上尾市(あげおし)は、埼玉県の中東部に位置する市。
人口は約23万人であり、草加市に次いで埼玉県内7位の推計人口を有する。1958年(昭和33年)市制施行。
地理
関東平野の中、埼玉県の中心より少し東にずれた中央地域(県央地域)の場所にあり、市内は概ね平坦で山はない。面積は45.51平方キロメートル、広袤は東西10.48 km、南北9.32 kmである。寛永年間に河道付け替えが行われた荒川の左岸に一部接している。中心部は大宮台地浦和大宮支台の付け根、西側は指扇支台に位置するが、荒川沿いの低地(約9 m)と比べてもわずかに高い程度(概ね13〜15 m[1])である。市域の最高点は、北西部に位置する当市と桶川市の境界付近(井戸木二丁目32番地)の約21.5 m[2][3]。また、市域の最低点は西部に位置する荒川と江川の合流点付近(大字領家地内)の河原の約2.7 m[2]。
台地の中を鴨川、芝川が流れる。東では綾瀬川が蓮田市と支流の原市沼川が平塚付近から北足立郡伊奈町との境界をなし、北西では荒川支流の江川が藤波付近から桶川市との境界となっている。また、中央構造線が上尾中央総合病院と上尾駅の真下を通っており[4]、中央構造線に関連する綾瀬川断層が存在する。
江戸時代に設置された旧中山道「上尾宿」を起源とする宿場町であり、明治期に日本鉄道の駅として上尾駅が開業、昭和期に国道17号が南北に開通、以後沿線に市街地が拡大していった。また、昭和40年代には住宅難に対応して4団地(原市団地・尾山台団地・西上尾第一団地・西上尾第二団地)が相次いで建設された。平成期に入ると国道17号のバイパスとして上尾道路が開通した。
かつては農業が主産業であり、稲作のほか各種野菜の栽培がなされていた。市域における農地は減少傾向にあるが、梨・ブドウ・キウイなどのほか、トマト・キュウリ・ホウレンソウなど多様な品目が生産されている。特にキウイの生産量は埼玉県ではトップである[5]。また、現在[いつ?]はサービス業が盛んであり、市内の事業所数及び従業員数のそれぞれ8割及び7割を占めている。工業は事業所数は少ないものの各々が大規模であり、従業員数は2割を占めており、現在[いつ?]は減少傾向にあるものの出荷額は埼玉県内上位を堅持している。中でも輸送用機械器具の製造等が盛んであり、UDトラックスの本社及び工場、ブリヂストンサイクルの本社及び工場のほか、アイチコーポレーションをはじめ自動車関連の企業が多数ある。その他、三井金属鉱業の工場・研究所や市北西部には上尾道路沿いに「上尾領家工業団地」として多数の工場が立地している。商店街は、大型ショッピングモールの進出と経営者の高齢化により低迷している。
隣接している自治体・行政区
市制施行前は岩槻市(現・さいたま市岩槻区)とも隣接していた。2023年現在の蓮田市大字馬込に当たる。
歴史
当市域は中世まで農村地帯であったが用水の確保が困難なため、水田よりも麦などの畑作が行われていた。江戸時代に中山道整備の一環として上尾宿が置かれると、人口約1000人の宿場町ができた。上尾宿は街道沿いの宿場の中では規模が小さかった。この頃は水運が貨物輸送で有利だったため、江戸との運輸交通は荒川を利用した船が中心であり、船着場のあった平方が上尾宿より賑わい、人口も約1300人あった。
また、戦国時代から町ができていた原市も中山道の脇往還として機能していた。「原市」の由来は、中世末期に原村といわれていた吉野原村(2023年現在のさいたま市北区吉野町)から「宿」の部分が分離して「原宿」の名が生じ、後に月に2回の「市」が立った。この地域は天領・旗本領・寺社領・近隣の大名の所領が入り組んでいたが、江戸時代後期には上尾宿のための輸送負担を負う助郷としてまとまりが生まれてきた。
二代目上尾町役場庁舎。2023年現在の市役所の場所にあった
[6][7]。手前は現在の市役所通り。(昭和初期)
三代目の上尾町役場庁舎。県下一モダンな庁舎とされた
[8]。(1953年)
四代目の上尾市役所庁舎。左側には三代目庁舎もある
[9]。(1966年)
1883年(明治16年)に日本初の私鉄日本鉄道が開通し上尾駅が開業したことから、上尾町周辺が発展し始めた。一方、平方は荒川水運の衰退に伴って町としては停滞し、原市も上尾の繁栄から引き離された。後の当市を構成する町村は引き続き畑作中心の農村で、大正から1930年代までは養蚕も行われた。太平洋戦争時では上尾の地は戦争被害の対象にはならなかった。ただし当市を構成する町村全体では、大石村の畔吉地内で1945年(昭和20年)4月にB-29によるごく小規模な空爆が唯一あり、桑畑に大穴が複数開いた程度で人的被害はなかった[10]。
1954年(昭和29年)3月には埼玉県の審議会により十ヶ町村(桶川町・加納村・川田谷村・大石村・上平村・上尾町・平方町・原市町・大谷村・伊奈村)との合併試案が示されたことにより、「上尾桶川地区町村合併研究会」が結成され、十ヶ町村合併を目標に合併を模索[11][12][13]、同年度には合併後のほぼ中心地となる2023年現在の緑丘付近に新町役場の用地も取得した。しかし桶川町は歴史的理由[注釈 1]および経済の中心地が上尾に移行することなどを危惧して合併に反対し東に隣接する加納村もそれに同調、桶川町は代替案に五ヶ町村(桶川町・加納村・川田谷村・大石村・上平村)合併を提示したが、大石村および上平村は村が分裂する恐れから十ヶ町村合併を支持した。桶川町、加納村は8月21日に十ヶ町村の合併試案に賛成し難い旨を示した後脱退、十ヶ町村合併はあえなく立ち消えとなった。同年9月に六ヶ町村(上尾町・大石村・大谷村・上平村・原市町・平方町)との合併に仕切り直し、同年12月7日六ヶ町村合併を議決した[12][13]。この六ヶ町村合併も一筋縄ではいかず、桶川に近い大石地区と上平地区では上尾派と桶川派が激しく対立、同年12月14日の埼玉県庁五階議場で開かれた県町村合併審議会では両派陳情団がつかみ合いの乱闘となる混乱を見せ、桶川への編入を渇望して分町運動やそれに並行して反分町派である上尾派の動きがさらに活発化、特に事実上桶川の一部となっていた大石地区の井戸木では両派が衝突し、暴行傷害事件にまで発展し警察沙汰となるなど[14]遺恨を残した。六ヶ町村のひとつの原市町も1954年(昭和29年)5月20日に大宮市への合併を申し入れていた時期があった[12]。なお、六ヶ町村合併から外れた二村のひとつの川田谷村は1955年(昭和30年)1月27日の住民投票により桶川町との合併を議決し[13]翌年3月10日に桶川町と合併、もう一つの伊奈村は合併には消極的であったが[13]、市制施行後の1957年(昭和32年)3月に当市と伊奈町合併の知事勧告が出されたことにより[15]1959年(昭和34年)10月に当市と編入合併が審議され、「協定書」も締結されたが、伊奈村の臨時村会で僅差で否決された[16]。
