HBCカップジャンプ競技会(エイチビーシーカップジャンプきょうぎかい)は、北海道放送の協賛により札幌市で開催されるスキージャンプの大会である。
概要
1959年に北海道初の民放である北海道放送の協賛により「HBC杯争奪ジャンプ大会」として第1回大会が実施された[1]。第10回(1968年)より「HBC杯ジャンプ大会」と改称された[2]。
第16回(1974年)から第41回(1999年、荒天中止)まで「HBC杯国際ジャンプ競技大会」として宮様スキー大会国際競技会に隣接して実施された[2]。この内、第33回(1991年)および第35回(1993年)は環太平洋カップ[2][3]、第36回(1994年、荒天中止)から第41回(1999年、荒天中止)は(インタ)コンチネンタルカップとして実施された[2]。
第42回(2000年)以降は国内戦の「HBCカップジャンプ競技会」となり、第46回(2004年)から第62回(2020年)まで、国内で唯一のノックアウト方式が採用されていた。女子組は第50回(2008年)に創設された。
通常は大倉山ジャンプ競技場が会場となるが、第12回(1970年)および第58回(2016年)は宮の森ジャンプ競技場が会場となった。国内戦では稀である優勝賞金が設定されており、2022年現在の賞金は100万円である。
歴代優勝者
男子組
回数 |
日付 |
会場 |
氏名 |
所属 |
得点 |
1本目(m) |
2本目(m) |
|
1 |
1959年3月4日 |
大倉シャンツェ |
吉沢広司 |
同和花岡 |
326.0 |
79.0 |
72.5 |
79.5 三飛躍三採用
|
2 |
1960年1月9日 |
大倉シャンツェ |
菊地定夫 |
雪印乳業 |
337.6 |
75.0 |
85.0 |
84.5 三飛躍三採用
|
3 |
1961年3月3日 |
大倉シャンツェ |
安達晟 |
国鉄北海道 |
219.6 |
86.0 |
90.0 |
|
4 |
1962年3月2日 |
大倉シャンツェ |
菊地定夫 |
雪印乳業 |
214.5 |
81.5 |
68.5 |
|
5 |
1963年3月1日 |
大倉シャンツェ |
笠谷幸生 |
余市スキークラブ |
117.0 |
86.5 |
─ |
|
6 |
1964年3月5日 |
大倉シャンツェ |
笠谷幸生 |
明治大学 |
255.2 |
79.0 |
86.0 |
|
7 |
1965年3月4日 |
大倉シャンツェ |
藤沢隆 |
早稲田大学 |
228.4 |
95.0 |
94.5 |
|
8 |
1966年3月10日 |
大倉シャンツェ |
藤沢隆 |
国土計画 |
213.4 |
87.5 |
83.5 |
|
9 |
1967年3月1日 |
大倉シャンツェ |
青地清二 |
雪印乳業 |
222.8 |
79.0 |
90.5 |
|
10 |
1968年3月8日 |
大倉シャンツェ |
藤沢隆 |
国土計画 |
219.4 |
96.0 |
98.0 |
|
11 |
1969年3月7日 |
大倉シャンツェ |
ヨセフ・マトウシュ |
チェコスロバキア |
237.1 |
100.5 |
104.0 |
|
12 |
1970年2月25日 |
宮の森シャンツェ |
斎藤幸三 |
芝浦工業大学 |
212.5 |
77.0 |
74.5 |
|
13 |
1970年12月28日 |
大倉山シャンツェ |
笠谷幸生 |
ニッカウヰスキー |
240.5 |
102.0 |
103.5 |
|
14 |
1972年1月8日 |
大倉山シャンツェ |
青地清二 |
雪印乳業 |
225.2 |
102.0 |
98.5 |
|
15 |
1973年2月10日 |
大倉山シャンツェ |
伊藤高男 |
専修大学 |
221.3 |
95.5 |
104.0 |
|
16 |
1974年3月4日 |
大倉山シャンツェ |
笠谷幸生 |
ニッカウヰスキー |
220.4 |
100.5 |
98.0 |
|
17 |
1975年2月22日 |
大倉山シャンツェ |
金子茂 |
農材工業 |
248.0 |
108.0 |
107.0 |
|
18 |
1976年2月28日 |
大倉山シャンツェ |
ラインホルト・バハラー |
オーストリア |
253.0 |
107.5 |
110.0 |
|
19 |
1977年2月26日 |
大倉山シャンツェ |
アロイス・リップブルガー |
オーストリア |
209.4 |
98.5 |
97.5 |
|
20 |
1978年2月4日 |
大倉山シャンツェ |
伊藤高男 |
国土計画 |
247.5 |
114.0 |
101.0 |
|
21 |
1979年2月24日 |
大倉山シャンツェ |
