ゲイリー・ブラバム
ゲイリー・ブラバム(Gary Brabham、1961年3月29日 - )は、オーストラリアの元レーシングドライバー。イギリス・ロンドン出身。1989年イギリスF3000選手権チャンピオン。 父は元F1世界チャンピオンのジャック・ブラバム。また兄のジェフ・ブラバム、弟のデビッド・ブラバムもレーシングドライバーで、ゲイリー自身もイギリスを中心にレース活動をした。 経歴ブラバムは1982年にオーストラリア・フォーミュラフォード選手権でデビューし、イギリス・フォーミュラフォード2000で2シーズン、イギリス・フォーミュラ3選手権で3シーズンを戦い、イギリスF3000選手権でシリーズチャンピオンを獲得した。彼はまた他のカテゴリーにも参加し、その中にはBMWによる1987年バサースト1000なども含まれる。1988年にはスコティッシュ・スーパープリで優勝。同年12月にヘレスで行われたF1合同テストでベネトン・フォーミュラから声がかかりテストに参加。ベネトン・B188をドライブしてF1マシンを初運転。すでに経験をもつベネトンテストドライバーのジョニー・ダンフリーズより好タイムを記録した[1]。翌1989年にもF1テストドライブの機会があり、4月にシルバーストンで行われたブラバム・BT58の3号車のシェイクダウンテストを依頼され、「かつて親父が作ったチームのF1マシンに乗れるのはうれしい。今日はシェイクダウンだからエンジン回転数も押さえて走っていたけど、いつかF1レギュラーになってもっと本格的に走らせてみたいね。」とインタビューに答えた。なお、ブラバム・ファミリーがブラバムのF1マシンに乗ったのは1977年に長男のジェフ・ブラバムがBT45のテストをして以来のことだった[2]。 1990年、1カーエントリーでF1への新規参戦を開始したライフと契約し開幕戦からF1参戦したが、ライフ・L190は後年に「F1の歴史上最も戦闘力を持たないマシン」と呼ばれるような代物で[3]、予選通過もまま成らず、まともに走行ができないチームに見切りをつけ[注 1]、第2戦ブラジルGPをもって自らチームを離脱した[4]。その後ミドルブリッジ・レーシングのシートを獲得し、国際F3000選手権に参戦。この会見では「F1から一歩後退と思う人が多いと思うが、やり直す絶好の機会だと考えている。救いの手を差し伸べてくれたチームに恩返しがしたい」と意欲を語り、表彰台に立つなど活躍した。なお、この年のミドルブリッジF3000シートは元々弟のデビッドが乗るはずのシートだったが、デビッドが'90年第3戦から急遽ブラバムF1のシートを得ることになったため、入れ替わるかたちでゲイリーが乗ることになった[5]。 その後は兄のジェフと共に日産チームから1991年にセブリング12時間レースに参加、優勝を果たし、オーストラリア耐久選手権に参戦した。1993年、1994年にはCARTにスポット参戦している。 引退後はプライベート面で度々問題を引き起こし、2003年、2007年、2016年に婦女暴行で逮捕されている。 レース戦績通算成績
イギリス・フォーミュラ3選手権
国際F3000選手権(key) 太字:ポールポジション 斜体:ファステストラップ
F1(key)
CART
ル・マン24時間レース
参照脚注注釈
出典
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