アーマンド・ガララーガ
アーマンド・アントニオ・ガララーガ・バレト(Armando Antonio Galarraga Barreto, 1982年1月15日 - )は、ベネズエラ・スクレ州クマナ出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。 経歴プロ入りとエクスポズ傘下時代1998年10月31日にモントリオール・エクスポズと契約。 レンジャーズ時代2005年12月8日にターメル・スレッジ、ブラッド・ウィルカーソンとともにアルフォンソ・ソリアーノとの1対3のトレードでテキサス・レンジャーズへ移籍[1]。 2007年9月15日のアスレチックス戦でメジャーデビューを果たし、メジャー3試合目の登板となった9月24日のエンゼルスでメジャー初先発。 タイガース時代2008年2月4日にマイナー選手とのトレードでデトロイト・タイガースへ移籍[1]。AAA級トレドで開幕を迎えたが、ドントレル・ウィリスの故障者リスト入りに伴いメジャー昇格を果たし[2]、4月16日のインディアンス戦でメジャー初勝利を記録。4月は3試合に登板し、2勝・防御率1.50を記録し、月間最優秀新人にノミネートされた[3]。ジム・リーランド監督はウィリスがメジャー復帰した時にガララーガをマイナーに降格させるか、リリーフに回すなど、先発ローテーションから外すことを示唆していたが[4]、ガララーガはチーム最多の13勝を挙げ、被安打率7.66は松坂大輔に次いでリーグ2位。ウィリスを含め、総崩れとなったタイガースの投手陣の中で唯一活躍[5]。 2009年開幕前の3月に第2回WBCのベネズエラ代表に選出された[6]。 シーズンでは、8月に肘を痛め[7]、9月からは先発ローテーションを外され、リリーフとして起用された[8]。6勝10敗・防御率5.64の成績でシーズンを終えた。 幻の完全試合→詳細は「アーマンド・ガララーガの幻の完全試合」を参照
2010年6月2日、インディアンス戦で誤審によって完全試合を逃している。9回裏2死走者無しで27人目の打者ジェイソン・ドナルドが打った一・二塁間へのゴロを一塁手のミゲル・カブレラが捕球してベースカバーのガララーガに送球した。タイミングはアウトであったが一塁塁審のジム・ジョイスはセーフと判定し、完全試合もノーヒットノーランも逃した[9]。その後、1番打者のトレバー・クロウを三塁ゴロに打ち取り打者28人を内野安打1本に抑え3-0で完封勝利(メジャー昇格4年目で初完投・初完封勝利でもあった)を収めている。試合後、ビデオで確認したジム・ジョイスは誤審を認め謝罪、ガララーガは「誰しも完璧(パーフェクト)ではない」とコメントした[10]。 ダイヤモンドバックス時代2011年1月18日には年俸230万ドルの1年契約を結ぶが、24日にケビン・アイクホーンとライアン・ロボウスキーとの1対2のトレードでアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍。しかし8試合の先発で3勝4敗、防御率5.91、WHIP1.62と低迷し、5月21日には40人枠から外れた。 アストロズ時代2012年はボルチモア・オリオールズと1月にマイナー契約を交わすも4月に解雇され、その後、ヒューストン・アストロズとマイナー契約を結んだ。 レッズ傘下時代2013年1月17日にシンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ。 ロッキーズ傘下時代2013年7月15日にパーカー・フレージャーとのトレードでコロラド・ロッキーズへ移籍。11月5日にFAとなった。 中信兄弟時代2014年2月3日にテキサス・レンジャーズとマイナー契約を結んだが、3月23日に放出された。4月に台湾プロ野球・中信兄弟と契約を結んだが、1勝どまりでシーズン途中の7月1日解雇された。 メキシカンリーグ時代2015年はリーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのプエブラ・パロッツと契約。6月21日に自由契約となる。 選手としての特徴投球スタイルはストレート系変化球(ツーシームやワンシーム)などを中心に打たせて取るスタイル。その他変化球ではスライダー、チェンジアップなどを投げる 詳細情報年度別投手成績
背番号
代表歴脚注
関連項目外部リンク
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