20世紀後半には東京郊外の住宅地として発展し、1960年代からは条例を制定して積極的な工場誘致により工場も増えた。同時期に建設が始まった日本住宅公団(現:都市再生機構)の西上尾第一団地・同第二団地は埼玉県内有数の規模である。原市にも原市団地・尾山台団地が建設され、1960年から1980年までに人口は4倍へ増加した。人口の増加に伴い住宅都市としての性格が顕著となり、公園などの憩いの場や万一の災害時の避難地としての空間を要望する声が高まった[17]。こうした背景から市の都市公園第一号である上尾公園を皮切りに、上尾丸山公園などの大規模な総合公園や街区公園などを次々と整備した[17]。
中山道の通る高崎線東側に比べ西側は発展が遅れていたが、急速な宅地開発によって市街地は拡大し、子育て世代の若年人口が継続して流入した。最寄り駅(上尾駅)からバスで約20分という、田園地帯に建設された西上尾第一団地・第二団地にまで市街地が達し、2023年現在も土地区画整理事業や宅地造成が進められている[18]。
略史
- 旧・上尾町時代
- 上尾町時代
- 市制施行以降
市域の成立まで
上尾市域の変遷
1868年以前 |
1874年 |
1875年 |
1879年 |
1889年4月1日 |
1913年4月2日 |
1928年11月1日 |
1955年1月1日 |
1956年4月1日[36] |
1956年4月2日 |
1958年7月15日 |
現在
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上尾宿
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上尾町
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上尾町
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上尾町
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上尾町
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上尾町
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上尾町
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上尾市
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上尾市
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上尾村
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上尾下村
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柏座村
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谷津村
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春日谷津村
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原市町
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原市町外 1ヶ村組合
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原市町
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原市町
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上瓦葺村
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瓦葺村
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本瓦葺村
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下瓦葺村
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平方村
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平方村
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平方村
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平方町
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上野村
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上野本郷村
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領家村
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平方領領家村
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貝塚村
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西貝塚村
