コメディNo.1(コメディナンバーワン)は、かつて存在した日本の漫才コンビである。1967年から2009年まで活動した。所属事務所は全期間を通じ、吉本興業大阪本部。略称は「コメワン」。コンビ名は吉本新喜劇の作家檀上茂が命名した。
メンバー
詳細は各項目を参照。
コンビ略歴
ふたりは吉本新喜劇の座員だった。同じく新喜劇出身で、漫才で成功した西川きよしから「漫才はもうかるでえ[1]」と転身を勧められ、コンビ結成。ラジオの深夜放送『ヒットでヒット バチョンといこう!』(ラジオ大阪)の土曜日を担当し、同番組の全曜日通じての最高聴取率を記録するほどの人気を獲得したほか、関西テレビ『爆笑寄席』での、体を張ったコントで評判を取った[1]。
放送メディアでは特に坂田ピンの活動が多くなり、コンビとしての活動は、なんばグランド花月などの舞台中心となった。また2人はプライベートではほとんど付き合いがなかった。コンビ仲が悪い漫才コンビの代表的存在とされる[誰によって?]。
前田が2009年4月3日に起きた中田カウスへの脅迫状送付事件に関与していたと一部で報道されたため、「世間を騒がせた」という理由で同年5月25日よりタレント活動を休養[2]。同年7月21日、吉本興業は前田が大阪府警南警察署より参考人として任意の事情聴取を受けたことを明かし、あわせて同年8月31日をもってコメディNo.1の解散を発表した[3][4]。その後、前田は吉本興業を解雇された。
2021年10月17日、前田が79歳で死去した。前田の訃報は同年11月4日に公表された[5]。その後、坂田はピンで活動していたが、最晩年は出演機会は少なくなっていた。2023年12月29日、坂田も82歳で死去した[6]。
受賞歴
過去の出演番組
ピンでの出演は各人の項目参照。
- ラジオ
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- テレビバラエティ
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- テレビドラマ
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- 服部半蔵 影の軍団 第12話「夜の蜘蛛は親でも殺せ」、第13話「真夜中の美女」(関西テレビ、1980年) - 瓦版売り 役
- テレビCM
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- 天遊(1974年)
- 大塩するめ(1970年代〜1980年代)
アホの坂田
アホの坂田(アホのさかた)は、コメディNo.1による楽曲。
楽曲概要
- 1972年8月25日、7インチシングルレコードとして発売。発売元はテイチク(現・テイチクエンタテインメント)。品番はA-76。作詞:竹本浩三、作・編曲:キダ・タロー。B面は「ある恋の詩(うた)」。「アホの坂田」が坂田利夫個人を指すためか、タイトルは「アホの坂田のテーマ」と紹介されることが多い[7][8]が、正式タイトルはあくまで「アホの坂田」である。また、坂田ピンでのリリースではなく、コンビ名義の作品である。
- 主な歌唱パートはすべて前田が担当し(サビはバックコーラスのみ)、坂田は合間に前田との掛け合いのセリフを言うだけである。
- 冒頭、行進曲調のリズムに乗って「メキシカン・ハット・ダンス」と呼ばれるメキシコの舞踊民謡(ハラベ・タパティオ)の典型的フレーズで構成されたファンファーレとともに「アホ、アホ、アホの坂田」と連呼する荘厳でクラシカルな男女混声の合唱が流れた直後、ヴァースのパートに入った途端、寄席囃子に使われる当たり鉦と演歌的なクリーントーンのエレクトリック・ギターの単音が加わったラグタイム調のゆるやかなシャッフルビートに合わせて、メロディが陽性の五音音階に変わることで、滑稽な落差を生む編曲となっている。キダは坂田をフィーチャーしたこの曲を作る際「アホ、アホ、アホ、アホ」と繰り返しているうちに、かつて自身が進駐軍専用キャバレーでリクエストに応じて演奏していた「メキシカン・ハット・ダンス」のメロディが思い出され、この編曲になったという[9]。
- この曲のヒットの影響で坂田と言う苗字を持つ人が「アホの坂田」と呼ばれる社会現象が生まれてしまい、大阪府教育委員会の申し入れ[7]によって放送が自粛され、レコードも廃盤になった(廃盤までに6万枚を売り上げ、テイチクレコードのヒット賞も受賞した)[10][11]。また、ちょうどこの年には選抜高等学校野球大会の入場行進曲にもこの曲の採用が検討されていたが、これらの事情により取り消しになったとの説もある(代わりに選ばれたのが水前寺清子の「365歩のマーチ」だった)。
- 後年に至るまで、バラエティ番組での坂田の登場シーンで度々使用されている。
収録CDアルバム
「エンタの歌道」(テイチク、廃盤)に収録されたが、「浪花のモーツァルト キダ・タローのすべて」(SLC、廃盤)および「浪花のモーツァルト キダ・タローのほんまにすべて」(アップフロントワークス)に収録された際はいずれもシングル盤をマスター音源としていると思われるノイズが聴こえる。
脚注