さいたま市の地名さいたま市の地名(さいたましのちめい)では、埼玉県さいたま市の地名の変遷と、現在の市内の地名の状況を記述する。 概要各区の町丁・大字の概要ここでは、2024年2月時点での各行政区の町丁・大字の概要を記す。 西区西区は、東部・西大宮駅北側・荒川右岸以外は多くが大字である。プラザでは住居表示が実施されている[1]。 北区北区は、大半の地区で町名地番変更が実施されて町丁となっているが、河川敷や線路敷に大字が残存している。なお、市内10区で唯一、住居表示実施地区が存在しない[1]。
大宮区大宮区は、旧市時代の1982年に大字が消滅した。大原六丁目・七丁目では住居表示が実施されている[1]。
見沼区見沼区は、北部は町丁が多い。南部は大字が多いが、町丁も点在する。春野一丁目 - 三丁目では住居表示が実施されている[1]。
中央区中央区は、大字上落合と大字下落合が残存する他は、町丁となっている。町丁は、新都心と鈴谷一丁目・二丁目を除いて住居表示が実施されている[1]。
桜区桜区は、南部・東部は町丁となっており、北部・西部と荒川河川敷は大字となっている。町丁はすべて住居表示が実施されている[1]。
浦和区浦和区は、大字三崎以外は町丁となっている。町丁はすべて住居表示が実施されている[1]。
南区南区は、大字円正寺・大字大谷口・大字太田窪・大字堤外・大字広ヶ谷戸以外は町丁となっている。町丁はすべて住居表示が実施されている[1]。
緑区緑区は、西部に住居表示実施済みの町丁[1]が、東浦和駅北側と浦和美園駅・東川口駅周辺に区画整理によって成立した町丁(住居表示未実施)があり、それ以外は大字となっている。
岩槻区岩槻区は、岩槻駅周辺に住居表示実施済みの町丁[1]が、東岩槻駅周辺と浦和美園駅東側に区画整理によって成立した町丁(住居表示未実施)があり、それ以外は大字となっている。
命名方法の特徴旧浦和市が行った町名変更には、大字○○から○○町が成立した後、住居表示実施により○○一丁目といった町丁が成立したパターンと、大字○○から住居表示実施により○○一丁目といった町丁が成立したパターンの2種類がある。 旧大宮市では、1950年代後半以降、町名地番変更により町丁が成立している。これは市制10周年記念事業の一つとして行われたものであり[2]、元の大字名や小字名の後に「町」をつけて新たな町名とするパターンが多い。1962年(昭和37年)7月17日には、全国に先駆けた町名地番改正・住居表示[注釈 1]の合理化などにより、当時の自治大臣から優良市として表彰を受けている[2]。 市全体でみると、大字名に由来した町名が多いが、井沼方・木曽良など消滅した地名もある。浦和市油面、浦和市西浦和(1976年 - 1978年)など、短期間だけ存在した地名もある。 飛地は、一点を除いて上尾市と川越市に囲まれている西区大字宝来の飛地(上尾市大字平方の飛地も隣接)、春日部市花積および道口蛭田に囲まれた岩槻区諏訪一丁目・大字表慈恩寺の飛地がある。市内での大字の飛地は、荒川の河川敷内、特に上江橋北側と秋ヶ瀬公園付近に多い。なお、西区塚本町・湯木町などは、荒川に架かる治水橋で対岸につながっているのみで、事実上の飛地のようになっている。 成立の分類
土地区画整理事業の換地処分公告が行われた翌日に町名地番変更が行われ、町丁が新設される場合。以下に、さいたま市発足後の例を挙げる。
旧浦和市・旧与野市・旧岩槻市の町丁は、多くが住居表示実施により成立したもの。旧大宮市では、プラザ・春野一丁目 - 三丁目以外は町名地番変更により町丁が成立している。なお、さいたま市発足後に住居表示実施により成立した町丁は存在しない。 歴史さいたま市は、2001年(平成13年)5月1日に浦和市・大宮市・与野市が合併して誕生した、比較的新しい自治体である。2003年(平成15年)4月1日に政令指定都市に移行し、2005年(平成17年)4月1日に岩槻市を編入した。かつては笹目領(佐々目郷)、植田谷領、木崎領、与野領(与野郷)などに属していた。 明治の市町村合併により、旧村が大字となり、市域のすべてが大字だった。浦和・大宮・与野の3市は北足立郡に、岩槻市は南埼玉郡に属したという歴史的な違いもある。その後、住居表示の実施や町名地番変更により町丁への変更が進められてきた。 年表太字は、新たに成立した町丁および大字。個々の地名の変遷は、各町名記事を参照。なお、若干の境界変更や編入は省略した。 1950年以前
1951年から2000年
2001年以降
今後の予定脚注注釈
出典
参考文献
関連項目 |