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大谷本郷村
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大谷村
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大谷村
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大谷村
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地頭方村
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壱丁目村
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今泉村
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向山村
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堤崎村
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川村
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戸崎村
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新井村
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中新井村
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宮下村
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西宮下村
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上村
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上平村
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上平村
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上平村
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久保村
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南村
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須ヶ谷村
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菅谷村
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門前村
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西門前村
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上平塚村
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平塚村
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中平塚村
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下平塚村
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中分村
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大石村
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大石村
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大石村
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小泉村
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藤波村
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畔吉村
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小敷谷村
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沖ノ上村
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弁財村
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中妻村
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領家村
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領家村
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石戸領領家村
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菅原新田
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井戸木村
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字後を分離 桶川町に編入[36]
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字後の一部を編入[36]
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桶川町
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桶川町
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桶川市
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歴代町長
歴代町長の一覧
代 |
氏名 |
就任年月日 |
退任年月日 |
備考
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初代町長 |
林栄吉 |
1889年(明治22年)5月21日 |
1890年(明治23年)5月13日 |
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二代町長 |
斎藤由五郎 |
1890年(明治23年)5月14日 |
1893年(明治26年)6月5日 |
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三代町長 |
林栄吉 |
1893年(明治26年)6月9日 |
1894年(明治27年)6月25日 |
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四代町長 |
白石彦八 |
1894年(明治27年)6月26日 |
1895年(明治28年)6月8日 |
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五代町長 |
細井竹次郎 |
1895年(明治28年)7月3日 |
1905年(明治38年)4月5日 |
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六代町長 |
永倉竹次郎 |
1905年(明治38年)5月9日 |
1907年(明治40年)2月21日 |
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七代町長 |
細井武次郎 |
1907年(明治40年)8月29日 |
1915年(大正4年)9月6日 |
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八代町長 |
本郷永与 |
1915年(大正4年)9月18日 |
1918年(大正7年)3月22日 |
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九代町長 |
荒井粂次郎 |
1919年(大正8年)9月6日 |
1923年(大正12年)9月5日 |
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十代町長 |
林次左衛門 |
1924年(大正13年)3月13日 |
1925年(大正14年)5月16日 |
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十一代町長 |
秋元三郎 |
1925年(大正14年)10月1日 |
1929年(昭和4年)9月30日 |
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十二代町長 |
植木安太郎 |
1929年(昭和4年)12月28日 |
1932年(昭和7年)4月4日 |
|
十三代町長 |
岡本沛太郎 |
1933年(昭和8年)4月21日 |
1938年(昭和13年)7月7日 |
|
十四代町長 |
桉田健治 |
1938年(昭和13年)7月8日 |
1938年(昭和13年)10月10日 |
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十五代町長 |
柳玉置 |
1938年(昭和13年)10月11日 |
1938年(昭和13年)12月25日 |
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十六代町長 |
富永吉一 |
1938年(昭和13年)12月26日 |
1940年(昭和15年)2月26日 |
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十七代町長 |
尾花平八 |
1940年(昭和15年)11月11日 |
1941年(昭和16年)12月6日 |
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十八代町長 |
林栄吉 |
1942年(昭和17年)2月17日 |
1944年(昭和19年)5月16日 |
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十九代町長 |
関根宗次 |
1944年(昭和19年)9月4日 |
1946年(昭和21年)2月24日 |
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二十代町長 |
北西隆蔵 |
1946年(昭和21年)3月 |
1947年(昭和22年)4月4日 |
就任日不明
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二十一代町長 |
島村敏治 |
1947年(昭和22年) |
1947年(昭和22年)11月11日 |
地方自治法施行後初の町長。就任月日不明
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二十二代町長 |
細井保平 |
1947年(昭和22年)12月21日 |
1951年(昭和26年)12月20日 |
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二十三代町長 |
下里金太郎 |
1951年(昭和26年)12月21日 |
1954年(昭和29年)12月31日 |