ペール・ベルゲルード |
ノルウェー |
235.1 |
101.5 |
107.5 |
|
22 |
1980年3月1日 |
大倉山シャンツェ |
カリ・ユリアンティラ |
フィンランド |
255.6 |
104.5 |
114.5 |
|
23 |
1981年2月28日 |
大倉山シャンツェ |
V.ヨルゲンセン |
ノルウェー |
244.0 |
110.0 |
105.0 |
|
24 |
1982年3月6日 |
大倉山シャンツェ |
八木弘和 |
たくぎん |
241.2 |
104.0 |
106.5 |
|
25 |
1983年2月19日 |
大倉山シャンツェ |
A.ヒルナー |
オーストリア |
251.8 |
116.5 |
103.0 |
|
26 |
1984年3月4日 |
大倉山シャンツェ |
秋元正博 |
地崎工業 |
225.0 |
112.0 |
108.0 |
|
27 |
1985年2月15日 |
大倉山シャンツェ |
K.オール |
ノルウェー |
196.8 |
108.0 |
99.0 |
|
28 |
1986年2月15日 |
大倉山シャンツェ |
秋元正博 |
地崎工業 |
198.9 |
107.5 |
102.5 |
|
29 |
1987年2月28日 |
大倉山シャンツェ |
T.ペデルセン |
ノルウェー |
183.9 |
92.5 |
116.0 |
|
30 |
1988年3月5日 |
大倉山シャンツェ |
嶋宏大 |
地崎工業 |
200.9 |
107.5 |
111.0 |
|
31 |
1989年3月4日 |
大倉山シャンツェ |
冨谷茂樹 |
東京美装 |
211.0 |
112.0 |
109.0 |
|
32 |
1990年3月3日 |
大倉山シャンツェ |
上原子次郎 |
コクド |
197.5 |
106.0 |
103.5 |
|
33 |
1991年2月23日 |
大倉山シャンツェ |
東和広 |
日本空調サービス |
227.0 |
113.5 |
119.0 |
|
34 |
1992年3月7日 |
大倉山シャンツェ |
西方仁也 |
雪印乳業 |
241.5 |
123.5 |
116.5 |
|
35 |
1993年3月6日 |
大倉山シャンツェ |
原田雅彦 |
雪印乳業 |
227.1 |
118.5 |
108.0 |
|
36 |
1994年3月5日 |
大倉山シャンツェ |
荒天中止 |
|
|
|
|
|
37 |
1995年2月25日 |
大倉山シャンツェ |
伊藤直人 |
雪印乳業 |
231.7 |
121.0 |
108.0 |
|
38 |
1996年3月9日 |
大倉山シャンツェ |
原田雅彦 |
雪印乳業 |
257.9 |
119.0 |
126.5 |
|
39 |
1997年3月8日 |
大倉山シャンツェ |
F.クリスマイヤー |
オーストリア |
111.3 |
118.5 |
─ |
|
40 |
1998年3月7日 |
大倉山シャンツェ |
荒天中止 |
|
|
|
|
|
41 |
1999年3月6日 |
大倉山シャンツェ |
荒天中止 |
|
|
|
|
|
42 |
2000年1月10日 |
大倉山シャンツェ |
岡部孝信 |
雪印 |
229.1 |
112.0 |
125.0 |
|
43 |
2001年1月8日 |
大倉山シャンツェ |
原田雅彦 |
雪印 |
284.1 |
132.5 |
134.5 |
|
44 |
2002年1月14日 |
大倉山シャンツェ |
岡部孝信 |
雪印 |
284.4 |
131.0 |
139.5 |
|
45 |
2003年1月13日 |
大倉山シャンツェ |
宮平秀治 |
ミズノ |
256.7 |
117.0 |
139.5 |
|
回数 |
日付 |
会場 |
氏名 |
所属 |
得点 |
決勝記録(m)
|
46 |
2004年1月12日 |
大倉山シャンツェ |
葛西紀明 |
土屋ホーム |
148.9 |
140.5
|
47 |
2005年1月10日 |
大倉山シャンツェ |
重松健太郎 |
東京美装 |
139.8 |
133.5
|
48 |
2006年1月9日 |
大倉山シャンツェ |
吉岡和也 |
土屋ホーム |
144.9 |
135.5
|
49 |
2007年1月8日 |
大倉山シャンツェ |
荒天中止 |
|
|
|
50 |
2008年1月14日 |
大倉山シャンツェ |
高野鉄平 |
日本空調サービス |
125.8 |
126.0
|
51 |
2009年1月12日 |
大倉山シャンツェ |
岡部孝信 |
雪印 |
145.4 |
135.5
|
52 |
2010年1月11日 |
大倉山シャンツェ |
伊東大貴 |
