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イオニア諸島合衆国

イオニア諸島合衆国
Ἡνωμένον Κράτος τῶν Ἰονίων Νήσων (ギリシャ語)
Stati Uniti delle Isole Ionie (イタリア語)

1815年1864年
イオニア諸島の国旗
国旗
Coat of arms of イオニア諸島
国章
国土はイオニア海の主な7島に加えて小島と島しょを含む
国土はイオニア海の主な7島に加えて小島と島しょを含む
地位 グレートブリテン及びアイルランド連合王国保護国英語版
首都 コルフ
公用語 ギリシャ語英語イタリア語 a
共通語 ヴェネト語
宗教
ギリシャ正教
統治体制 連邦共和国
• 高等弁務官(国王代理)
ウィリアム・グラッドストン(1858年-1859年)
立法府 議会
• 上院
上院(英語)(行政機関b
• 下院
立法議会
時代 19世紀
• ウィーン会議(調印)
1815年6月9日
• 保護国設立
1815年11月9日
• 憲法制定
1817年8月26日
• ギリシャへの譲渡決定
1850年11月26日
1864年3月29日
• ギリシャへ譲渡
1864年5月28日
面積
1864年[1] 4,696 km2 (1,813 sq mi)
人口
• 1864年[1]
236,000
通貨 オボロース(英語) (1818年–1864年)、レプトン
先行
継承
フランスによる統治
ギリシャ王国
イオアニナ州(オスマントルコ)
現在 ギリシャの旗 ギリシャ
^a イタリア語が公用語として用いられた時期は、第1回議会の会期のみ。

^b 憲法の規定により上院は政府の行政機関とされ、立法権は立法議会と共有する。イギリスの典拠の一部は上院ではなく「執行評議会」と示す[2][3]

出典: 首都[4]、言語[5][6]

イオニア諸島合衆国(イオニアしょとうがっしゅうこく、: Ἡνωμένον Κράτος τῶν Ἰονίων Νήσων (Inoménon-Krátos ton Ioníon Níson) 、: United State of the Ionian Islands: Stati Uniti delle Isole Ionie )は、19世紀(1815年から1864年)に南欧に存在したイギリス保護国である。イオニア七島連邦国を引き継ぐものとして、現在のギリシャ共和国イオニア諸島の領域ならびにギリシャ本土のパルガ英語版(現プレヴェザ県)で構成された。

ウィーン会議における合意を受けて成立し、1864年イギリスからギリシャ王国に譲渡された。イギリスの視点からは、ゲオルギオス1世がギリシャの王位を継承した機会に、パルガを除くその保護領を進呈したことになる[7][8]

成立まで

フランス革命戦争前、イオニア諸島はヴェネツィア共和国の一部であった。1797年カンポフォルミオ条約によるヴェネツィア政府の崩壊によって、1798年から1799年までフランスに併合された。その後、オスマン帝国とロシア帝国によって占拠され、イオニア七島連邦国が設立された。これにより、1800年から1807年までオスマン帝国とロシア帝国の名目上の宗主権下で、ギリシャ人は独立した政治を運営した。

イオニア諸島はティルジット条約の後にフランス人により占拠された。1809年、イギリスは、10月2日にザキントス島のフランス側守備隊を破り、1810年レフカダを取った。コルフは1814年までフランスにより占領され続けた。

ウィーン会議は、イオニア諸島をイギリスの保護下に置くことに合意した。イオニア諸島は英国軍管理下であったが、オーストリア帝国も同地域における商業的な保障を得た。7島の同盟を作成した1817年8月26日に、初代のイギリス国王イオニア諸島名代トーマス・メートランド卿による「メートランド律令」の批准によって、イオニア諸島合衆国の法的地位が体系化された。

政治体制

イオニア合衆国政府は、イギリス連合王国政府の推挙により同国王から任命された国王名代の下で組織された。国王名代として ウィリアム・グラッドストンを含む10名が勤務した。また、イオニア諸島は上下両院制の立法機関として、『イオニア合衆国の議会』という立法議会を持っていた。

ギリシャ王国への併合

1864年3月29日、イギリス、ギリシャ、フランス及びロシアの担当者は、ロンドン条約英語版の批准をもってギリシャへの主権の移譲を誓約して調印した。イオニア諸島は英国国王名代の宣言により、5月28日にギリシャ王国に併合された。

人物

  • 小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) - 1850年、レフカダ島生まれ。当地駐在のイギリス軍医と、地元のギリシャ人女性の子である[要出典]

脚注

  1. ^ a b Treaty of London” (英語). Greek Ministry for Foreign Affairs. 8 March 2005時点のオリジナルよりアーカイブ。21 July 2006閲覧。 “イオニア諸島は1864年6月2日にギリシャ王国と正式に統一される。王国にとっては建国以来、初の領土の拡大4,696に伴い、人口増加は23万6000人。”
  2. ^ Fieldhouse, David (1985) (英語). Select Documents on the Constitutional History of the British Empire and Commonwealth: "The Empire of the Bretaignes," 1175–1688. Greenwood Publishing Group. p. 679. ISBN 9780313238970. https://books.google.com/books?id=z8ZN3sMulRcC&q=ionian%2520islands%2520senate%2520executive&pg=PA679 
  3. ^ Fitzroy, Charles (1850) (英語). Ionian Islands. Letters by Lord C. Fitzroy and documents from other sources, on past and recent events in the Ionian Islands; shewing the anomalous political and financial condition of those States. p. 115. https://books.google.com/books?id=STFYAAAAcAAJ&q=ionian%2520islands%2520senate%2520executive&pg=PA115 
  4. ^ イオニア合衆国憲法第2条
  5. ^ イオニア合衆国憲法第4条
  6. ^ イオニア合衆国憲法第5条
  7. ^ タイムズ』(ロンドン)1863年6月8日、12頁C欄。
  8. ^ History of Parga” (英語). Prefecture of Preveza. 2022年10月19日閲覧。
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