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初代町長 |
下里金太郎 |
1955年(昭和30年)1月31日 |
1955年(昭和30年)2月13日 |
新・上尾町初の町長。但し職務代行期間として。
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二代町長 |
下里金太郎 |
1955年(昭和30年)2月13日 |
1958年(昭和33年)7月14日 |
就任中に市制施行、以降上尾市長(参照)。
|
※ 以上出典は『上尾百年史』169-170頁、および186頁、および223頁。
人口
人口は市制施行当時は37,227人であったが[72]、地理的条件の良さを背景に相次ぐ団地の建設や、1965年の緑丘土地区画整理事業[18]を始めとした積極的な宅地開発によって、市街地は拡大し子育て世代の若年層人口が継続して流入、1960年から1980年までに4倍へ増加し[109]、2014年(平成26年)4月1日の22万8176人[110]をピークに一時期減少へ転じたものの、その後は微増の傾向にある。
1970年(昭和45年)の国勢調査では人口の増加率は102.3 %を記録し、この人口の伸び率は市として全国一の規模であった[63]。2021年(令和3年)8月1日には初めて人口23万人台に到達した[111]。昭和後期以降に大量に流入した子育て世帯の若年層世帯がここに来て一斉に高齢化、人口に占める世帯数及び高齢者の割合が増加の傾向にあり、核家族化及び住民の高齢化が埼玉県内平均よりもこの傾向が強い[112][113]。また、人口に占める外国人の割合も増加の傾向にある[114][115][116]。
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上尾市と全国の年齢別人口分布(2005年)
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上尾市の年齢・男女別人口分布(2005年)
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■紫色 ― 上尾市 ■緑色 ― 日本全国
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■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性
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上尾市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年)
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110,792人
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1975年(昭和50年)
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146,358人
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1980年(昭和55年)
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166,243人
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1985年(昭和60年)
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178,587人
|
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1990年(平成2年)
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194,947人
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1995年(平成7年)
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206,090人
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2000年(平成12年)
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212,947人
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2005年(平成17年)
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220,232人
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2010年(平成22年)
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223,882人
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2015年(平成27年)
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225,196人
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2020年(令和2年)
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226,940人
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総務省統計局 国勢調査より
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行政
歴代市長
『広報あげお』より[117]
国の行政機関
※裁判はさいたま地方裁判所の管轄となっている。
