NTT西日本中国野球クラブチーム名(通称) |
NTT中国クラブ、NTT中国、電電中国 |
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加盟団体 |
日本野球連盟 |
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加盟区分 |
- 企業チーム (1954 - 1999)
- クラブチーム (1999 - 2003)
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創部 |
1954年 |
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廃部 |
2003年 |
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チーム名の遍歴 |
- 電電中国 (1954 - 1984)
- NTT中国 (1985 - 1999)
- NTT西日本中国野球クラブ (1999 - 2003)
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本拠地自治体 |
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練習グラウンド |
NTT広島総合グラウンド(広島市安佐北区) |
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都市対抗野球大会 |
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出場回数 |
11回 |
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最近の出場 |
2003年 |
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最高成績 |
3回戦 |
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社会人野球日本選手権大会 |
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出場回数 |
7回 |
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最近の出場 |
1997年 |
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最高成績 |
ベスト8 |
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全日本クラブ野球選手権大会 |
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出場回数 |
※出場資格なし |
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NTT西日本中国野球クラブ(エヌティーティーにしにほんちゅうごくやきゅうクラブ)は、広島県広島市に本拠地を置き、日本野球連盟に所属していた社会人野球のクラブチームである。2003年に解散した。
概要
日本電信電話公社の中国支社の硬式野球部『電電中国硬式野球部』として、1954年に創立された[1]。1965年に都市対抗野球に初出場を果たした。
1985年、日本電信電話の民営化に伴いチーム名を『NTT中国硬式野球部』に改称した。1988年には佐々岡真司を擁して日本選手権でベスト8に進んでいる。
本体の再編にともない1999年1月にNTT東日本硬式野球部とNTT西日本硬式野球部が設立され、社内の各野球部はそのどちらかに統合されることが決まった。このため中国野球部からは3人が西日本野球部に移籍し、26人いた部員は21人まで減少した[2]。しかし、廃部にすることはせずに、同年秋より会社の支援のないクラブチームとして存続することになり、チーム名を『NTT西日本中国野球クラブ』に改称、練習は平日の午後5時半に退社して7時半からと土曜日の計4日間のみとなった[3]。
2002年にはスタメンの平均年齢は30歳近くになり、スタッフ兼任以外の選手数は15人まで減少しており、翌年での廃部が決まった[3]。2003年は三瀬幸司を擁して7年ぶりに都市対抗野球に出場。同大会をもって活動を終え、解散した。
沿革
- 1953年 - 『電電中国硬式野球部』として発足
- 1965年 - 都市対抗野球に初出場
- 1978年 - 日本選手権に初出場
- 1985年 - チーム名を『NTT中国硬式野球部』に改称
- 1999年 - クラブチームに移行し、チーム名を『NTT西日本中国野球クラブ』に改称
- 2003年 - 解散
主要大会の出場歴・最高成績
出身プロ野球選手
かつて在籍していた選手
脚注
- ^ 毎日新聞、1999年7月6日付朝刊、石川地方面
- ^ 毎日新聞、1999年2月18日付朝刊、広島地方面
- ^ a b 毎日新聞、2003年8月22日付朝刊、広島地方面
関連項目
- 磯田憲一 -元プロ野球選手で本チームが初めて都市対抗野球に出場した際の監督。当時広島東洋カープの職員だった磯田が電電中国に「電電公社系のチームで都市対抗野球に出場していないのは電電中国だけなので何としてでも(当時の開催地である)後楽園に連れて行ってくれ」と懇願されて就任[要出典]。3年目で都市対抗野球大会に出場を果たし、念願成就した為退社している。