YMS-1級掃海艇
YMS-1級掃海艇(YMS-1きゅうそうかいてい、英語: YMS-1-class minesweeper)は、アメリカ海軍が運用していた補助内燃機掃海艇(YMS)の艦級である。 合計481隻が建造され、 アメリカ海軍のほか日本を含む西側諸国で運用された。複数のサブクラスが存在するほか、 レンドリース法によりイギリスに提供する目的で、本級を基にしたBYMS級掃海艇が建造されている。 1947年に現役だった艇は艦種記号をAMSに改められ、固有の名前が与えられた。この際、新たにAMS-1の記号が与えられた「アルバトロス」をネームシップと見做し、「アルバトロス級掃海艇」とも呼ばれる[1][2]。 概要本級の基本設計は排水量270トン、全長136フィート (41 m)、全幅24 ft 6 in (7.47 m)、喫水8 ft (2.4 m)であった。機関はゼネラルモーターズ(クリーブランド)製8-268A 2気筒ディーゼルエンジン(440 shp (330 kW))を2基搭載し、2軸推進の構成で最大速力15ノット (28 km/h; 17 mph)を発揮した。艇体は木製を採用している。 乗員数は32名を標準とした。艇によって差異はあるものの、艇体に比べて武装は比較的強力で、一般的に3インチ砲×1基、20ミリ機銃×2基、爆雷投射機×2基を装備した。 YMS-1級は同時代のアメリカ海軍艦艇では比較的小型であった。そのため一部の乗員は、YMSは窮屈で、安定性に欠けているという印象を持った。明らかに誇張されてはいるものの、これらの問題点を指摘して、他の乗員がYMSに転属しないように警告する内容の詩が残されている。
各級本級には、外観上の違いにより大きく分けて2つのサブクラスが存在しており、それぞれ独立した艦級として扱われることもある。 YMS-135級基本的な構成は同一だが、煙突が2本ではなく1本しかない。「YMS-135」から「YMS-445」、「YMS-480」、「YMS-481」が該当する。 YMS-446級基本的な構成は同一だが、煙突が廃止されて舷側排気に変更されている。「YMS-446」から「YMS-479」が該当する。 アメリカ海軍以外での運用BYMS級掃海艇→詳細は「BYMS級掃海艇」を参照
レンドリース法の下でイギリスへ提供するため、YMS-1級と同型の掃海艇80隻が、BYMS級掃海艇として米国の造船所に発注された。これに加えて、アメリカ海軍向けに建造されたYMS-1級の一部である53隻(「YMS-137」から「YMS-284」)が、追加のBYMSとして移管された。後に17隻が追加納入されている。 その他国外での運用フランスは、第二次世界大戦中に31隻のYMS級掃海艇を受領した。このうち、1944年に1隻(D202、旧YMS-77)を触雷により喪失している。フランス海軍は戦後もYMS級を使用し続け[3]、1962年時点でも7隻が就役していた。これらは掃海艇のほか、海軍兵学校の練習艦や試験艦としても使用された。3隻は1954年にフランスから南ベトナムに譲渡され、1961年には1隻がマダガスカルへ移管されている[4]。 1947年、ポーランド海軍は3隻のYMSを購入した[5]。「ORPデルフィン」(旧YMS-211、BYMS-2211)、「ORPフォカ」(旧YMS-257、BYMS-2257)、「ORPモルス」(旧YMS-282、BYMS-2282)の3隻はソ連製の85ミリ砲と12.7ミリ機銃4門で再武装され、1950年代半ばまで運用された。このうち「ORPデルフィン」はプツク湾で自沈処分され、ダイビングスポットになっている。さらに、ポーランドでは1隻のYMSが水路測量船として運用された。 「YMS-328」のように、軍を退役後、民間に払い下げられてヨットなどに改造された艇も存在する。海洋学者ジャック=イヴ・クストーの海洋調査船「カリプソ号」は、「BYMS-2026」を改造したものであった。 日本での運用1955年(昭和30年)、日米艦艇貸与協定に基づき7隻が日本の海上自衛隊に貸与され、「うじしま型掃海艇」と称した。1959年(昭和34年)には、日米相互防衛援助協定に基づき2隻が追加供与された。この2隻は「にのしま型掃海艇」として区別されることもある[6]。 各艇には仕様上の差異がいくつかあり、大半は煙突が1本のYMS-135級だったが、「ゆげしま」のみ煙突がないYMS-446級だった。また、最初に貸与された7隻はアメリカ海軍の現役艇を提供されたが、「にのしま型」の2隻はモスボール保管されていた艇を供与されている。兵装の面でも違いがあり、砲熕兵装は前者が艇首に40ミリ単装機銃、両舷に20ミリ連装機銃だったが、後者は40ミリ単装機銃を欠いており20ミリ連装機銃だけだった[2]。 1966年(昭和41年)3月31日に7隻が支援船(特務船YAS)に区分変更され、「うじしま」は除籍されて部品取りとして使用。練習船(YTE)に区分された「やくしま」は海上自衛隊第1術科学校で教育訓練に使用された後、1969年(昭和44年)除籍された[6]。
運用国一覧脚注出典
参考文献
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