県の行政機関
- 埼玉県警察
- 交通部交通指導課放置駐車対策センター(上尾分庁舎)
- 上尾警察署
- 県央地域振興センター(上尾地方庁舎)
- 上尾県税事務所(上尾地方庁舎)
広域行政機関
市の行政機関
議会
市議会
埼玉県議会
- 選挙区:南13区上尾市・伊奈町選挙区
- 定数:3人
- 任期:2023年4月30日 - 2027年4月29日
- 当日有権者数:227,669人
- 投票率:35.85%
候補者名 |
当落 |
年齢 |
所属党派 |
新旧別 |
得票数
|
尾花瑛仁 |
当 |
39 |
自由民主党 |
新 |
21,964票
|
町田皇介 |
当 |
43 |
立憲民主党 |
現 |
21,174票
|
戸野部直乃 |
当 |
49 |
公明党 |
新 |
20,176票
|
秋山もえ |
落 |
47 |
日本共産党 |
現 |
16,994票
|
衆議院
- 選挙区:埼玉6区(鴻巣市、上尾市、桶川市、北本市)
- 任期:2024年10月27日 - 2028年10月26日
- 当日有権者数:412,325人
- 投票率:51.54%
経済
産業
主な産業
本社
商業施設
金融機関
組合企業
姉妹都市・提携都市
国内
国外
地域
町域
当市の町域は昭和の大合併前の町村ごとに地区が分けられているが、一部の地域では住居表示に伴う地番整理などもあり、完全には一致しない。
病院
- 医療法人社団愛友会 上尾中央総合病院
- 医療法人社団愛友会 上尾中央第二病院
- 医療法人藤仁会 藤村病院
住宅団地
- 上尾根貝戸団地(本町)
- 上尾東団地(本町)
- 西上尾第一団地(小敷谷)
- 西上尾第二団地(小敷谷)
- 上尾シラコバト住宅(上)
- 上尾東町住宅(東町)
- 上尾二ツ宮前住宅(二ツ宮)
- 上尾丸山住宅(平方)
- 原市団地(原市)
- 尾山台団地(瓦葺)
教育
幼稚園
小学校
中学校
高等学校
専門学校
大学
特別支援学校
学校教育以外の施設
職業訓練施設
社会教育
- 公民館(上尾・平方・原市・大石・大谷・上平・川・今泉・愛宕・畔吉)
- 本町自治会館
- 上尾市図書館(上町)
- 自然学習館(畔吉)
- 子ども・子育て支援複合施設(AGECOCO)(壱丁目東)
- 市立児童館「アッピーランド」(本町)
- 市立児童館「こどもの城」(今泉)
- 市青少年センター(上町)
- 市教育センター(上町)
施設
文化施設
市内には県営等も含め、近隣自治体で見られる民俗資料館や郷土博物館といった文化施設は存在しない。また、古民家などを文化財として保存を推進するような動きも見られない[注釈 15]。
- 上尾市文化センター(旧称:上尾市福祉会館)(二ツ宮)
- 上尾市コミュニティセンター(柏座)
- イコス上尾(平塚) - 上記コミュニティーセンターと類似の施設。
- 上尾市ギャラリー - 市役所ギャラリーと市民ギャラリー(アリコベール上尾サロン館内)がある。市民が個展などをする際の展示スペース。
運動施設
都市公園
市内には多くの街区公園が整備されているが地域により偏りがあり、その多くは市制施行後の区画整理事業の際に設置されたため、中山道沿いの古くからある住宅密集地では公園の整備が遅れている[129]。市民一人当たりの公園面積も都市公園法の基準(6.00 m2/人)を満たしていない。
- 上尾丸山公園 - 総合公園
- 大宮花の丘農林公苑 - さいたま市管理の農業公園。さいたま市西区と当市に跨る。
- 下芝水辺公園 - 丸山公園管理事務所の管轄
- 鴨川中央公園 - 近隣公園
- 浅間台大公園 - 近隣公園
- ゆりが丘公園 - 近隣公園
- 小泉氷川山公園 - 近隣公園
- 富士見親水公園 - 河川公園
- 鴨川緑道 - 都市緑地
この他に2021年3月現在、街区公園が123箇所ある。また、都市公園法で定める告示がされていないその他公園が39箇所ある[130]。
保存緑地
福祉・厚生
清掃・衛生
スポーツチーム
電話番号
市外局番は市内全域「048」。市内局番が「6XX」「7XX」「8XX」の地域との通話は市内通話料金で利用可能(浦和MA)。収容局は上尾局、新平方局、桶川局、埼玉加納局、上尾伊奈局。「7xx」から始まる市内局番は上尾市と同じNTT東日本上尾営業所(旧電報電話局)管内に属する桶川市、北足立郡伊奈町のほか、蓮田市、さいたま市岩槻区、春日部市で使用されている。
交通
鉄道路線
これ以外にも駅は無いがJR東北本線(宇都宮線)東大宮駅 - 蓮田駅間に当市を経由する区間が存在する。特に東大宮駅は当市に近く、当市の一部の地域は東大宮駅が最寄駅である。当市では他に桶川駅、宮原駅、日進駅、指扇駅、丸山駅等が最寄駅となる地域が存在する。
また、東北新幹線が大宮駅 - 小山駅間で、上越新幹線が大宮駅 - 熊谷駅間で、それぞれ前述の埼玉新都市交通伊奈線と並走する形で市内を通過している。
バス
タクシー
タクシーの営業区域は県南中央交通圏で、川口市・さいたま市・鴻巣市・戸田市などと同じエリアとなっている。
隣接市町村への連絡
道路
- 高速道路
-
- 一般国道
-
- 県道
-
-
- 道路愛称
- 当市では、市内の基幹となる主要道路に愛称をつけている。国道と旧「中山道」のほか、既に定着した「産業道路」「第二産業道路」などはそのままとした。愛称の対象は2車線以上で、歩道と車道が分離された人に優しい道路となっている。おおむね旧中山道を起点として、東西に伸びる道路を基準に名称がついている。
- 東西道路(北から)
- BS通り(旧中山道西側:小泉交差点 - 県道323号 - 泉台1丁目交差点 - 中妻4丁目交差点 - 中妻3丁目交差点 - 久保西交差点)※BS=ブリヂズトン
- べにばな通り(旧中山道東側:久保西交差点 - 県道87号 - 菅谷地内)
- はなみずき通り(旧中山道貫通:夕日通り交点 - 春日交差点 - 中山道交点 - 平塚北交差点)※平塚北で県道5号と交差
- 市民体育館通り(上尾駅西口 - 並木通り交点 - 夕日通り交点)
- 市役所通り(上尾駅東口 - 県道133号 - 県道150号 - 二ツ宮地内)
- ニッサン通り(旧中山道西側:県道51号 - 「秋葉通り」交点- 中山道交点)※「ニッサン」の名称は、沿道に本社のある日産ディーゼル工業(現:UDトラックス)に由来