雪印 |
115.6 |
122.0
|
53 |
2011年1月10日 |
大倉山シャンツェ |
伊東大貴 |
雪印 |
149.7 |
139.0
|
54 |
2012年1月9日 |
大倉山シャンツェ |
小林潤志郎 |
東海大学 |
140.8 |
133.5
|
55 |
2013年1月14日 |
大倉山シャンツェ |
清水礼留飛 |
雪印メグミルク |
137.1 |
132.0
|
56 |
2014年1月13日 |
大倉山シャンツェ |
伊東大貴 |
雪印メグミルク |
133.5 |
130.0
|
57 |
2015年1月12日 |
大倉山シャンツェ |
栃本翔平 |
雪印メグミルク |
148.8 |
141.0
|
58 |
2016年1月11日 |
宮の森シャンツェ |
伊東大貴 |
雪印メグミルク |
140.5 |
101.0
|
59 |
2017年1月9日 |
大倉山シャンツェ K=123 |
中村直幹 |
東海大学 |
112.1 |
122.5
|
60 |
2018年2月25日 |
大倉山シャンツェ |
小林陵侑 |
土屋ホーム |
142.2 |
137.0
|
61 |
2019年1月14日 |
大倉山シャンツェ |
佐藤慧一 |
雪印メグミルク |
135.7 |
134.5
|
62 |
2020年1月13日 |
大倉山シャンツェ |
渡部弘晃 |
東京美装 |
135.3 |
134.0
|
回数 |
日付 |
会場 |
氏名 |
所属 |
得点 |
1本目(m) |
2本目(m)
|
63 |
2021年1月11日 |
大倉山シャンツェ |
二階堂蓮 |
東海大学 |
233.4 |
130.0 |
131.0
|
64 |
2022年1月10日 |
大倉山シャンツェ |
岩佐勇研 |
東京美装 |
267.7 |
129.5 |
141.0
|
65 |
2023年1月9日 |
大倉山シャンツェ |
山元豪 |
ダイチ |
239.0 |
135.0 |
132.5
|
66 |
2024年1月8日 |
大倉山シャンツェ |
中止
|
67 |
2025年1月13日 |
大倉山シャンツェ |
佐藤慧一 |
雪印メグミルク |
248.8 |
131.0 |
130.5
|
- 第52回大会の予選ラウンドで葛西紀明が145.0mのバッケンレコード・タイをマークした。
女子組
回数 |
日付 |
会場 |
氏名 |
所属 |
得点 |
決勝記録(m)
|
50 |
2008年1月14日 |
大倉山シャンツェ |
山田いずみ |
神戸クリニック |
132.1 |
132.0
|
51 |
2009年1月12日 |
大倉山シャンツェ |
伊藤有希 |
下川中学校 |
77.0 |
102.5
|
52 |
2010年1月11日 |
大倉山シャンツェ |
渡瀬あゆみ |
神戸クリニック |
120.0 |
111.0
|
53 |
2011年1月10日 |
大倉山シャンツェ |
高梨沙羅 |
上川中学校 |
146.8 |
141.0
|
54 |
2012年1月9日 |
大倉山シャンツェ |
葛西賀子 |
日本空調サービス |
120.0 |
125.0
|
55 |
2013年1月14日 |
大倉山シャンツェ |
茂野美咲 |
ライズJC |
110.5 |
120.0
|
56 |
2014年1月13日 |
大倉山シャンツェ |
伊藤有希 |
土屋ホーム |
130.3 |
128.5
|
57 |
2015年1月12日 |
大倉山シャンツェ |
伊藤有希 |
土屋ホーム |
52.2 |
89.5
|
58 |
2016年1月11日 |
宮の森シャンツェ |
高梨沙羅 |
クラレ |
130.0 |
99.0
|
59 |
2017年1月9日 |
大倉山シャンツェ K=123 |
小林諭果 |
早稲田大学 |
96.5 |
115.5
|
60 |
2018年2月25日 |
大倉山シャンツェ |
勢藤優花 |
北海道ハイテクアスリートクラブ |
87.9 |
111.0
|
61 |
2019年1月14日 |
大倉山シャンツェ |
伊藤有希 |
土屋ホーム |
119.4 |
126.0
|
62 |
2020年1月13日 |
大倉山シャンツェ |
丸山希 |
明治大学 |
112.0 |
123.0
|
回数 |
日付 |
会場 |
氏名 |
所属 |
得点 |
1本目(m) |
2本目(m)
|
63 |
2021年1月11日 |
大倉山シャンツェ |
伊藤有希 |
土屋ホーム |
253.9 |
138.5 |
129.0
|
64 |
2022年1月10日 |
大倉山シャンツェ |
小林諭果 |
CHINTAIスキークラブ |
223.7 |
125.5 |
