P・J・カーリシモ
ピーター・ジョン・カーリシモ(Peter John "P. J." Carlesimo, 1949年3月30日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボールの指導者。ペンシルベニア州出身。 アメリカ男子プロバスケットボールリーグNBAのポートランド・トレイルブレイザーズ、ゴールデンステート・ウォリアーズ、シアトル・スーパーソニックス、オクラホマシティ・サンダーのヘッドコーチを務めた。アシスタントコーチの経験も豊富で、1992年バルセロナオリンピックのドリームチームで、チャック・デイリーヘッドコーチのもと、マイク・シャシェフスキー、レニー・ウィルケンズらとアシスタントコーチを務め、金メダルを獲得している。NBAではサンアントニオ・スパーズで、グレッグ・ポポヴィッチヘッドコーチのもと、2002年から2007年の間に、3度の優勝に貢献した。 経歴フォーダム大学を1971年に卒業の後[1]、コーチングのキャリアをフォーダム大学のアシスタントコーチとしてスタートし、 1971年から 1975年の間務めた後、カレッジバスケットボールのヘッドコーチを数校で務め、1992年バルセロナオリンピックバスケットボール男子アメリカ合衆国代表チーム(ドリームチーム)で、チャック・デイリーヘッドコーチのもとで、マイク・シャシェフスキー、レニー・ウィルケンズらとアシスタントコーチを務め、金メダルを獲得した。1994年にNBAのポートランド・トレイルブレイザーズでヘッドコーチとしての職を得て、3年間務め、1997年にゴールデンステート・ウォリアーズのヘッドコーチを務めた。 その後サンアントニオ・スパーズの第一アシスタントコーチに就任し、グレッグ・ポポビッチの下で、2002年から2007年の間で、3度の優勝に貢献した。その後、2007年シアトル・スーパーソニックス(後にオクラホマシティ・サンダー)のヘッドコーチとして1シーズン指揮を執った[2]。2010年に再びアシスタントコーチに戻り、トロント・ラプターズ、ニュージャージー・ネッツ(後にブルックリン・ネッツ)、で活動している。 ヘッドコーチ成績
ラトレル・スプリーウェルとの関係→詳細は「ラトレル・スプリーウェル」を参照
ゴールデンステート・ウォリアーズのヘッドコーチに就任した1年目、チームは開幕から14試合で1勝13敗とどん底にあった。1997年12月1日のチーム練習でラトレル・スプリーウェルに首を絞められるという事件が発生した[3]。スプリーウェルは無期限の出場停止 (1999年に解除され、ニューヨーク・ニックスに移籍) になり、元々暴言癖があったというカーリシモにも悪評が付きまとってしまった。後に両者は和解したものの、2005年夏に、スプリーウェルとアラバマ大学時代のチームメイトにあたるロバート・オーリーが、当時所属していたサンアントニオ・スパーズ入りを勧めたところ、スプリーウェルは、スパーズのコーチ陣にカーリシモがいたことを理由に、スパーズ入りを拒否し、事実上の引退となった。 脚注
外部リンク
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