6位決定戦が日程に組み込まれておらず、急遽翌3月10日に行った[4]。
- さらにレース前の選手紹介で韓国選手の国名を北朝鮮と間違える、ラップタイムの読み上げを間違えるなどの不手際があった。
- 3月13日のスピードスケート男子10000mでは第1組の佐藤和弘(日本)、郝剛(中国)のレース中、周回回数を1周少なく誤掲示し、24周で佐藤がゴールして一旦流したが、コーチの指示でもう1周して正規の25周でゴールした。運営側は日本、中国チームと協議し、再レースは行わず、タイムは予備計測の手動計時を参考に正式記録として採用、佐藤は金メダルを獲得した[4]。
参加国・地域
8ヶ国・2地域から305人(男性224人女性81人)の選手と137人の役員が参加した。他にデモンストレーション競技のスキージャンプに日本人のみ72人が出場した。
()内は選手数: 男,女の順
参加国・地域人数
実施競技と日程
国・地域別メダル受賞数
順
|
国・地域
|
金
|
銀
|
銅
|
計
|
1 |
日本 |
18 |
16 |
13 |
47
|
2 |
中国 |
9 |
9 |
8 |
26
|
3 |
韓国 |
6 |
7 |
8 |
21
|
4 |
北朝鮮 |
0 |
1 |
4 |
5
|
5 |
モンゴル |
0 |
0 |
1 |
1
|
競技結果
アルペンスキー
クロスカントリースキー
スピードスケート
ショートトラックスピードスケート
アイスホッケー
バイアスロン
スキージャンプ(デモンストレーション競技)
会場
参考資料
「第2回アジア冬季競技大会公式報告書」制作・発行:札幌アジア冬季大会組織委員会、平成2年6月1日発行、札幌市中央図書館蔵]
脚注
- ^ デモンストレーション競技のスキージャンプ参加者は含まない
- ^ 北海道新聞縮刷版1990年3月13日朝刊
- ^ 北海道新聞縮刷版1990年3月10日朝刊
- ^ a b 北海道新聞縮刷版1990年3月11日朝刊
- ^ 吹雪のため距離を短縮して行った
外部リンク