132.5
|
65 |
2023年1月9日 |
大倉山シャンツェ |
伊藤有希 |
土屋ホーム |
216.8 |
128.5 |
119.5
|
66 |
2024年1月8日 |
大倉山シャンツェ |
中止
|
67 |
2025年1月13日 |
大倉山シャンツェ |
勢藤優花 |
オカモトグループ |
228.9 |
120.5 |
126.5
|
- 第53回大会準決勝で伊藤有希が139.5mの女子バッケンレコードをマーク、決勝では高梨沙羅が141.0mの女子バッケンレコードをマークした。
参考資料:北海道新聞縮刷版各年版、HBCカップジャンプ競技会開催要領
特別ルール:ノックアウト方式
- 同じ「ノックアウト方式」の名称でもジャンプ週間で用いられる「『予選1位と同50位、同2位と同49位…同24位と同27位、同25位と同26位』が対戦して勝者25人とポイントの高い敗者上位5人(ラッキールーザー)が2本目に進む」というものとは異なる。
- 参加選手全員により予選を行い上位16名(2015年以降は8名)がトーナメントに進む。
- 予選、およびトーナメントすべてのラウンドは1回のジャンプで行なう。2015年から2017年は男子はトーナメント準決勝からとなっている。
- トーナメント1回戦(16名)はペア(2名ずつ、1位対16位、2位対15位…)で競い、それぞれの勝者8名が準決勝に進む。(2014年まで)
- トーナメント準決勝(8名)もペア(2名ずつ)で競い、それぞれの勝者4名が決勝に進む。トーナメント決勝は準決勝の勝者4名全員で順位(1位~4位)を決める。また1位が同点の場合は再試合(プレーオフ)を行なう。(2017年まで)
- 2018年からは、予選上位8人がトーナメントに進み、準々決勝(8人、1位対8位、2位対7位…)、準決勝(4人)、三位決定戦・決勝ともペア(2人ずつ)で競う。
- 女子組においては、予選上位4人がトーナメントに進み、準決勝(1位対4位、2位対3位)、三位決定戦・決勝ともペア(2人ずつ)で競う。
テレビ放送
- テレビ放送は第1回大会より行われており[4]、協賛社の北海道放送(HBC)を制作局としてTBS系列全国28局ネットで開催当日に録画放送されている。
- 3月1日(土曜日)開催であった1980年は、東京12チャンネル・南日本放送(MBC)共同制作の『プロ野球オープン戦中継・ロッテオリオンズ対読売ジャイアンツ戦』(鹿児島県立鴨池野球場、生中継は15:00 - 17:00に放送[注 1])を放送した一部系列局[注 2]が、本大会の中継(16:00 - 17:00)をネットしなかった[5]。
- 2000年以後は成人の日に開催され、放送時間は14:55 ‐ 15:49(JST、2025年現在)に放送されているが、宮崎放送(mrt)では2003年より同日14 - 16時台に「全国高等学校サッカー選手権大会」(民放43社共同制作)決勝を放送しているため、同中継終了後に放送されている(2025年は16:45 - 17:39)。なお、2015年は制作局に限り、14:44 - 14:55に『もうすぐHBCカップジャンプ』を別途放送。さらに2016年は「全国高校ラグビー大会」決勝中継のため15:25から放送(先述通り宮崎放送では別時間帯)。
- 2017年の放送では、北海道放送が朝日新聞とコラボレーションを実施し、この日の同紙朝刊テレビ欄に「タテ読み」が用いられ、番組部分には薄青色の網掛けに「H」の白抜きが施された。同日の中継にはゲストとして、お笑いコンビ・オードリーの春日俊彰も出演した[6]。
- 2018年は平昌五輪の開催に伴う影響で日程が変更となり、2月25日[注 3]に行われた。なお、この年は中継は行わず[注 4]、後日収録の形で『2018HBCカップジャンプ〜スキージャンプのミカタ〜』と題した特番を3月3日15:00 - 15:54にTBS系列にて全国ネットで放送、司会は田中裕二(爆笑問題)が務めた[7]。
- 2022年は男女とも出場者全員の1本目の競技をHBC公式YouTubeでライブ配信し、テレビでは従来通り成績上位者の1、2本目を放送した。
脚注
注釈
- ^ 別記のTBS系列局や北海道文化放送〈UHB・フジテレビ系列〉、KBS京都・テレビ和歌山などでは生放送。一方、東京12チャンネルや関西圏の一部の独立放送局では当日のゴールデンタイムに録画放送。
- ^ 制作局のMBCのほか、山陽放送(RSK)・中国放送(RCC)・山陰放送(BSS)などが該当。
- ^ ちなみにこの日は平昌五輪最終日であった。
- ^ 開催当日は同じHBC制作の特番『ニッポン千年のだし〜京都・大阪・沖縄・パリ・ハリウッド 北海道昆布が結ぶ、絆の物語〜』(15:00 - 16:24)が放送された。
出典
外部リンク