- 水上公園通り(旧中山道東側:中山道交点 - がんセンター入口交差点)
- 南北道路(東から)
- 並木通り(桶川市境 - 中妻3丁目交差点 - はなみずき通り交点 - 市民体育館交点)
- 浅間通り(井戸木地内 - 中妻4丁目交差点 - はなみずき通り交点)
- 泉が丘通り(桶川市境 - 泉台1丁目交差点 - はなみずき通り交点)
- 夕日通り(小泉交差点 - 県道323号 - はなみずき通り交点 - 市民体育館通り交点 - 秋葉通り)※「秋葉通り」はニッサン通りと交差
観光・祭事・旧跡
- 藤波の餅つき踊り(元日)
- 上尾さくらまつり(3月-4月) - 上尾丸山公園で行われる。
- 畔吉の万作踊り(4月)
- あげお花しょうぶ祭り(6月) - 上尾丸山公園で行われる。
- あげお夏祭り(7月) - 上尾駅東口およびその周辺の中山道で行われる夏祭り。その前身は毎年7月15日に行われた氷川鍬神社の例大祭・祇園祭。
- 原市五町夏祭り(7月) - 原市地区の原市大通り(埼玉県道5号さいたま菖蒲線旧道)で行われる祭事。
- どろいんきょ(7月) - 八枝神社および平方地区で行われる奇祭で、埼玉県の選択無形民俗文化財に選択されている。
- 堤崎の祭りばやし(7月)
- あげお花火大会(8月) - 荒川河川敷で開催される。
- ささら獅子舞(10月) - 畔吉地区および藤波地区で行われる。
- あげお産業祭(11月) - 上尾市民体育館、ゆりが丘公園で行われる。
- あげおイルミネーション(11月 - 翌年1月) - 冬季に上尾・北上尾両駅前で行われる。
- 上尾シティマラソン(11月)
- 榎本牧場 - 『義経』のオープニングで滝沢秀明が馬で走るシーンはここで撮影された。
- 原市沼の古代蓮(6月 - 8月)
- 氷川鍬神社[133]
- 馬蹄寺
- 少林寺
- 十連寺 - 柴田康忠・柴田康長の墓所
- 相頓寺
- 放光寺
- 戸崎の浅間塚 - 富士塚
- 小塚浅間塚 - 富士塚
- 殿山古墳 - 市内で唯一現存する古墳[134]
- アッピー(当市のマスコットキャラクター)
- あゆみ[89] - 当市と本宮市の共通キャラクター。「アッピー」と「まゆみちゃん」の間に誕生したという設定。
- まゆみちゃん - 本宮市のマスコットキャラクターだが、当市の公式発行物やホームページ等に「アッピー」や「あゆみ」と共に頻繁に登場する。
- 上尾音頭
- アッピー音頭
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あげおイルミネーション(上尾駅)
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あげおイルミネーション(北上尾駅)
出身有名人
ゆかりのある人物
- 今野登茂子(ミュージシャン・元プリンセスプリンセス) - 出身はさいたま市(旧浦和市)だが上平中学校、上尾高等学校卒業、当市在住であった。
- 渡辺敦子(ミュージシャン・元プリンセスプリンセス) - 出身は熊本県だが、小学生時代に当市在住だった。
- 折茂武彦(バスケットボール選手) - さいたま市生まれ、小4より高校まで当市在住
- いのの(漫画家・イラストレーター) - 出身は長野県松本市。当市在住
- 山瀬まみ(タレント) - 出身は東京都だが、当市で育つ
- 佐藤栞里(ファッションモデル) - 新潟県出身
- 百武公親(自由民主党衆議院議員) - 埼玉県所沢市出身
当市が舞台の作品
その他
- 休日開庁については、かつて土曜日及び日曜日の開庁となっていたが、東日本大震災後の電力不足並びに需要、経費削減、職員数及びその処遇の低下から、2023年現在は土曜日のみの開庁となっている。ただし、祝日に該当しても開庁するが、年末年始及びシステムメンテナンスの日は開庁しない。また、開庁対象は、本庁舎の住民対応部局及び一部の出張所に限定され、取扱い業務も専門職又は他機関との連携を要する特殊なものを除く、一般的なものに限定されている[137]。
脚注
注釈
- ^ 桶川宿は上尾宿よりも規模は大きく(宿内人口桶川1,444人、上尾793人)、かつての桶川はこの辺りの中心地であった。詳細は桶川宿を参照。
- ^ 『上尾百年史』 213頁では大正12年頃と記されている。
- ^ 当時の住所は大字上尾宿。役場の向かいに位置する。
- ^ 原典は『上尾自治だより』第十二号 昭和30年12月20日。
- ^ 町村合併促進法の規定に基づく埼玉県初の事例と思われる。
- ^ 通称の「プリンス」とは当時の皇太子明仁のことで、婚礼を祝して開園した経緯からそう呼ばれていた。
- ^ 当時の航空写真では2面あるように見える。
- ^ 原典は『埼玉新聞』昭和35年10月25日。
- ^ 原典は『朝日新聞』埼玉版 昭和39年4月29日。
- ^ 原典は『埼玉新聞』昭和40年8月8日、および『埼玉新聞』昭和40年9月30日。
- ^ 『上尾百年史』 236頁では「昭和40年10月21日に着工、昭和41年10月18日に完成」と記されている。
- ^ 原典は『広報あげお』第198号 昭和46年12月20日。
- ^ 出典情報(ホームページ)で文化財の登録年月日とホームページの掲載日に矛盾がある。
- ^ 2017年11月1日 - 2017年12月17日の期間。遠藤次郎は副市長[123]。1977年上尾市入庁、2005年総務部庶務課長、2010年企画財政部長、2012年教育総務部長、2014年3月20日副市長に就任[124]。
- ^ さいたま市には「旧坂東家住宅」、桶川市には「島村老茶舗」、伊奈町には「大島家住宅主屋」などがある。
- ^ 東北本線(宇都宮線)が上尾・蓮田市間を直接結ぶが、当市に駅はない。
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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- 行政
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- 観光
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